第1話 ザ・インサニティ





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 ――――墜ちる夢を幻視した。



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 数回の瞬き。

 微睡みを、白昼夢を振り払うように彼は繰り返す。

 

 ――久しぶりに来ていた。

 なんとなく。起きた時間が丁度登校時間で、なんとなく来てみようと思ったから。

 始まった授業はいつもの通り退屈。

 だから、多分。

 夢を見ているのだ、と彼は思った。

 

 夢現の瞳に映ったのは教室。 

 それは学び舎に生じた地獄だった。


 二十人のクラス。

 多くもなく少なくもなく。このクラスは中間にあった。

 あまり人数を押し込めば効率は下がるし、少な過ぎれば授業――ディスカッション等が行えない。

 だからこその人数だった。

 

 いつもの席。

 教室自体は、半すり鉢になっていて下に行くほど席数自体は少なくなる様になっている。

 教壇より三列ほど離れている彼の席。

 教室の中央から、彼は教室下部にある教壇を見下ろしていた。

 授業中。チャイムは鳴っていない。この後、昼休みになる予定だ。

 

 だから彼は前を見ている。

 板書をしていた教師を、教師だったもの・・・・・・・を見つめている。

 見つめる切れ長の黒眼は普段ならば鋭く、人を寄せ付けない瞳は普段なら見せない緩みがあった。

 険がないというべきか、なんというべきか。

 

 彼、咬切ケンゴは基本的に不機嫌という印象の少年である。

 前述した瞳に、口元も不機嫌そうな一文字。さらに百八十の身長は威圧を感じさせる。

 整った容姿や類まれな体格というメリットを台無しにするほどに彼は、無愛想であった。

 

 しかし、今の彼の表情は笑みに分類するものだった。

 決して今、現状で浮かべるものではないだろう。

 

 そんな彼の視線の先に居る教師だったもの・・・・・・・は、早めのお昼休みらしい。

 教師らしからぬ早弁に乗じていた。

 

 ――もう教師の形を留めていないのだから、教師としての振る舞いは不要だろうが。

 

 突然に振り向く。

 夢中に齧り付いていたからか、視線に気づかなかったらしい。

 ようやく、ケンゴの方へと向いた。

 

 齧り付いていたのは丁度、教壇の前に席があったケンゴのクラスメイトである少女。

 ケンゴは名前も知らない。顔を見たような気がするだけだ。

 ただ、そこにいるからクラスメイトと認識していた。

 服ごと貪っていたのだろう。

 各所、特に柔らかいところ、胸だとか唇だとか太ももだとかが服ごと無くなっている。

 そういう女生徒が何人が肉達磨になって、そこらに転がっていた。

 

 噎せ返るほどの死臭、血臭。

 溢れた臓物と中に詰まっていたもの。

 全身を巡る鮮血。

 合わさったそれは空調が機能しているというのに、鼻に、その奥にこびり付いてくる。

 誰かの嘔吐く音がした。

 この空間ではさして目新しいことにはならなかった。

 朝食が床に新たな彩りを加えたくらい。

 

 やはりケンゴは気に留めない。

 音の方に視線を動かすことはない。


 それから、振り向いたその教師だったものとケンゴは目が合った。

 目、といってもその顔面の目は少し多かった。

 複眼。昆虫のようなそれではなく、元々ある二つの目と同じ色、形のものが顔面各所にあった。


 忙しなく動いていたそれら全部と目があった。

 

 「先生」

 

 「はい、なんでしょう?」

 

 ケンゴは多分進学してから初めてであろうこと、授業中の質問をするために手を上げた。

 さらに、なんと敬語も使っている。

 しかも、なんとこの姿になってもまだ教師としての職務を全うするらしい。

 全ての教師は彼を見本にすべきだろう。

 

 「美味しいですか、それ」

 

 「ええ、美味です」

 

 にっこりと笑って教師は答えた。目と同じくらいに多い口が目と連動して爽やかな笑みを浮かべた。

 後ろの方で圧し殺した悲鳴がした。

 

 ケンゴは気にせず。

 ただ、この教師で思い出したことがあった。

 

