《エピローグ》

 =====


 マンゲールの湖は穏やかで、暖かな春の日差しを受け止め、きらめいていた。


 私は岸辺の草地にラベンダーの色をしたハンカチを敷き、その上に足をくずして座りながら、棒針を使ってクリーム色の毛糸で編み物をしている。


 髪は毛先を丸く整えたボブにした。


 首の後ろから一周半回したカナリア色の柔らかなショールは変わらないが、アルマのドレスは着ていない。


 白い綿の丸襟の長袖シャツに紺色の麻の膝下まであるスカートを合わせている。そして、先がスクエアになった茶色の革のサンダルを履いている。


 目的のものを編むための毛糸玉はたくさん持ってきたのだが、もともと不器用なため、ほどいてばかりでなかなかすすめることができずにいる。


 ため息をついて手を膝におろし、湖に目を移す。


 ここを舞台にして争った二年前の出来事をそれ以上に遠く思った。


 すぐそばにいるおぼつかない足取りの持ち主に目をやる。


 白い長袖のTシャツに薄い水色の半ズボン、小さな足に白い布靴を履き、いたずらに持たせたレンゲを握りしめたまま尻もちをつく。


 愛らしさに微笑みがこぼれ、心のそこから幸せがこみあげた。


 そろそろ昼食の時間だ。


 新しい都市の建設に関わっている者たちが、湖を囲む小高い森を抜け、緩やかな坂道をくだり、こちらを目指してくる頃だ。


 話し声が近づく。

 その姿が見えるまで約三十メートル。


 森から最初に現れたのはサジンだ。


 カナリア色のショールは巻いていないが、シャツにベスト、そして分厚い生地のスカートといういでたちは変わっていない。

 今は腕まくりをしている。


「マンゲールも復興して人々も増えた。そろそろ町の壁を作るべきだ」


 オーヤが続く。

 腕も胴も太く、肉体労働はサジンよりも得意そうだ。


 黒い半袖のTシャツに膨らんだ深緑のパンツを合わせ、すねで絞っている。


「壁なんていらない。閉鎖的な都市にするつもりはない」


「私が言っているのはイノシシが入ったら危険だという意味だ」


「この辺にイノシシなんていない。あんた、どんな山奥の出身なんだ」


「山奥のド田舎の出身で悪かったな!」


 言い争う者たちが足を止めた横を抜けてイシュリンが一番にこちらへ来た。


 相変わらず“神官らしくない”カジュアルな服装だ。


 青緑色のワイドパンツに、裾が臀部を覆う生成りの綿の長袖シャツをあわせ、編んた細い革ベルトを腰で二重に巻き右側で結んで留めている。


「待たせたね、憂理」


 私が笑顔を見せると、そばでぺたんと座る髪の黒い乳児の男の子に視線を落とす。

 かがんでその脇の下に手を入れ、大切に高く持ち上げる。


「ミナリン、あなたの叔父さまですよ。毎日のように重くなるね。私も会うたびに重くなっていましたか? 叔父さま」


 と、すぐ後ろのラセンを振り返った。


 ラセンも下は変わらず貴族の男が履くスカートだったがベストは脱いでいる。


「お前もそうだった」


 目を細め、懐かしそうにイシュリンと見比べる。


 アキが来た。


 ショールはないがあとは変わらない。

 白いシルクのシャツに合わせた海色のベストが日につやめく。

 前髪を長めに作って額を出しており、後ろは毛先を軽くして肩まで伸ばしている。


「セツナ、私の息子の名はミナトだ。勝手に“リン”をつけるな」


 抗議するが、セツナと呼ばれたイシュリンは聞いてない。


「この子は神官になる……。私にはわかる」


 ワイクが並ぶ。

 丸首の紅茶色の長袖シャツに、生成りの麻のストレートのパンツという服装は変わらない。


「私もそう思う」


 神官につかえる禰宜(ねぎ)はイシュリンに同調する。

 私は“予言”を信じかける。


「飛翔、どう思う?」


 アキの隣に立った飛翔にたずねる。


 膝下の長さのベージュのパンツを履いた飛翔は白い半袖シャツで腕を組む。


「おれはそれよりも憂理が編んでいるミナトのカーディガンが、成長に間に合うのかを心配してる」


 冷やかされ、唇をとがらせる。


「間に合うったら。多分……」


「多分?」


 弱気な自信を皆に笑われた。


 その後、男たちは協力し、あらかじめ近くの木の下に巻いた状態で置いていた毛布四枚を持ち出して広げる。

 その間にアキはイシュリンからミナトを渡され胸に抱く。


 私も編みかけのものをかたわらの小さなトランクにしまい、立ち上がって敷いていたハンカチを拾う。草をはらってくるくると巻き、トランクの持ち手に結びつけた。

 それを数歩はなれた木のそばに立てかけ、代わりにふたつの大きなバスケットを両手に持った。


 皆が毛布の上で円を作って腰を下ろす真ん中へ置き、膝をついて、ふたを開ける。

 順番に手が伸びてくる。


 たくさんにぎってきた杏のおにぎりはすごい勢いで減っていく。


「憂理」


 私が下がって輪に加わり横座りになると、隣のアキは真面目な顔で、正面から抱いたミナトを背中向きに渡そうとする。

 相変わらず抱き方が下手で、息子はのけぞり、いやがっている。


 私は受け取り、膝にのせる。

 母親の胸に抱かれ、ミナトは大人しくなった。


 顔をのぞくと、幼子(おさなご)は向けられるたくさんの笑顔にきょとんとしている。


 その柔らかな頭にそっと頬をよせる。


 そして透きとおった青空を見上げた。






 <おわり>

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