第10話 ザ・デビルカンパニー

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 「……帰りたい」

 

 小さなオフィスだった。

 壁には備え付けの棚。びっしりと分厚いファイルが詰まっている。もう片側には大きめの壁掛けモニター。映像はなく、アンチグレアの画面は反射を写すことなくブラックに染まっている。


 そして、くるくる回るデスクチェアが一つ。

 メッシュの背もたれに、腰や尻を保護するクッション。位置を簡単に操作できる昇降バーや肘掛け。

 そして、拘束具。

 この人体に配慮した設計は長時間の作業を苦もなく行わせることができ、終わるまで決して離さない

 

 「かーえーりーたーいー」

 

 嘆くのは、あのアシンメトリーな髪型をした優男。

 彼の視界を覆うのはヘッドレスに付けられたヘッドマウントディスプレイ。

 視線と音声。メインは両肘掛けの小型キーボード。場合によれば全面にホロキーボードや物理タイプキーボードをセットできる。

 拘束中もあって、ヘッドマウントディスプレイに固定された頭部から腕や脚の自由まで効かない彼が操作できるのは肘掛けの小型キーボードのみだが。

 

 そう、この回転はある種の抗議行動だ。

 

 「さっさと報告書を書けばいいじゃない」

 

 離れたところで同じようなデスクチェアに座る同僚が彼にそう言う。

 こちらは拘束されている様子はなく、自由だ。

 傷んだ金髪の女性だった。脱色しているのだろう。頭頂部に少し黒が見えた。

 目立つ色の髪に比べ地味めな黒のパンツスーツ。体の凹凸は控えめで、スレンダー。

 しかし女性らしさは確かにあった。

 彼女の灰色の目は何処か遠くを見つめるよう。どうやら生体組込式端末バイオデッキを操作中らしい。

 灰いがかった眼がひっきりなしに空を撫でる。


 「明日でいいじゃないですかー!」

 

 「貴方、試したんでしょ?」

 

 呆れが見える女の言葉。

 

 「……ええ……まあ……残しとくの嫌だったので……」

 

 「しかも、成功したんでしょ? 私なんて内側から吹き飛んだわよ。

  ――眼の前で吹き飛ぶもんだからシャワーが手間だったし最低だった」


 顔を思いっきり顰めて彼女は言う。


 「……はい、そうです。成功しました」

 

 一瞬の沈黙後、観念したような答えを男は返した。

 

 「なら」横目を向けて「さっさと報告しとかないと怖いよ?」

 

 「……そうですね。さっさと書いちゃいますか」

 

 溜息混じりにボヤいた後、優男の指がキーボードを叩き始める。

 脳波感知と視線入力が彼の操作を補助する。おかげであっという間にレポートが埋まっていった。

 やり始めが肝心で始めてみればわりと面倒くさくないというのは往々にしてある。

 

 「で、何を報告したくないの?」

 

 「いやあ……そのですね……」

 

 口をモゴモゴとはっきりしない様子。

 

 「言い訳するならさっさとしなさい」

 

 同僚のジト目に苦笑して、優男はアンニュイな表情をしてみせる。


 「――狩人を見つけたんです」

 

 「へえ……いいじゃない。報告するだけで手当出るわよ」

 

 先とは打って変わって心底羨ましげな声色だった。

 そして、報告を渋る彼へと訝しげな視線を向けていた。

 

 「いやーそれがですね」

 

 声を潜めて、

 

 「弟の友達みたいなんですよ。その子」


 優男は言った。

 

 「ふうん……大変ね」

 

 「え……反応薄くないです……?」

 

 同僚はまた、横目で彼を見て。

 

 「驚いてる方よ」

 

 視線をまた、彼から逸した。

 

 「また因果なものね。知ってる顔?」

 

 「……いや、知らないんですけど……なんか」

 

 溜息混じりにキーボードの上で指先を踊らせる。

 

 「急に殴り合いし始めてですね……」

 

 「あら、青春じゃない」

 

 「まあ、そうなんですけどね」

 

 声音は何処かに居る兄弟への心配に満ちていた。

 

 「悪い子じゃないといいんですが」

 

 「なるほど。貴方と弟くんの関係がなんとなくわかった」

 

 唇に微笑を浮かべ、今度こそ同僚は彼の方に向いた。

 

