第12話 使者

・首相官邸、官房長官室


 鹿島と稲妻は官房長官室でリー大統領到着のニュースのテレビを見ていた。他に設置されたモニターには、外務省が撮影し情報を付与した画像が投影されている。ニュースのライブ中継はタラップから降りてくる大統領を追い続けるが、外務省の画像は、機体から降りてくる政府の要人の姿を写し続け、それぞれの顔に、姓名や所属が次々と表示される。

「うーん。やっぱり警察県警者はともかく、軍関係の人間が多いですね。対テロシフトをしいて、現場で判断できる為だとは思います。あとは要望のあった、両国サイバー連携会議の為の通信関係機関のメンバーと。」

 稲妻はメンバーの役職などを見ながらそう感想を述べた。

「向こうさんも、まだ全然終わっていないという意識なわけだ。」

 鹿島はモニターを見ることは稲妻に任せ、書類に目を通しながら、リアルタイムで感想だけを受け取る。外交は戦いであり、ちまちまと書類にしている時間は無いからだ。今の最重要課題は、歐亞中央の動きにより、彼らの情報機関が捉えているラザロ事件関連の情報を、その一挙手一投足から透かして見て取ることだった。

「そうですね。あと会議でそのことを議題にあげるつもり何ではないかと思います。外務省が事前にネゴしている議題に対して、要求している時間が多いんですよね。」

「そりゃそうだろうなぁ。向こうが有効な情報を持っていた場合、ウチに対して貸しを作れるいい機会になる。だから鉄火場になる可能性があろうが、やってきた。まぁその代わり、やれ専用車入れさせろとか、銃を携帯させろとか、軍艦係留させろとか、さんざんてんてこ舞いさせられたけどな。なぁ、稲妻君。」

「本庁をなだめるのは容易じゃなかったですよ。」

「その危険を冒しても、今このとき、我が国を綱引きで自分の側に引っ張りたいんだろう。」

「先に多大なる外交的マイナスイメージを払拭してからお願いしたいものですが。」

「まぁそこでしれっとしてられるのは、一般的には外交において優秀である、とも言える。」

 鹿島はククッと笑った。

「おや?」

「どうした。」

 稲妻は飛行機から最後に降りてきた、若い人間を見つめる。

「こいつ、電公のグオですね。電子公安警察の。」

「ウチの機関に例えてくれ。」

「国民総監視システム千里眼の元締めと、あとはまぁあえて言えば椎名の仕事を100倍ぐらいやばくした感じです。おわかりいただけたでしょうか?」

「は、やばいやつだと言うことは分かった。その手のレベル感は分からないから君に任せる。害をなすなら対処を。で、今のところ例の密造銃のテロの兆候はないのか?」

「ありません、銃は9割5分抑えました。あと5丁ですが、所持者を追跡中です。それよりも目下の懸念は、ああ、こっちです。」

 テレビのニュースが切り替わって、各地で発生しているデモの話題に移った。

「続いてデモのニュースです。歐亞中央のリー大統領の来訪に際し、これに反対するグループと、在邦歐亞中央人団体および学生が、インターネット上の呼びかけに応じてそれぞれデモを行うとしています。警察は警備の都合上、許可しない決定をしましたが、それに対する抗議行動も発生しております。またその他に、オリンピックそのもの開催に反対する団体や、外国人労働者に受け入れに反対する団体と人権擁護団体、パラリンピックへのアバターの導入に関し、健常者への逆差別だと糾弾する団体と、ハンディキャップ者のサポート団体など、オリンピックを取り巻く様々な課題に対し、このところ国民の議論が沸き起こっています。さて、来日したリー大統領ですが、かつて日本への留学経験もある知日派で…」

 テレビにデモ隊が同じ場所で鉢合わせてもみ合いになっている映像が表示された。ニュースが切り替わったところでテレビの音量を下げた。

「サイバーコマンドの秋尾が以前出したレポート覚えていますか?」

「ああ、覚えているよ。アバターやオートマタを使ったサイバー煽動の話だったな。」

「その発生を警告しています。現状例のおキツネさまなるものの飛び降り演出事件の裏で、盗難されたままになっている多くのアバターの存在、5丁の機関銃、そして同じく盗難されたまま見つかっていない重機。L国の時の国家転覆の暴動のようなことが起こるんじゃないかと。」

