第52話・皇子のプライド

 


 シャビエルの宮殿の前にある転移場へつくと、アキはつないでいた手を離した。

 私を放置し、宮殿の入り口へ向かう。

 遅れて後を追った。


 私がホールに入ると、アキは待たせていたラセンとサジンに、

「憂理は、ふたつめのドームに潜入させていた。状況がつかめたため連れ帰った」

 と、語った。


 サジンはそれが上の空になるほどアキのルックスの変化に衝撃を受けていた。


 アルマの紋章はなく、服も裂かれ、何より長かった黒髪が首の後ろでバッサリと切られている。


「これは全て自分でやったことだ」

 とだけ、アキは告げた。


 だとすれば、誇り高いアキのそこまでの怒りをかった何かがあったと冷や汗をかき、表情を変えないラセンに目で問いかけた。


 アキはそのまま、ふたりを置き、エレベーターへ進んで扉を開け、肩越しに私へ視線を投げて呼ぶ。

 私がそれに従い乗り込むと、小さなキッチンがある八階で止めて降り、一番近い部屋の扉を開けた。


 中は二十畳ほどの横に長い女性的な部屋で、窓は大きく、壁はクリーム色に塗られている。


 磨かれた白い石の低く丸いテーブルを前にして、窓を背に、さくら色の布地のゆったりとしたソファが置かれ、そばに木の椅子がいくつかある。


 私が女官相手に世間話をする部屋だ。


 アキはテーブルの花瓶に花を活けていた女官に、


「ココアをひとり分、持ってこい」

 と、命じる。


 女官はアキの姿に驚いて口元を抑えたが、うながされ、あわてて部屋を出た。


 私はソファを指でさされ、そこに座った。

 アキは砂漠を離れてからひと言も私に話しかけることはなく、戻ってきた女官に飲み物を私の前へ置かせて下がらせた。


 そのうえで少し離れた壁に腕を組んでもたれた。


「私は砂漠でも魔力が使える」


 と、冷ややかな目をむけ、うそぶく。


「あの男のやり方が気にいらなかっただけだ。私自身のプライドのために戦った」


 私から視線を移し、冷たい唇のまま、よそを眺めた。


 私はそれを言い訳だと思った。


 目的のためなら手段を選ばないアキらしくない。


 私が必要ならば、すぐにその場で魔力を使えばよかったのだ。

 相手が卑怯であればこそ、それに付き合う必要はなかったはずだ。


 アキは続ける。


「十六歳で皇太子になるまで、私は魔力のコントロールだけではなく、あらゆる武器の使い方を学んだ。どれも一流でなくては気がすまなかった。強大な魔力の持ち主だからといって私に武器は扱えないと決めつけた、あの男のなめた思い込みを砕いてやった」


 言葉に強い怒りがこめられた。

 そして、嘲(あざけ)る。


「勝利したところで剣をすぐに捨てたのも、甘いレジスタンスはそれで逆に攻撃をしなくなると読んでいたからだ」


 再び私に顔を向ける。


「あの男に屈辱感を与えるためにお前と口づけた。お前はただの道具だ。復讐するために互いを利用しあう関係に変わりはない。私は誰も愛したりはしない」


「わかっている……」


 私は畳み掛けられ、それはアキの本心ではないと信じながらも傷つき、涙がこみあげた。


 アキに答える。


「私はあの女に誇りを踏みにじられている。だから、元の世界へ戻り、復讐してやると誓った。でも……、今はもうアキを利用していない」


 うつむいた。


「アキは皇帝になっても、輝く魔法陣を私に使いたくないのならそれでいい」


「そう思わせるのも計算のうちだ」


 アキは言い放ち、私を置き去りにして素早く部屋を出ようとする。


 その背中を言葉で追う。


「アキ、助けに来てくれて……、ありがとう」


 アキは戸口で動かなくなる。

 呼吸が大きくなり、何かを必死にこらえる。

 徹底的にあらがおうとした。


 だが、それに負けて踵(きびす)を返し、ソファから立った私に大股で歩み寄る。

 もどかしく頬を両手を包み、繰り返しキスをした。


 私は決して揺らぐことのない気持ちに応えられ、涙がせきをきった。


 何度も唇を求めあう。

 交わしたかったすべての口づけを取りもどす。

 すれ違っていた大切な時間を取りかえす。


 きりがない口づけをどちらからともなく止めると、私をまっすぐ見つめるその黒い瞳に嘘はなかった。


「お前を愛している」


 ずっと聞きたかった強い言葉とうらはらに、アキは私の唇を親指でそっとなでる。


「アキ……」


 私も同じ言葉を返したかったが、続かなかった。

 代わりに、その広い背中に両腕を回し、頬を押しつけ抱きしめた。


 この先、何があっても絶対にアキから離れないと決めた。


 アキも細い私を腕の中に封じる。


「愛している、憂理」


 これ以上はない優しい声で繰り返し、名前を呼んだ。

 私の髪に長く口づけ、頬をすり寄せると、体ごと温もりで包みこむ。


 そして、誰かを睨みつけた。


「私をなめるなよ」


 ーーー


 帝都の宮殿にある皇帝の寝所は幅が十メートル、奥行きは十五メートルもある広間だった。


 長い壁の中ほどにキングサイズの豪華なベッドが置かれている。


 マットレスは床から一メートルの高さがあり、ひだのついた厚い布が床との間をぐるりと囲んでいる。


 その四隅には楕円をつらねたようなデザインの丈夫な柱が床から三メートルの高さで伸び、その一メートル上にある天井の真ん中から左右に垂れ下がる透けた二枚の布を受け止める天蓋を支えている。


 皇帝はいま、ベッドにいた。

 周囲を覆うはずの薄い布を足元で分け、ガウンのまま横たわり大きな枕に半身を載せている。 

 その手にはグラスに入った赤ワインがある。


 ベットの四隅の柱の高みから、S字を横にした細い鉄棒が内側に向かい、その先端に吊り下げられたランプの炎が、傍らにある長い栗色の髪をゆるいカールごと艷めかせた。


 持ち主は仮面で目元を隠した裸の若い女だった。


 女の首のつけねには輪のひとつが三センチある太い金の鎖がついている。


 皇帝はその腰を撫でる。


「アキは“いい皇太子”だ。強い魔力でわしを楽しませる。わしに奴隷のように従い、アルマが世界を完全に支配したのならば譲位すると言ったことを信じ、皇帝になれると思い込んで躍起になっている。愚かな皇子だ」


 鼻で笑うと赤いワインを回して眺めた。


「ネイチュ全土の支配のために使うだけでは手ぬるいと言うお前の意見を取り入れ、新しい帝都の建設という難題も押しつけた。ネイチュの者どもの憎悪があれに集中する。その討伐に追われるうちに強大な魔力も尽きる。あるいは魔力のコントロールを失い自滅するだろう。悶絶して死ぬか、気が狂うか、あるいは下賤な者たちに殺されるか」


 ワインを飲み込むと、空のグラスを足先の床に投げて割った。

 破片が飛び散る。


「あれの運命を悲惨なものにするのはとても面白い。むごたらしい死に方をしたら興奮のあまり何十人もの子供が作れるはずだ。そこからまた皇子同士を戦わせ、新しい皇太子を立たせて弄ぶ。死なないこの身ではそれぐらいしかすることがない」


 また、女の体をさすった。


「全てお心のままに」


 仮面の女が追従して嗤(わら)った。





<続く>

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