首吊り街灯
私の実家の近く、古いマンションの隣の道に灯りが点かない街灯がある。夜になっても点かず、何度直しても点かず、点検してもなぜ点かないのか分からない。一度、新しいものに取り換えられたそうだが、当然のようにそれも点かなかった。
その街灯は「首吊り街灯」と呼ばれている。
母に聞いた話によると、夜にその街灯を見ると暗がりにぶら下がった人影が見えるのだそうだ。ぶらんと力なく腕は垂れ下がり、足は宙に浮いている。まるで街灯で誰かが首をつっているよう。それで「首吊り街灯」と呼ばれるようになったそうだ。
幸か不幸か私はそれを見たことはなかった。駅から実家に向かうとしても、ほかのどこかに向かおうとしても、わざわざそこを通ろうとしない限りはその道を使うことはないのだ。その上、この街に引っ越してきたのが数年前で、今年からは地方の大学に通うために実家を離れている。
夏休み、実家に帰省した私を迎えたのは雑種の子犬だった。母が保健所から貰ってきたらしい。名前は「ラッキー」。
私が帰省中のラッキーの散歩は私と弟の担当。朝と夜の二回。夕方じゃないのか、と聞けば、夏の間は夕方でも暑いから夜に散歩させるようにしているらしい。
私はリードを引く弟の後について歩くだけ。年の離れた弟はようやく身長が伸び始めたのか、前に見た時よりも少し大きくなっている気がする。
「『首吊り街灯』ってあるじゃん。」
弟はいきなり話を始めた。
「友達がさ、この前肝試しするんだーって夜中に見に行ったらしいんだよ。一人じゃなくて、数人で。」
ラッキーは空き地で立ち止まって匂いを嗅ぎ始めた。
「それで、見たらしいんだよ……その首吊ってる何かを。だから何だっていうわけじゃあないんだけど、俺が住んでるのが『首吊り街灯』の近くだって知ったらさ、あいつら俺のこと馬鹿にしてきて……『怖がってんじゃないの?』って言うんだよ。それでつい『そんなわけねぇだろ!』って。」
弟は昔から怖がりである。テレビの心霊写真特集を見た程度で眠れなくなるレベルだ。
「それで、一緒に見に行ってくれってこと?」
弟は小さく頷く。母や父に頼るわけにはいかないので、私が帰省するのを待っていたようだ。
家に帰り、両親が寝静まってから弟と家を出た。まさか今日いきなり行くとは思っていなかったようで不満顔を見せるが、じゃあ行かないぞと言えば渋々歩を進める。
「最近どうなの?」
「最近? どうって……別に何もないけど。」
信号待ちの間、話題に困って質問を振るが話は続かない。もう少し落ち着いたところでなら何かしら話してくれたのかもしれないが、弟は結構緊張しているようだった。
赤から青へ変わった横断歩道を渡る。別に真夜中の住宅街の道路なんて車はめったに通らないんだから、無視して突っ切ってしまってもよかったかもしれない。
古いマンションを右手に角を曲がり、街灯のある道のそばに着いた。次の角をもう一度右に曲がれば数十メートル先に「首吊り街灯」が見える。
私は弟の背を押しながら角を右に曲がる。
街灯に照らされた道の端、あまり手入れされていない木の枝に挟まれるように明かりのついていない街灯がちらりと見えた。
「なんともないじゃん。」
街灯には何もぶら下がっていなかった。
肩から力が抜けるのを感じる。怖いなどは思っていないはずだったが、実際は結構緊張していたようだ。
近くまで寄って、よく見てみる。
「もしかして、この木の枝が垂れ下がってるのが遠くから見ると人型に見えるとか?」
笑いながら、柵から飛び出た枝をぐいぐいと引っ張る。弟も笑っていたが、すぐにそれは消える。
「ねぇちゃん……」
弟が私を指さす。中学生になってからは名前呼びなのに、急にどうしたのだろうか。
「うしろ。」
よく弟の顔を見てみれば、真っ青で額には汗がにじんでいる。
「うしろ。」
その言葉に私も振り返り、後ろを見る。
さっきまで引っ張っていた枝の向こう側、先の街灯の灯りに照らされ形はしっかりと分かる。女の人だ。
青黒い裸足。
ひざの青いジャージのズボン。
先がはげた薄いピンクのマニキュア。
だらりと垂れ下がる腕。
黒いキャミソール。
赤黒い線が走る異様に伸びた首。
黒い髪の間から覗く土気色の顔。
白い薄汚れたロープ。
「ねぇちゃん!」
弟に腕を引っ張られるがままに走る。
さっき渡った横断歩道まで戻ると、弟はホッとしたように腕を離した。
「いたね。」
ぽつりと呟く。
「でも、本当に首吊ってるだけなんだね。」
強がるように言うと、弟は首を振る。
「違うよ。首吊ってるだけじゃない。だって、あれ、ねぇちゃんに……」
信号が変わり、弟はもう一度腕をつかんだ。さっきのような全力疾走ではなかったが、小走りで家へ。
適当に冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぐ。弟は一気にそれを飲み、ソファに座り込んでしまった。
「『ねぇちゃんに』、何?」
一口だけ飲んだコップをローテーブルに置き、弟の横に座る。
「肩、掴んでた。」
私の右肩を指さし、また俯いてしまう。
Tシャツをずらせば、確かにそこにはあざがある。
「きっと首、締めようとしてたんだ。」
弟の言葉の通り、そのあざは日々少しずつ上へ上へと伸びている。
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