第89話・ひとりじゃもう生きられない
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アキが通ってきたあとにはぞっとするような赤黒いあとがあった。
刺された傷から大量に出血し、アキは耐えられず横向きに倒れた。
「アキ!」
私の目から落ちた涙がアキの顔を濡らす。
私を見つめる黒い瞳が閉じられようとしている。
最後の力を振り絞って私の頬に触れようとする左手の薬指には金の指輪がはまっている。
それを私も左手で握った。
頭がどうかして泣きながら笑った。
「アキ、ロミオとジュリエットって知っている? ふたりは密かに結婚していて、ひとりが死んじゃうと、もうひとりも死んじゃう。愛しているから、ひとりじゃもう生きられないんだ」
自分でも支離滅裂なことを言っているとわかっていたが、止められなかった。
「アキが死ぬなら私も死ぬ」
アキの体に刺さっていた剣を引き抜くと、自分の心臓に当て、強く突き入れた。
だが、剣が入った感覚がしなかった。
黒い剣だったものは光を放つとそのまま消えた。
「なぜ、剣が消えたんだ……?」
アキがつぶやく。
私は飛び去ろうとする魂を引き留めようとアキに覆いかぶさり、頬を手でつつみ口づけた。
しっかりと胸を合わせた。
すると、ふたりの体の間から光があふれ、深く傷ついていたはずのアキの体が元に治っていくのを感じた。
白かったアキの頬と紫色の唇に血色がよみがえる。
黒い瞳に輝きが戻った。
「アキ……。どういうこと?」
いぶかしみながらも、おそるおそる体を離し、座り込んだ。
アキは手で支えながら、体を起こした。
「わからない。どうなっているんだ」
頭(かぶり)を振る。
アキの体をそっと手で撫で、確かめる。
やはり、傷はなくなっていた。
「異世界から来たものには神官が持つ癒やしのチカラがある」
イシュリンの声がした。
アキが通ってきた通路の後ろから現れた。
「イシュリン」
「憂理、光の矢で相手の魔力をうばう能力は、本来、神官にしかできないものだ。異世界から来た憂理と飛翔は強い魔力のみならず、私と同様に傷ついたものを癒やすチカラを持っているんだ」
「知らなかった、教えてくれよ」
階段の下で見守っていた飛翔が、大きなため息をついた。
「マンゲールで鞭打たれたワイクをその場で治してやったのに」
「貸しにしておいてやる」
イシュリンの隣に立ったワイクがにやりと笑う。
オーヤに助けられながらラセンが来る。
その後ろからサジンも姿を現した。
「サジン!」
私はアキから離れ、サジンに抱きついた。
「サジン、よかった! 生きていた、生きていた!」
「憂理さま、まだ体が痛みます。お手柔らかに」
温もりを持った体で瑠璃色の瞳が困ったように微笑する。
「やれやれ、ラセンさんはスルーされちゃってお気の毒だ」
オーヤに指摘され、少し戻るとラセンもしっかり抱きしめた。
服は血で濡れていたが、体に傷はなかった。
「憂理さま……」
わびるオレンジ色の瞳に微笑して首を横に振り、抱きしめる手にちからをこめた。
「ごめんね、オーヤ」
ラセンに体を押し付けたまま、顔を向け謝った。
「すべて皇帝を倒すために必要なことだったと知った。憂理はよくやった」
笑みを浮かべたオーヤの大きな手に頭をなでられた。
「こんなに、ちっこいのにな」
ポンポンと軽く頭を叩かれる。
サジンは私に触れることを遠慮しており、ムッとしてオーヤの正面にまわる。
「憂理さまに触るな! 失礼だぞ!」
私の頭からオーヤの手を払いのけた。
〈続く〉
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