「あれは私も読んだが、あのときはベクトルがそもそも将軍の不正発覚に向かっていたし、いまのようにバラバラじゃなかった。そんなにいっぺんにまとまるなんてあり得ないだろう。それに身内びいきかもしれないが、鏡水総理は不正を糾弾されるそういうタイプじゃあない。いくらなんでもなぁ。」

「しかし少なくともオリンピック前に混乱を起こして、国家の信頼を傷つけることはできます。」「…機関銃の一件は、物証があったから説得できたが、今度は単なる推測に過ぎないと片付けられる可能性が高いぞ。」

「秋尾は今回の攻撃を2つの要素に分けています。一つはおキツネさまの名の下にオリジナリティあふれる見たこともない攻撃を繰り出す悪意のハッカーの例。もう一つは昨日秋尾たちが仮想空間で戦ったという、プロフェッショナルな戦闘部隊がメインで、これをハッカー部隊がサポートしている例。この先は後者のハイブリッドな攻撃が、つまり、攻撃の中に軍レベルの物理的攻撃が加わってくると言っています。ぜひ、そもそもの設立趣旨である、防衛出動の可能性まで、予断を持たずお考えください。」

 鹿島は腕を組んで考え込んだ。確かに稲妻が言うことは、自分が裁可したことに基づいている。何事も予断を持つべきではない。あらゆる可能性を考え、その為にはどうしたらいいか、それを考えるべきだ。そう思い至る。

「分かった。何かあったときのために、必要な人間には話をしておく。君は逐次必要な『有効な』情報を収集してくれ。それと絶対に銃撃事件を起こさせるな。」

「はい!それは、秋尾の部隊とSATが、デモ現場で対処に当たるそうです。最大限の効果を狙ってやるならそこだと。」

 鹿島はそれを聞いて頷いた。稲妻は腕時計を見てから「それでは」と軽く礼をして、官房長官室を後にする。そして懐から携帯電話を取り出すと話し始めた。

「サインカーの手配どうなった。うん。うん。あと、それからお忍びの件、警備手配できているか?」


・アイアンナイト、特殊部隊区画、執務室


 椎名はリー大統領の来訪に際して開催されるサイバー連携会議のため、官邸近くの内閣官房の執務室を拠点に動き回っていて、なかなか連絡がつきにくい状況になっていた。それは表の顔がある以上仕方が無いことだった。一応各種の報告をまとめ投げているのだが、返事はない。時間を切って返事がない場合は、秋尾の判断で部隊を動かして良いということになっているのだが、椎名を通してその先に働きかける場合には、レスポンスがないとどうしようもなかった。ただ警察関係の横の連携は、幸いなことにこの事件を通してスムーズにつながるようになり、問題が無かった。とはいえ、今後発生が予想されるデモを使った煽動、そしてそれを防ぎきったときに派生するだろう『最後の手段』である物理的な攻撃が、相手が何を目的としており、そのためにはどの範囲まで狭量関係を結べばいいのかが、不明確であり自分なりの答えが出せずにいた。通常のテロリストならば、当初からその政治的要求や、組織としての存在のアピール、あるいは金を求める行動など、何らかの目的が明確なのだが、ことおキツネさま、そしてそれに連なるであろう、暁のラザロの目的がいまだクリアに見えなかった。

 先日のGENESISでの襲撃も、コーディネーター氏の協力で、作戦後に敵ギルドの権利を手に入れたが、やはりというかすべてのアクセス者はダークネット経由で行われており、ラザロ一味の特定には至らなかった。

 そしてラザロと戦って返り討ちに遭い、逆に拘束を受けたハウとパトロは、当時の状況をよく覚えていないという。AB360を使ってフルの能力を発揮している二人を易々と拘束するのは、にわかには信じがたい。だが、襲撃時の司法取引の促しに従って自首してきた人物の中に、あの教室にいた者がいて、彼らをしても神業のようでどうやったか分からなかったし、白い者は特に何も話していなかったと言っていたのだ。おそらく二人は一瞬脳しんとうを起こしたか、喉をえぐられる感覚を脳が過度に感じて情報を遮断していたかなのだろう。秋尾は机の上のメモ帳にラザロ、ラザロと文字を書き、目の前に接近した、あのてるてる坊主のような姿を落書きした。そして、ああああああ、と声を上げて、両手で球を激しく掻いた。