 「避けてるでしょ、貴方」

 

 「ぐ……まあ、そうなんですが……」

 

 図星。

 突かれた優男の指がキーボードを打ち間違える。

 直ぐ様、モニター上で修正が入る。

 バックスペースを押して、入力し直すより早く適切な単語に差し替えられた。

 視線と脳波から動揺とタイプミスを検知したのだ。

 

 「うちを出た辺りからちょっと顔を合わせづらくなって……」

 

 「まあ、よくある話ね」

 

 「昔は一緒に日本のアニメーションとか見てたんですけどね」

 

 「趣味は変わってないわね」

 

 「ええ、趣味の一つくらい維持してないとこんな仕事できたもんじゃないですからね」

 

 弾む声。

 エンターが一際強く叩かれる音。

 同時に拘束が解除された。

 

 「ん~! 開放感!!」

 

 立ち上がると優男は指を組んでぐっと上に伸ばす。

 背骨や伸ばした腕の関節が鳴る。

 ついで首を回せば同じ様な音。

 

 「はい。お疲れ様」

 

 その間に同僚は既に身支度を済ませていた。

 すっと差し出されるのは優男の鞄。


 「帰りましょう」

 

 眼鏡の向こうで灰の瞳を緩ませて同僚はそう言った。

 優男も笑顔に答えて、鞄に手を伸ばす。

 

 「――――おっと」

 

 その時だった。

 声の方へと二人同時に振り向いた。

 

 「残業の時間だよ、二人共」

 

 残酷な宣言が彼らの脚を引き止めた。

 

 「そんな……嘘、でしょう……?」

 

 「遅かった……」

 

 同僚は目を伏せて、唇を噛めば、隣の彼は天井を仰いで片手で顔を隠した。

 

 「くそう……今日こそ帰るはずだったのに……!!」

 

 血を吐くような声。残業を憎む優男の言葉が狭いオフィスに響いた。

 

 「まーまー。そんなに嫌がらないで」

 

 オフィスの入口にいつのまにか立っていた中年の男は、苦笑いを浮かべた。あんまりに大袈裟な反応に若干顔が引き攣っている。


 「残業代も出るしさ?」

 

 フォローしようとそんな言葉が口をついて出た。ついでと曖昧な笑みが口元に。


 「「そういう問題じゃないです、部長」」

 

 が、逆効果。修羅の如き面相が男――部長に向けられた。


 「しかしだね、ほらこれ見てよ」

 

 言葉を受けて、優男と同僚の視界にスライドするように空中から出現したのは指令書一つ。

 

 『多国籍企業郡米国系列企業〈マーキュリー〉新設番外部署〈ハンターズ〉』

 

 『諸君らに、狩りを命ずる』

 

 彼らの生体組込式端末バイオデッキから音声が再生された。

 だから、二人はその声から逃げられなかった――逃げるなど最初から許されて等いなかったが。


 「これは……」

 

 同僚は思わず声に漏らした。その声色は苦々しい。優男も同じ様に渋面を浮かべる。二人共通のは諦観。

 

 「上位命令マスタオーダー……」

 

 「そうそう」

 

 笑顔と相槌。

 

 「特別手当結構でるよ?」

 

 喜び給えと言外に言ってくる。


 「……まあ、そうですね」

 

 冷めた様子で同僚は他所を向き、死んだ眼で染めた金髪を弄んでいた。

 視線の先は出入り口の扉――猛烈に帰りたそうだ。

 

 「あれ……なんか、テンション低くない……?」

 

 なんだか不思議気の部長。小首まで傾げている。率直に言って気持ちが悪い。中年贅肉まみれでやっていい動作ではない。


 「……残業ですから」

 

 冷淡な反応に部長も「そっか……」と声と共に小さくなっていった。

 

 「み、御堂くんは……」

 

 矛先が優男――御堂へと向く。縋るような顔、望んだ結果を求める顔。

 

 「日を跨ぐ強制残業……これでテンション上げるって難しいですよね」

 

 やはり返ってきた返答は冷淡だった。そも、一々希望に沿ってあげるほど彼は優しくない。ついでに言うと御堂自身、この男の評価など欲しくない。

 

 「ていうかそろそろ帰りたいです。定時、振り切ってるんですよ? 日を跨いで跨いで何時になったら帰れるんですか」

 

