夕暮れ

 よく知っている地名が目に入った。ネットニュースのヘッドライン、いくつか並んだ文字列にそれはあった。


『A市で住宅全焼 焼け跡から四人の死体』


 夕日がスマートフォンの画面に反射する。始発駅から乗ってきたのだから反対側にも座れただろうに、と数十分前の自分を少し責めた。

 A市は小学校を卒業するまで住んでいた場所だった。私立の中学校に進学するのに合わせて、今住んでいる市へと引っ越したのだ。

 記事をクリックすると、さらによく知る地名が書いてある。まさに自分が住んでいた場所の近くなのだ。小学校の近くだった。数分で着くのでよく油断して遅刻しかけたのはよく覚えている。

 火事が起こったのは今日の昼頃。その家に住む家族四人と連絡が取れないとある。数時間後には消火活動は終わったらしい。



 あたりもだんだんと暗くなったころ自宅にたどり着いた。

玄関に並ぶ見慣れない女物のスニーカーで、確か今日は一人暮らしをしている妹が帰ってきてるということを思い出した。ケーキか何かでも買ってきた方がよかっただろうかと一瞬思ったが、買ってきたら買ってきたでまたなにか文句を言われるのだ。


「ただいまぁ。」


 ガラス戸の向こうで母と妹の声がした。




 窓の向こうで沈む夕日を見ながら昨日の昼下がりのことを反芻する。



 何もすることがなく昼前までずっと寝ていた。母にたたき起こされて用意されていた朝食兼昼食のうどんをすすった。スーパーのかき揚げは麺つゆを吸っていたがそれはそれでおいしかった。母と妹はどこかに買い物に行くそうで、家に一人きりになった。父は朝早くから出かけている。

 昼食後、リビングのソファに寝転んでため込んだ録画を消化していたが、それは突然のチャイムで中断することになった。インターフォンの映像にはスーツを着た男が二人。


「戸田健司さんでしょうか?」


 来訪者は警察手帳を見せてきた。「戸田健司」は自分のことだと言うと、少し隈の目立つ男は少し眉を下げて話を始めた。

 数日前に死んだ「佐藤祐介」という男性についての話である。彼とは小学生時代の同級生のはずだが、ここ数日で彼と連絡を取っていなかったか、と言うのだ。残念ながらそんな記憶はない。そもそも「佐藤祐介」という男性について心当たりがまるでなかったが、彼がつい先日のあの火事で亡くなった男性だと言われれば、確かにそうだったかもしれない。

 刑事に少し待っていてくださいと頼み、母がずっと残していた連絡網からその名前を探した。「佐藤祐介」という名前はなかったが、「金田祐介」という名前に目が留まった。五年生の時に同じクラスだった。


「小学生のときは『佐藤』じゃなくて、『金田』じゃなかったですか? 金田祐介さんなら確かに同級生だったんですけど。」


 刑事はその言葉に納得した表情を見せる。「佐藤祐介」は確かに「金田祐介」で、同級生だった。


「でも、連絡は来てないですよ。家の電話にですよね?」


 小学生で縁の切れた友人――それどころか「金田祐介」とはそれほど仲は良くなかったはずだが――には携帯の番号は教えていないはずなのだ。


「……これ携帯の番号ですよね?」


 告げられた番号は間違いなく携帯電話の番号だった。もしかしたらほかの同級生が教えていたのかもしれない、と刑事は言うし、実際に教えそうな口の軽い友人がいないわけでもない。

 刑事は少し迷った様子でさらに話題を深めた。「金田祐介」が最後に電話をかけたのが今ズボンのポケットに入っているこのスマートフォンだったそうだ。たった一回だけ、それも火事が発見される数時間前。




 母からの夕食は適当に食べてという連絡を受けてコンビニ弁当を買ってきた帰り道。夕焼け小焼けが遠くから聞こえた。



 ふいに思い出したことがあった。彼とも、「金田祐介」とも夕焼け小焼けを聞いたことがあったのだ。確か小学校の近くの公園でだ。ただ二人でブランコを漕いでいた。

 しかしなぜ彼と一緒に公園にいたかまではさっぱり分からない。彼はクラスの中でも目立つ存在で、所謂問題児というやつだったはずである。親が金髪で若くて、確か三十歳だとか彼が言っていたはずだ。大人しいクラスメイトの男子の両親が少し歳のいった人で、それを少し馬鹿にしていたのを覚えている。その彼と公園に一緒にいる要素が何一つとして思い出せないのだ。



 坂道をだらだらと歩きながら、刑事の話も思い出していた。彼らの話やインターネット上に転がっている情報から、彼が自殺したのはなんとなく予想がついていた。もしかしたら無理心中だったのかもしれないともどこかにあったのをよく覚えている。時折そういった事件は聞くが、自分に関係する場所で起こるなんて誰が考えるだろうか。

 彼がそんなことをするような人間だっただろうかとも思った。そんなこととは真逆の世界に生きている人間だったはずなのだ。少なくとも記憶の中にほんの少し残っている彼はどちらかと言えば自殺を疑われるよりも、殺人を犯してしまったのではないかと疑われる方がよっぽど可能性のありそうな人だった。あおり運転とか、リンチとか、いじめとかそういうやつで。

