第72話・五年前を思う
マンゲールの近くの湖に転移したワイクとオーヤも同じように水中からポールを立て、ふた手に分かれて神殿を探した。
だが、日が暮れたことで水中が暗くなり、捜索を翌日以降に持ち越すことにした。
岸で焚き火を起して湖で獲った魚を焼き持参したジャスミン茶を淹れる。
パチパチと枝がはぜる中でワイクが空を見上げた。
「あと三日で満月だな」
「なんだって?」
オーヤが不審に思う。
「月なんてない」
ワイクがそれに答える。
「私もそう思っていた。だが、眼球を失ったことで見えるようになった。夜も昼間と変わらず魔力で物を見ることができる。怪我の功名だ」
「やれやれ。禰宜(ねぎ)さまはいつも前向きだ」
オーヤは失笑してカップに口をつけた。
「……それで人を傷つけることもある」
夜が思いを繊細にした。
そこでいったん会話が途切れた。
オーヤは炎を眺める。
「マンゲールを破壊したんだな」
「人々が働かされる石切り場になっていた。仕方がなかった。私ではなく飛翔がやった。飛翔にやってもらった。私はできなかったかもしれない」
ワイクもモノクロームの視野で揺れる炎に目を移しまぶたを閉じたが、変わらずに燃えて見えた。
「あのとき、何があっても私は神官のイシュリンを守らなければならなかった」
「イシュリンはあんたを恨んでいない。おれのことも恨んでいない。誰も恨んでいない。ただ悔しく思っているだけだ」
ワイクは答えずにいる。オーヤは慰める。
「もう五年も前のことだ」
「まだ五年だと私は思っている。私の方が……。オーヤよりも罪深い」
「罪があるのは皇帝だけだ」
「……そうだな」
ふたりは五年前に思いを馳せた。
ワイクは二十四歳、オーヤは二十歳、そしてイシュリンは十五歳だった。
ーーーーー
五年前、ラセンは三十歳だった。
炎を見ていた。
信仰の対象を皇帝にすることでネイチュの神を祀る神殿は廃止になった。
神官は片端から捕らえられ帝都に集められた。
広場に立てられた柱に後ろ手にされて鎖で縛りつけられると足元に藁の束と薪が次々と積まれる。
たいまつを持った役人に火をつけられ焼き殺された。
ラセンは火あぶりにあった者は体を焼かれることではなく炎が燃えるときのー酸化炭素で窒息死することを知っていたが、苦しさのあまり嘔吐して激しく暴れ、死んだあとに皮膚がふくれ、嫌なにおいを黒い煙がまき散らし、やがて燃え尽きて消し炭のようなガイコツになったのを見た。
眼だった穴と口を開けたそれは、そのまま何日も広場に放置された。
カラスがついばみ、頭部は落ちると野良犬のおもちゃにされた。
ラセンは護りの固いマンゲールの神殿に残る最後の神官を捕らえる役割に志願し認められた。
残忍な皇帝は十五歳の神官がラセンの甥だと知っていたが、ラセンがそれを行うことを楽しんでいた。
ラセンのこころはひとつだった。
イシュリンを火あぶりで苦しめて死なせるよりは身内である自分がひと思いに殺す――。
直ちに転移してマンゲールの神殿へ向った。
十年前に五歳のイシュリン――本当の名前はセツナ――が、泣きながらラセンを引き止めるのを「また来月も来るから」となだめて以来だった。
ラセンは嘘をついたつもりはなかったが、結果として嘘になった。
神殿を護る神のチカラは特別に強く、また強大な魔力を使う者が数人おり、その排除に手こずった。
彼らは協力し神のチカラが魔力にまさる森の中にイシュリンを連れて守ろうとしていた。
だが、ラセンは神殿廃止の情報を聞きつけた彼らが、あらかじめ森の中に別の神殿を用意していることをつかんでいた。
ーーーーー
「魔力を持つ他の者たちが犠牲となって時間をかせぎ、禰宜の私はイシュリンひとりを森へ連れようとした。私の魔力ではそれが精一杯だった。イシュリンは“母親”を置き去りにはできないと必死に訴えた。アキを奪われ、自分と離されたら、彼女は今度こそ生きる希望を失ってしまうかもしれないと。そこにあの男が現れ強大な魔力でイシュリンを攻撃した。だが、イシュリンは無意識のうちに半球の結界を作り、それを無効にした」
「おれはラセンに雇われて森に潜み、イシュリンを仲間と待ちかまえていた。まだ魔力が弱く、剣でひと思いに殺すよう前金を渡されていた。死体を見せて残りの金をもらう約束になっていた。すると、あんたが」
「“イシュリンの殺害に成功したところで、お前はどのみち、あの男に殺される”」
ーーーーー
ラセンはイシュリンが森の中の神殿に入ることで自然に作った初めてのドームを激しく攻撃したが破壊できなかった。
結果として逃すためにマンゲールへ行ったことになったが、そのまま帝都へ帰った。
自分が逃げれば残された主(あるじ)のアキが殺される。
アキを守るためだった。
皇帝に激怒され何度も足蹴にされた。
皇帝がラセンを火あぶりにすると命じる直前に、かたわらで自分の側近の失態を見せつけられていた十五歳の皇子アキが飛び出し、ラセンの顎を引き上げ、その左目をえぐり出した。
皇帝の足元に駆け寄り、
「この通りの節穴です」
と、ひざまづき置いた。
皇帝がそれを踏み潰すとアキはその足に口づけた。
皇帝はそれで怒りを鎮められ背を向けて去った。
アキは見届けると立ち上がり、ラセンの前へ行き見下した。
唇を噛み込むと、醜態を晒した側近を力いっぱい張り倒した。
以来、ラセンの左目は義眼になっている。
<続く>
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