「秋尾隊長、入っていいか?」

「ああ、いらっしゃい。」

 ギルマスとシリウスが入ってきた。二人は間が抜けたような秋尾の返事を少し笑った。事務机の横に来て、適当な椅子を引き寄せ横に座る。シリウスが買ってきた甘い缶コーヒーを二人に渡した。

「お悩み中だったか?」

「いや、大丈夫だ。思考がループして、ちょうど抜け出したかった。シリウス、甘いもん、飲みたかったんだ、ありがとう。」

「いえ。多分、ループ中で熱暴走していると思いました。」

 シリウスが机の上にあった秋尾の落書きを見つけて興味を示した。見てもいいですかと言われたので、秋尾は苦笑いしてそれを差し出した。

「お目汚しですが…」

「ラザロ…、イエスさまのお友達ですよね。死んでしまったラザロを、イエスさまがお墓を訪れて、出てきなさいっていうと、ラザロが出てくるんですよね。復活の象徴。のちにキリストさまが天に召されて、人々の罪が許されることの予兆。」

「詳しいね。捜査資料読んだ?」

「いえ、私ミッション系なんで、こういうの授業のうちなんですよ。普通の学校のように宗教委員とかあって。」

 シリウスはペロッと舌を出した。

「この絵は聖書の挿絵ですか?」

「えっ?これラザロの格好なの?資料にあったのは、もっとこう裸みたいのだったけど…」

「ああ、いろいろありますよね。でも私が見た聖書で一番に残ったのは、こんなふうに白い布を上からかぶせたようなのだったんです。あと包帯まきまきのとかもありますね。」

「…やつら、本気でラザロのつもりなんだ…。」

「なんか違うのか?」

「いや、いま北洲難民が居住区作ってる歐亞中央のあの辺には、昔ラザルスっていうハッカー集団がいて、それのもじりかと思ってたんだ。でもそうじゃなくて、本気で復活の象徴のラザロなわけだ。じゃあなんだ、消滅した北洲を復活させるのか?暁もその意味か?」

「国を復活させるって、そんな簡単にできるのか?」

「いやぁ、なんかそういう自称亡命政府的なものがあるが、亡命政府から復活して国を取り戻したなんて例はほとんど聞かないしな。それに元北洲の土地は、人は住めなくても、同じ種族の南海民主国が統治下に置いたことになっているから、北洲の国としての復活はないだろうなぁ。」

「そうかぁ。」

 秋尾とギルマスは頭をひねった。

「ギルマス、ここに来た理由をお忘れでは?」

 シリウスがわざとおかしくギルマスを促す。

「おお、そうだった。ニュースがあるんだ。良いニュースと悪いニュースが入り交じっているが。」

「たのむ。」

「ああ、一つはAB360のことだ。あの日俺がAB360を手配すると時に、物がなくて若干手こずったんだが、その理由が判明した。全国で40フィートコンテナを改造したAB360キャラバンというのをやっていて、それに数を取られていたから、イベント用のレンタル物がなかったんだ。ネットに広告が出て、AB360に興味がある人間を集める。集められた人間は秘密補保持をする代わりに無料でAB360のテストができ、一定の身体能力を認められると、さらにAB360をGENESISでのベータテストにご招待となった。銃組み立てスキルが楽しめ、戦闘スキルが積め、ハートマン軍曹のような人間の下鍛えられ、そういうアップデートが来るから試しにやってみてほしいということだったらしい。そしてその連中限定だが分かったことは、全員がスマートピーカーを持っていて、このベータテストに連動したアプリをインストールしていた。」

「就寝時パターンの刷り込みか!」

「おそらくな。インストールしたアプリは悪質な物じゃなくて、表向きはスマートウォッチと連動して、就寝状態を検知しリラックスミュージックを流すのと同じ理屈で、ダウンロードした音楽を流し、終わったらスマートスピーカーから消す。データは残っていなかったが、ダウンロード先のドメインが、ダークウェブに転送されていた。おそらく可聴外音声、聞こえたと思わないが脳が認識できるやつを用いたんだろう。しかも本当にヘルスケアアプリとしても体調が良くなる有用なやつだったから、誰一人疑問に思っていなかった。」