 そういえばこの数学教師は綺麗な顔をした美青年だった、と。

 

 彼がこの教師に関して認知しているというのはそれくらい。 

 そんな教師にはこんな話があった。

 ――学校の女子の大半と寝たという。

 酷くどうでもいい話だった。

 その話が致命的にどうでもいいのが、その話に証拠の動画と写真つきだった辺りだ。どうにもある種のアンダーグラウンドなネットマーケットで教師自身が売り捌いているらしい。

 その教師も今ではこんなにも台無し素敵な姿なわけで、その話がこうなった原因の一端なのだが――ケンゴは知らない。

 

 もっとも、噂の域をまだ出ていない以上、

当然というか、当たり前のことであるが。


 「もう一つ、質問があります」

 

 「ええ、どうぞ」

 

 にこやかな笑み。

 有り過ぎる瞳と口が変わらぬ爽やかさを演じる。

 交わされる言葉は現状に反して穏やか。声色も教師のまま。

 そしてケンゴは、

 

 「今、先生は」

 

 何よりも聞きたかったことを訊いた。

  

 「生きてて楽しいですか?」

 

 「ええ、私はとても充実しています」

 

 強く、実感のこもった言葉であった。


 「分かりました。ありがとうございます、先生。食事の邪魔をしてすみませんでした」

 

 その言葉に答えるようにケンゴは真摯に礼をする。


 「いえいえ。生徒に答えるのは私の使命ですから」

 

 教師の鏡のようだ。やはり全国の教師は彼を見習うべきだろう。

  

 「じゃあ、最後に一つ。俺の話聞いてくれますか、先生」

 

 「ええ! 勿論ですとも!!」

 

 文字通り目を輝かせる教師にケンゴは言葉を作る。

 

 「俺、」

 

 

 ――事は一瞬であった。

 

 

 「先生みたいな人と会いたかったんです」

 

 教師の複眼がいくつか弾けた。

 ケンゴの体が教師の眼の前にあった。

 指はに汚れている。制服に返り血が散った。そんなこと、彼は気にもしない。

 肉片がぽとりと指から落ちる。

 彼の唇を彩る笑みが自然と深まった。

 背骨を伝って降りてくる強烈な快感はまるで濁流のようだと彼は感じていた。

 ――達してしまいそうだった。

 この公共の面前で、恥ずかしげもなく。

 

 「さっきそれに気づいた。この目で直接見て、ああ、こういうことだったんだなって」

 

 悲鳴が上がった。誰のものか。やはり、彼は気にしない。

 ただ、独白に浸る。

 鋭い瞳に喜悦を浮かべる。浮かべてしまう。

 ひたすらに耽ってしまう。

 

 「やっと、気づけた」

 

 教師の、必死の抵抗を込めて伸ばされた手。

 そうして、無防備に差し出された指が飛んだ。

 吹き出る体液。

 虫の鳴き声のような悲鳴。

 聞けば聞くほど、昂ぶる。高ぶってしまう。

 どうしようもなく、ただただ、

 

 「俺は、こういうことをしたかったんだって」

 

 愉悦が彼の唇をさらに滑らせる。


 解かせる/甲高い悲鳴。

 

 歪ませる/甲高い悲鳴。


 何時になく彼を饒舌にさせる。

 

 「ああ、そうだ。先生が人を喰らいたかったのと同じだよ」

 

 血飛沫が舞う。

 赤くない。青色の体液。

 赤と青が混ざって教壇の周りは凄惨を極めた。

 

 「俺は、アンタみたいなのを殺したかったんだッ!!」

 

 ケンゴの言葉に熱が籠もる。

 情動が。衝動が。理性が。

 溶ける。溶ける。溶けてしまう。

 彼は自分が溶けて消えていき、もっと違うものになるのを感じていた。


 ――それは多分、絶頂に似たもの。

 

 そして、絶叫と共に放たれるは狂気、その発露だ。


 あくまで、あくまでも人の形から離れてたとしても、未だに人間性を抱いたままの教師は真正面から彼のそれを受け止めてしまった。

 結果、ついに正気を保てなかった。

 狂気による精神錯乱と汚染。

 今度こそ、教師は理性を手放し、原型を失った。

 