 うんざりである。もう数えるのをやめたくなるほどの連続勤務数だった。


 「えーそんなこと言わないでくれよー? ほら、食品部門で貰った試作品あげるから」

 

 「要りませんよ……」

 

 差し出されたラベルの無いボトル。

 白いプラスチック製だが、中身は光に当たっても透けて見えない。懐から取り出す時にした音から液体なのは察しがついた。

 ……余計に手を伸ばす気にならない。

 

 「あ、それ新作ですよね? 要らないならもらいます」

 

 すっと差し出された手が脇からボトルを奪っていった。

 小気味のいい音と共にキャップが空を舞い、飲み口に紅の引かれた唇が触れる。

 

 「ぐっ……この馬鹿みたいに強い炭酸と何がなんだか分からない遺伝子組換系フレーバーの嵐……!! 強化カフェインによる意識の明瞭感……!」 

 

 くぅっと堪らない様子で同僚はややテンションを上げていた。

 

 「何時も通り、いい飲みっぷりだねえ。見ていて気持ちがいい」

 

 はっはっはと部長が笑い、瞬間和む空気。

 

 「まあ、ほら?」

 

 そして、御堂に向けられた目は、

 

 「御堂くんの報告ミス・・・・もこれをこなせば帳消しになるしね?」

 

 笑っていなかった。

 

 「……そうですね」

 

 向けられた彼の笑みも僅かに凍りつく。

 御堂のミス。狩人を発見したこと、その隠蔽――いや、それだけじゃない。


 それ以上のことをこの男は知っている。

 

 彼が弟の友人に手を出せなかったこと。

 彼の弟の友人が狩人であるということ。


 虚偽が通じないのは今に始まったことではない――が、今回は通じて欲しかった。

 二人、いや社員、役職を持たない者達には知らされていない事実が一つある。

 

 あのデスクワーク支援用デバイスに設置されているヘッドマウントディスプレイだ。

 あれには装着者の生体組込式端末バイオデッキ及び生体記憶・・・・を読み取って記録する機能がある。

 

 つまるところ、隠し事は通らない。

 

 「君にしては珍しいミスだね」

 

 虚ろな満面の笑み。

 

 「……慣れてきた頃ほどミスをしてしまうってのはよくある話、ですよね?」

 

 御堂は肩を竦めて見せる。動揺を隠す。いつもの笑みで覆い尽くしてみせる。

 

 「うんうん、僕の若い頃もそんなんだった」

 

 同意の返答。けれど、心が籠もっていない。

 

 「でもまあ、仕事なんだ」

 

 その声は酷く空虚で、

 

 「しっかりやろう」

 

 酷く活力に満ちていた。

 

 ――これだから社畜は嫌いだ。

 

 優男こと彼、御堂ユキカゲは内心で毒づいたのだった

 


 

 

 ++++

 

 

 

 

 企業は、常に秘密を抱えている。

 新規資源にしても新規技術にしても。

 彼らは常に秘密にしたがり、骨の髄までしゃぶり尽くすまでこの世に広めたがらない。

 

 狩人や異形。

 異界ですら彼らの既知の範囲を彼らは隠匿した。

 それは彼らの有する技術を以てしても解明出来ていないということであった。

 遥か昔、多国籍企業郡が成り立つよりもずっと前から彼ら異民はいた。

 だが誰としても存在を暴くに至っていない。

 

 しかし近年。

 一人の狩人が標本サンプルとして企業群に渡った。

 

 喰われるか塵も残らない彼ら狩人標本サンプルとして入手するというのはあまりにも僥倖だった。

 結果、彼らの研究は加速した。

 けれど、彼らがそれぞれが秘密裏に得たのは一部に過ぎなかった。

 試作的に出来上がった人類製狩人も純正には今のところ及ばず、異形への特攻を持たない。

 ほぼ偶発的に生まれた試験薬はほぼ失敗――だったはずが、一度の成功例が出た。

 

 出てしまった。

 

 だから彼らは今、新たな被検体サンプルを望んでいた。

 

 新たな資本を積み上げる為。

 市場世界を新たな“価値”で蹂躙する為。

 

 彼らはサンプルを望む。

 

 

 ――――闇が暴かれるのは、遠くない未来のことになりつつあった。

 

 

 

 

 

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