「くそっ!」

 秋尾は悔しさでテーブルを拳で叩いた。

「ただ今回は以前のように、知らない、覚えていないとなっていないんだ。また一色先生にも見てもらっている。」


・首相公邸 非公式昼食会


 来日したリー大統領を迎え、首相公邸で非公式昼食会が開かれていた。首相、官房長官、外務大臣、そのほかごくわずかのメンバーのみが参加し、記者も入れず会話をすることで、この後の公式なコメントへの齟齬がないように意思疎通を図る場でもある。そしてここでしゃべられることは、公式にはなかったこととして話は進められる。今回非公式をセットされたもう一つの理由は、リー大統領が通訳なしで会話することを望んだからでもあった。この国への留学経験がある大統領は、この国の言葉でしゃべることができるが、それは外交上は他国に対して下手に出ていると取られる場合もある。それは国内に対して高圧的な姿勢で当たることでこれを統治している身としては、反対勢力に攻撃の糸口を与えることにもなるのだった。また国内に対しては知日であっても親日ではないという姿勢を貫いていたし、また事実そうでもあった。

 食事を終え、庭園を見て会話ができる席に移動した。

「私がかつて留学していた頃は、貧乏学生で、学校の近くにある安い食堂によく通ったものです。友達がいてね。彼と一緒に、二人で未来のことをいろいろ話したものです。私は天津飯が好きでねぇ。あれは国にはないから、作り方を覚えて帰って、今でも時々作ります。」

 相手を威圧する目の力は変わらないが、言葉だけは昔を懐かしみ、その時代に飛んで言っているのだろうと、鏡水はその姿を涼しげな目で見た。

「なにか召し上がりたい物があれば、おっしゃってください。ご一緒しましょう。」

「あの、汚い食堂に一緒にいきますか?」

「きっと、おいしいんでしょう?」

「いや、おいしくないんですよ。」

 リーは鏡水の方を半分だけ見て、目力のある視線を向けた。

「でも、友達と食べると、これがまたうまい!」

 リーは口元だけで、ニッと笑った。鹿島は思わず笑ってしまいそうになり、慌てて真面目な顔に戻る。

「さて、前置きはこれぐらいにしましょうか。今日はプレゼントを持ってきました。」

 リーがそういって、肩の辺りに手を伸ばすと、控えていた秘書官が封筒を持って足早にやってきて、それをリーに手渡した。リーはその封筒の中身を確認すると、封筒に戻して鏡水に渡した。鏡水はそれを封筒から出して、いささか驚いた。リーがこれで何を話そうとしているのかも、ある程度予想ができた。鏡水はそれを鹿島渡す。鹿島も同じように驚愕した。

「中東の武器商人が売った帝絽製の40フィートコンテナ型ミサイル発射システムです。とある港で我が国に向けて出荷された物です。買い主は北洲の残党、臨時政府を名乗る物たち。お恥ずかしながらルーチンで撮影していたため、判明には時間がかかりました。該当の船を我が国の領海内で臨検を行ったのですが、そのときにはすでに、その貨物は消えていました。最近の貨物船は過度に自動化されため、便利な反面、その航路上での偽装が容易になっています。察するに貴国で最近起こっているテロ事件は、北洲が深く関与しているのではないですか?我々はそれらに関して、情報を提供する用意があります。受け取りますか?」

 鹿島はそもそもの内容もそうだが、話の振り方にぎょっとした。通常、首脳対首脳ではやりやらないのやりとりはしない。首脳は法律上の最終決定者であっても実際はシステムの最終出力を担う物であり、了承してもそれが法律に反する物であれば、許されないからだ。この国の言葉で話しかけ、場を和ませ、油断をした頃でYES/NOの質問に持ち込むしたたかさに、ある程度覚悟はしていたものの、歯がみした。こうなった場合、もはや鏡水の判断に任せるしかない。