  

 ――発狂/変化――。

 

 

 人間性の崩壊と同時に、教師だったものは完全変態する。

 

 

 ――発狂/変化――。

 

 

 吊られるように彼の精神も発狂。人間性の崩壊が彼に新たな形を与える。


 二人から放たれる衝撃波。発狂の巻き起こす精神変貌によって噴き出る精神波が物理現象と化す。

 傍に固定された机をまとめて弾け飛ばし、床を抉り、彼らを中心にクレーターを作った。

 

 悲鳴と絶叫が上がる。

 ついに、教室後方で怯えて身動き取れなかった生徒たちが逃げ出したのだ。

 我先に我先に。狂乱のままに駆けていく。

 

 瞬間。衝撃波が空で止まり、中心に引き込まれるように渦を巻いたと思えば衝撃波の放射が止んだ。

 

 衝撃波の収束。後に現れたのは――やはり、異形。

 

 無数の目を顔面に生やした化物。青白い肌に、細い両腕、二足歩行。

 人の形はしているが、それに人の名残はない。

 場所と体に張り付いているだけの洒落たブランド物のスーツの残骸からして、恐らく元教師だろう。

 顔面に生えた瞳以外の器官といえば、目と同じくらいあって、カタカタカタカタと歯軋りが五月蝿い唇のない剥き出しの歯くらい。 

 

 それの対面に立つのは無論、ケンゴということになる。

  

  

 無貌。それに瞳はなかった。いや瞳どころではない。

 そこに顔面だと判断できる記号は一つたりとも見当たらない。

 ミディアムショートの黒髪、冷たい切れ長の瞳、薄い唇。身に纏った学生服。

 そう、咬切ケンゴを構成する要素はそこにない。

 ただ、あるのは黒いモヤめいていて、不定形に揺らめきながらも人型と視認できる影だけ。

 

 しかし、けれどもそれは、確かに異形を見つめていた。

 

 直後、ニタリと無貌が微笑んだ。


 青色の血液が空を彩った。

 鈍い音と共に骨骨しい青い、肘から先が床に転がった。

 先程も見たやりとりの焼き回しのようだった。

 黒い影が、不定形の何かが異形の反射を超えて蹂躙する。

  

 哄笑が響く。

 ひたすらに、喉が枯れることなど知らぬとばかりに。

 ただただ。

 黒影は満たされる快感に哄笑をやめられない。

 

 そして、展開は一方的。決着もこの直後となった。

 この異形もむざむざ殺されに来たわけではない。生きるため、その欲求を叶えるため、発狂くるったのだから。

 

 けれど、黒影の彼は狩人。

 

 不幸なことに。

 この無貌は、彼らを殺すためのもの。

 異界から這い出た同類を狩るため、彼は物質界に現界したのだ。

 

 狩人の片手には一振りの刃。長く肉厚な刀身はまるで鈍器が如し。

 人にはナマクラのようにしか見えないだろう。


 けれども、彼は狩人である。

 なら、その刃も物質界の物差しでは測れないのは当然の帰結。

 

 祖は爪牙。祖は剣。祖はギロチン。

 つまり、それはまごうことなき慈悲/殺戮の刃だ。

 

 

 彼が、狩人たる所以であるが故に。

 

 そのは彼らへの特攻を持つ。

 

 

 首が飛んだ。

 

 物質界との繋ぎ目を断たれた異形は実体を保てなくなり、刹那、灰となって溶け消えていった。

 

 同時に、ケンゴも元の人の姿へと戻る。

 黒霧が、影が収束するように集まり彼を形作った。

 その後、彼は糸の切れた操り人形のように重力に逆らうことなく床に倒れ込んだ。


 「――嗚呼、」

 

 頬に感じる床の冷たさと指先が触れる鮮血の生暖かさを感じながらケンゴは満足げな笑みを溢したのだった。


 「夢じゃ、無いんだな」


 直後、溶けるようにして彼は意識を失った。




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 ――誰かが

 

 

 『諸共全て狩りつくせ』

 

 

 ――そう、彼に囁いた

 

 

 

 

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