第75話・私は復讐を忘れない(2)
“見えない神殿”を探し始めてから一週間が過ぎた。
また日が落ちたため、イシュリンと共に待ち合わせ場所のキリアの食堂の前で飛翔を待つ。
戻った飛翔が首を振り、今日も見つけられなかったことで気落ちした。
それでも、明かりとざわめきが中から漏れてくる食堂で夕食を取れば気分が変えられるはずだった。
だが、イシュリンは、
「私は空腹ではない。先に皆で借りている家に戻っている」
と告げ、私と飛翔から離れた。
「気をつけて」
と、アキさえ敵わぬ神官を見送る。
同じことを考えていたようで、飛翔は、
「アキか」
と、つぶやいた。
ふたりでのれんをくぐり、ガラス戸を開けて木造平屋の食堂に入る。
広い店内は天井からランプがいくつもぶら下がっており昼間のように明るい。
木でできた長いテーブルが四卓あり、五人ずつが向かいあい背のない丸椅子に腰掛け食事が取れるようになっている。今は半分ぐらいが埋まっている。
飛翔ができるだけ人々から離れた席を探す。
「あっちが空いている」
と指さし、そこで向かいあい席についた。
最初に味噌汁とふるまってくれた女は、干したイワシまでアルマに取られるとぼやいていたが、逆にキリアの食材はあれ以来、豊かになったようだ。
この店には定食のメニューがあり、それをいつもどおり注文した。
トレーに乗せられ出されたそれに手を合わせ、焼き魚とご飯の夕飯を食べはじめる。
おもむろに飛翔が語る。
「神殿を探し始めた初日のことだけど、おれのところへアキが現れたんだ」
私は手が止まり鼓動が強くなった。
傷つけられたのではないかと心配になり、体が震えた。
「戦いになったけど、ダメージを与えることはできなかった。だが、追い返したから大丈夫だ……」
それに安堵し、深く息を吐いた。
飛翔はさらに何かを話そうとして口をつぐんだ。そのまま黙って箸を進めた。
アキにとても恐ろしいめにあわされ、それを考えないようにしている気がした。
私は、わざと明るくふるまう。
「怪我しなくてよかった」
その右手に注目する。
「ラセンに手首を折られたの、もう治ったんだ」
飛翔は切り替える。
「治ったよ。この通り、なんの支障もない。味噌汁をもらったときのおばさんが手をやけどしたのをイシュリンが治しただろう? 神官のイシュリンには治癒の能力がある。ワイクとオーヤもアルマと戦い傷つけられたけど、イシュリンがすぐに治したんだ」
「そうなんだ……」
まだまだイシュリンのことを分かっていなかったと反省した。
飛翔がまた箸を止めた。
「憂理、おれはアキに同情なんてしない。たとえ今は皇帝にその魔力を利用されている存在だとしても、聖なる玉を見つけて皇帝を倒し、その後釜になろうとしている。魔力を持った一部の者たちが、無力な人々を支配する体制に変わりはない。おれたちレジスタンスがアキより先に聖なる玉を手に入れ、アキの野望を打ち砕くんだ」
「わかってる」
うなずいて飛翔に同意しながら、自分にも言い聞かせる。
「私、もっともっと頑張る」
梅干しの載ったご飯をほおばった。
「負けたくないから」
「イシュリンがいる限りレジスタンスがアルマに負けることはない。だけど、憂理のことは……」
飛翔は、なぜかそこで長く間をあける。
重くなった視線を食卓から上げ、改めて私を眺めた。
そして、何度もくり返してきた言葉をまたくり返す。
「何があってもおれが守るよ」
「……ありがとう」
その瞳の変化には気づかなかった。
「これ、ちょうだい」
と、飛翔のおかずの焼き鮭に箸を伸ばした。
「腹減ってんだから取るなよ」
皿を遠ざけられ、声に出して笑った。
私の目的は変わっていない。
愛流に対する復讐だ。
私を誰からも愛されることのない体、正確には愛される資格がない体にした。
そのうえで、肉体を使ってアキに私を裏切らせた。
私は女の屈辱を何度も味わうことになった。
愛流をけっして許さない。
「“見えない神殿”、早く見つからないかな」
ため息をついて、何気なく視線を飛翔の背後の壁に移す。
そこには魔法陣をデザインにしたタペストリーがかけられていた。
ーーーーー
イシュリンは、にぎわう食堂から離れ、ナジの住処の近くに借りた家へ向かう道に出る。
だが、しばらくたたずんだのち、足を逆に向け暗い海辺へ向かった。
星明りに導かれ誰もいない桟橋の先端へたどり着く。
そこで腰を下ろした。
かすかな光を受けた黒い波が何度も寄せてくる。
絶えることなく繰り返される。
アキを救いたいという気持ちはレジスタンスの仲間たちには理解されないとわかっている。
アキ本人ですら理解することはない。
アキは母親を恋しく思うほど、自分に憎しみをぶつけてくる。
その憎しみが強すぎる魔力となり、アキの肉体の限界を越えるか、あるいは廃人になるほど精神を疲弊させるか、いずれにせよ本人を破滅に追い込もうとしている。
皇太子を自らがもてあそぶ者としている皇帝の思う壺だ。
アキはそれに気づかぬほど愚かではないと考える一方で、母親の存在の大きさを知るからこそ信じきれない自分がいる。
自分は“母親”が死んだと聞かされたとき、転げまわって大声で泣いた――。
海を見つめる。
暗い水中を探ろうとする。
心の中を探るように。
アキを救いたい。
それを理解するのは対立する関係にある叔父のラセンだけだ。
ラセンは自分とアキをつなげている。
自分とアキのふたりともを大切に思っているはずだった。
自分のために片目すら犠牲にした。
そのラセンをなにがあっても信じる。
それがアキを救うことになる。
目を星空に転じる。
長くみつめた……。
立ち上がり、桟橋をあとにした。
<続く>
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