「リー大統領。なぜこのテロが危惧される時期に、予定通り我が国にいらっしゃってくださったのですか?」

 質問に質問で返すのは、それはそれでまた外交的には失礼に当たることだが、鏡水の返しは質問ではなかった。ことの深刻度を確かめている。

「情報を提供することで、皆さんが事態に対処できると信頼しているからですよ。貴国には優秀な自衛隊がありますから。」

 リーは、あたりまえじゃないですか?というような顔をした。しかし、鹿島たちは驚愕した。もともと我が国の防衛強化は歐亞中央の脅威に対するものであった、それを一番反対して封じ込めようとしてきたのは歐亞中央だったからだ。これは本心の顔じゃないと感じた。鏡水はもう一度切り返す。

「貴国は北洲を庇護されていたと記憶しておりますが?」

「自らの意思をもった子は、親の元を離れていくものです。」

 今度はリーが、いかにもという顔でにやりと笑った。鹿島はなるほど、自衛隊の出動はともかく、目的に関してはこれが本心かと悟った。そして情報を提供する見返りもまたこれだと理解した。

「情報をお受けいたしましょう。」

 鏡水は終始表情を変えず、涼しげな顔のまま、そう答えた。

「では、あとは実務者同士で。」

 リーの提案に鏡水は頷いた。


・サイバーコマンド、特殊作戦区画、執務室


【秋尾隊長、至急情報セキュリティ室の本室まで来てくれるか?】

 秋尾は通話を受けながら、自分の都合だけは連絡してくるのだ、と思った。まぁ役人なんてそんな物なのだが。

【なんの準備をしていけばいいですか?】

 要件が分からないと対処しようがないというのを、1ステップ飛ばして秋尾に聞く。出動でもない限り、拒否権などはないのだが。

【歐亞中央の電子公安警察のグオ君、僕と同じぐらいの階級の人なんだが、彼が外務省の歐亞中央首都大使館の桑原君と、サイバー連絡会議に来ていて、この前の歐亞中央での青い鯨の探索で、桑原君に指示した人間に会いたいと言ってきているらしい。】

【審議官。それ直接はパトロですよ。特殊部隊員を相手国の公安を引き合わせていいんですか?】

【じゃあジャミングマスク着けて連れてきてくれ。】

【ええええ?】

【さっきトップ会談で、今回の一連のテロ事件に関して、全面的に情報連携することになったんだ。その話はまた別途するから、とりあえず至急来てくれ。】

【一応パトロの意向を…って切れてるよ。】

 秋尾はメンバーの呼び出しリストからパトロを選んで接続した。

【制服にジャミングマスクで車両乗り場に5分後。本室に行く。】

【…了解。】

 やはり、微妙に反応が鈍いと秋尾は感じた。


「パトロ。この前の襲撃の時のこと、なにか思い出したか?」

「…ごめんなさい。…なにも。」

 自動運転車の中対面座ったパトロに質問したが、その返事は秋尾としては大いなる違和感の塊だった。いつものパトロのニュートラルな受け答えは、端から見ればつっけんどんだが、それがもっとも無理をしていないことを秋尾は知っている。しかし今は明らかに「ごめんなさい」と見えるようにしゃべり、そう振る舞っている。つまりニュートラルでいられない何かがあるということなのだ。

「個人的なことで、仕事には支障を出さないから。」

 そして、こんな説明のようなことは言わない。こういった雰囲気の彼女は昔にも見たことがあるので、おキツネさまの事件の人間たちのようではないことが分かることが、わずかながらの救いだった。

「例の白いやつに負けたことか?」

「ちがうちがう。そんなことでへこまない。」

 ある意味、本当にわかりやすいのだ。これ以上聞いても、パトロ自身がつらいだろうと、この話をするのはやめておくことにした。

「審議官からのオーダーで、今から歐亞中央の電子公安警察の審議官のカウンターパートに会いに行く。先日の青い鯨の件で外務省の桑原書記官に動いてもらった件で、それを指示した人間に会いたいということなんだ。一応俺が前に出るし、俺が答えていいといった場合だけ答えてくれ。逆に答えたくないときは首を振ってくれていい。きちんとジャミングマスクを着けておいてくれ。」

「…わかった。」

 そう答えて笑うパトロが痛々しく感じた。そして同じように、微妙な違和感を漂わせるハウとも、話をしなければならないと思った。少なくとも彼女らが、話をしたいと思ったときに、聞いてくれる人物がいるということだけは、きちんと知らせておかなければならない。


