従兄
享年九十五歳。祖母は暑い夏の日に亡くなった。九十を超えれば大往生と言っていいんじゃないか、と母は言っていたのをぼんやりと覚えている。
これはその数年後の法事での話である。当時の私は高校二年生だっただろうか。
私は新幹線までの待ち時間を大学生の従兄と喫茶店で過ごしていた。従兄も私もゲーム機をいじり、時折話が始まり、唐突に終わる。その日も暑い夏の日だった。
どれほど経った頃かはよく覚えていない。買い物に行っていた私の母と叔母さんがいくらかの買い物袋を私たちのテーブルに置いていったのを機に、私たちは一回ゲームを中断することにした。
「あーそうだ。これ、話してなかったよな。」
従兄はすっかり氷の解けたアイスティーを片手に私に向かってにやりと笑った。
「俺、一人暮らししてるだろ? で、その部屋がな……事故物件なんだよ。」
「事故物件?」
一人暮らしの話はこれまでにされたことがあったが、その話題は聞いたことがなかった。
「そうそう。事故物件。」
「じゃあ家賃安いだ。ラッキーじゃん。」
従兄が事も無げに言うので、私もそう軽く返したのだ。
「いやぁ、それが俺の入る前に誰か住んだことがあるらしいんで告知義務ってのはないらしいんだよ。困ったもんだよな。当然、家賃も安くはならない。」
「じゃあ、なんで知ってるんだよ。」
今になっては事故物件を調べる術はいくらでもあるが、当時にはそんなものはなかった。いや、単に私がその術を知らなかっただけだろう。
ちなみに後から母から聞いたことだが、告知義務をなくすために大家が一時的に誰かをその問題の部屋に住んでいたことにすることがあるらしい。大方知人が名前を貸すか、もしかしたらそれ専用の業者のようなものもあるのかもしれない。
「大学の友だちから聞いたんだよ。俺の住んでるとこの近くに住んでるんで、それで。」
「で、何があったのさ?」
焦らされている気がした。私が聞きたいのは何が起こったのか、なのだ。もっと言ってしまえば、他人の不幸は蜜の味というやつだ。
「殺人事件だよ。それもただの殺人じゃない。」
思ったよりも物騒なものが出てきた。私は誰かが自殺でもしたのだろうとでも思っていたのだ。
「まず、住んでいたのは年老いた母親とその娘の二人。で、そこにその娘さんの元旦那が押し入ってなんか揉めたらしんだよな。大方元の鞘に収まろうって話だったんじゃないか?」
「昼ドラ?」
「昼ドラよりも火サスじゃね?」
「カサスってなにさ。」
従兄は追加の飲み物の注文を済ませ、私に向き直った。
「あれだよ、あれ。崖の上に犯人追い詰めてってやつ。」
私は少しだけ残っていたアイスティーを下品にも音を立ててストローですする。
「で、母親をグサッと。娘さんは逃げて屋上に向かうけど、結局追い詰められてそこから落ちてグチャっと。押し入った男は自殺したんだと。」
とても簡単にずいぶん悲惨な事件を語られた。
「まぁこれだけ起きれば近所の人間はよく覚えてるよな。」
そりゃあそうだ。そう相槌を打とうとしたが、どうにも頭の中で整理をできていなかった。
「普通これだけ起きれば、何か幽霊的なやつ出たりしそうじゃん? それがなんにもないんだよな。」
私は、何を言い出すのかと怪訝な顔をした。
「引っ越そうとかは?」
「別に。何にも起きてないし、そんな気は起きないなぁ。」
普通は何かしらの嫌悪感を抱くのではないのだろうか。この従兄は少々変わった人なのかもしれない。
「どうせだったら、幽霊とか見てみたいよな。せっかくの場所なんだから。」
「不謹慎なんじゃないの?」
年上の従兄にあきれながらそう返す。
「そうかもなぁ。」
従兄の笑顔の中にはそんな感情はなさそだった。
「出てきてくれてもいいんだけどなぁ。」
「我が強すぎるんじゃない?」
私のその言葉を繰り返し、また従兄は笑った。
「そうか、そうかもな。」
「あ、ちょっと小便。」
新幹線まであと数十分になったころ、従兄はトイレに行くために席を立った。
「あーい。」
ゲームにも飽きてきて少し眠くなってきた私は適当な返事。ぼんやりと喫茶店の奥に向かおうとする従兄の背中を見た。
「背中、なんかついてる。」
黒い毛の塊のようなものが背中についていた気がして、従兄を引き留める。取ってやろうと、席を立った。
「……あ、違うわ。ごめん。」
従兄は「なんだよー」と笑いながら、また歩を進めた。
私は力が抜けたように椅子に腰を下ろす。背中に付いていたのは毛の塊ではなかった。誰かの頭だ。薄く見える腕は従兄におんぶされているかのように肩に回されていた。
当時はそれが祖母だと思ったのだ。祖母の法事の帰りだったのだから、そうだろうと思っていた。おばあちゃん想いだった従兄に憑いている守護霊のようなものだろうと納得していた。怪談なんかでよくある霊からの悪意のようなものも感じなかったせいもある。
しかし、本当にそうなのだろうか。記憶の中にある祖母に黒く髪を染めている姿なんてない。
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