 亡くなった人間に対してひどいものだと少し自分が嫌になったが、きっと電話のことで心の隅にできてしまった今ではどうしようもない罪悪感がそうさせているのだろう。




 今度こそは反対側に座った夕日の差し込む電車の中でメッセージアプリの通知が来た。誰なのか見当のつかないローマ字のユーザーネーム。


「久しぶり。加藤太一です。」


 名乗られた名前にも心当たりがない。ここ最近のことを考えると、おそらく「金田祐介」関連の人間だろう。


「申し訳ないのですが、どなたでしょうか?」


 もしかしたら初対面かもしれない人間に対しての言葉遣いなんて普段から考えているわけもなく、これで不愉快にさせることはないだろうかとか少し不安になりながら文字を打ち込む。


「小学校六年生のときに同じクラスだった加藤です。」

「ごめんなさい。ぜんぜん記憶になかったです。」


 いたかもしれないし、いなかったかもしれない。少なくとも仲がいいというわけではなかったと思う。


「すみません。」


 しばらく間が空いて帰ってきた謝罪の言葉に首をかしげる。


「金田に戸田君の連絡先聞かれて教えちゃいました。」


 続いた文章に納得がいった。彼が教えていたのだと。しかし、彼にも電話番号は教えていないはずだった。


「金田に『戸田の連絡先知らない?』って聞かれたんで、俺が連絡できる中で知ってそうな人に片っ端から聞いちゃいました。」

「もしかして、上川さんから聞いた?」


 まず思いついたのが、あの小学校からそのまま地元の公立中学校に進級したおとなしい少し太った女子だった。彼女とは小学校の卒業式の少し前に漫画の貸し借りをしていて、その続きで学校がわかれてからも少しの間連絡を取っていたのだ。中学生になって買ってもらった携帯電話の番号も彼女には教えていた。


「そうです。そうです。とにかく謝っとかないとって。金田も死んじゃったし。」


 適当な返事の後、続くことのなかった会話に、これで終わりかとリュックを抱いて眠ろうとしていたところで、またスマートフォンが震えた。


「そういえば金田から電話きた?」


 さっきとは打って変わって砕けた文章であった。


「来てない。」

「ほんとになんで聞いたんだろ。」


 加藤の疑問と同じ疑問はあの昼下がりからずっと持っていた。


「なんか親と喧嘩して友達の家泊まり歩いてたってのは聞いてたけど、戸田に頼むはずないもんな。」

「中学の時にはそっちから引っ越してたし、仲がいいってわけじゃなかったんだけどなぁ。」

「ほんとにな。」


 結局、加藤との会話は最寄り駅に着くまで続いた。ほとんどは加藤が「金田祐介」の素行があまりよくなかったという噂を遠回しに繰り返していただけである。彼の行った高校はいわゆる「不良校」だったとも言っていた。彼がDQNってやつだったという話も聞いた。そして自分は家が近かったから仕方なく付き合っていたのだとも。正直あまり気持ちが良いものではなかったが、相槌をやめるタイミングを逃してだらだらと聞き続けてしまった。




 結局、「金田祐介」がなぜ大して仲の良いわけでもなかった小学校の元クラスメイトなんかに連絡をとろうとしたのか、何を話そうとしたのか。そのどちらも全く分からないまま数日が過ぎた。

 自室の西向きの窓から黒く重い雲が見える。

 このままもやもやとしたものとほんの少しの罪悪感を残したまま、彼のことを忘れていくのだろうか。なんてことのない夕暮れ時にふと彼のことを思い出して、夕食を口に運ぶ手が重くなるのだろうか。



 そうだ。「金田祐介」が問題児として目をつけられたのは彼が髪を染めていたからだった。彼はほんの少し明るい髪色をしていた。色素が生まれつき薄いとかではなく、ときおり地毛の黒色が見えていた。

 なんで彼があの公園に一緒にいたか、ほんの少し思い出せた。彼が見せてくれたのだ。いつもつけていたリストバンドを外すと、その下には刺青があった。龍がぐるりと手首の少し上を飾っていた。「かっこいい」と言ったような気がする。彼は果たしてそう思っていたのだろうか。小学生が自分から刺青なんて、まずありえない。

 なぜ名字が変わったのに、加藤は「金田祐介」のことを「金田」と呼んでいたのだろう。彼は間違いなく最近まで「金田祐介」と親交があった。



 自分の知っていることで探偵のまねごとをしてみたが、真相なんて分かりはしなかった。



 夕焼け小焼けが聞こえる。



 あの日はどうしたんだろうか。

 ブランコに揺られて手を振ってくる「金田祐介」を公園の柵の向こうに見ていた。彼はずっと手を振っていた。リストバンドはもういつもの場所にあった。黒とライムグリーンのリストバンド、スポーツドリンクのロゴの入ったやつだった。少しの間だけクラスの男子の中でコレクションするのが流行っていたものだった。

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