・内閣官房、情報セキュリティ室、本室、会議室


「こちら、えーと、部署なんでしたっけ?」

 桑原は秋尾を紹介しようとして、一瞬戸惑った。部署を知らないのではなく、それを開示していいかどうかの判断ができなかったのだ。

「警視庁サイバーセキュリティ対策本部の秋尾です。こちらの部下の名前は差し控えさせてください。」

 秋尾は答え、スーツなので頭を下げた。パトロもつられて少し頭を下げる。そしてジャミングマスクが落ちそうになったのを手で支えた、併せてARグラスのつるを耳にかけ直した。

「こちらは…」

 相手は桑原に歐中語で二言三言しゃべると、ARグラスの翻訳機能をONにして、いきなり本題をしゃべり始めた。

「歐亞中央の電子公安警察のグオだ。先日、我が国で桑原を使って青い鯨の件を調べたな。その命令を出したのは貴官か?」

 グオはきつい顔で秋尾に詰問した。

「命令はしていません。指揮命令系統にはないからです。私の部下の個人的な貸し借りの範囲でお願いをしました。」

 秋尾も表情を変えずに、淡々と答える。

「では、桑原に、現地で花を置くように依頼したのは、君の部下か?」

「いや、それは依頼していません。桑原君が自分の意思でそうされました。その結果我々が大変助けられたのは事実ですが。」

「そうか。桑原秘書官。なぜ花を置いた。」

グオはピクリとも動かさない表情で。振り返って、今度は桑原を詰問した。

「いや、あの。きっとつらかっただろうなと思ったり、誰も訪れた形跡がなくて、さみしいだろうなと思ったり、したもんで。やっぱりこう、外交官としていけなかったですか?」

「そうか。桑原。」

 グオは軍隊の一歩前へのような機械的な動きで桑原へ詰め寄り、桑原がひるんで下がろうとしたところを、その手をつかんで捕まえた。そしてARグラスを指さして言った。

「全員、電源を切れ。」

そして自分のARグラスを取ると、電源を切って胸のポケットにそれを引っかけ、3人が同じようにすると、残りの手も桑原の手に添えた。

「×××××。」

「…えっ?」

 グオが小さくつぶやいた台詞に、桑原はまるでいけない物を見てしまったかのようであった。。続いてグオは歐中語で、極めて早口で話し、その後、手を離して元の位置に戻った。

「なんて言ったの?」

「えーと、その話は後でー。ほ、本題に入りましょう。」

 秋尾の質問に桑原は答えず、そもそもの用件へと話をすすめた。全員が再びARグラスを着けた。

「先ほど大統領の命令で、最近貴国で発生している一連のテロ事件に関して、情報連携の許可が下った。歐亞中央電子公安警察としては、質問されたことに関して答えられる範囲での回答をする用意がある。尋ねたいことがあれば尋ねよ。時間は5分だ。私の回線をトレースしないことが条件だ。トレースしても分からないとは思うがな。」

 秋尾はグオが言ったのは、積極的に話すことはないが、質問には答える、だからなるべくうまく聞けということだと理解した。秋尾は桑原を見る。桑原はその意図を理解して、間違いありません、と答えた。まずはどう答えるスタイルなのかを探らなければならない。

「暁のラザロ」

「貴国で活動している、北洲の残党と思われる。貴国でその名を名乗り、自爆したものがいるな。」

「貴国で、および知る限り他国で、その名、もしくはラザロの名で活動した者はいるか?」

「いない。」

 ラザロに関する情報を得ようとしたら、いきなり、捜査情報が漏れているか、現場を何らかの形で見ていた物がいると言っている。そのことに秋尾は驚愕したが、今はそれにかまっている時間はない。

「そのものたちは、貴国で活動しているのか。」

「直接的には我が国では活動していない。しかし人的関係、経済的関係はある。」

「貴国の北洲の残党は、我が国で活動する者に対する指揮命令系統を有しているか?またその逆は?」

「先の質問は存在している。だが確度が低い。後の質問はほぼ不可能だ。」

「北洲の残党は、貴国に不利益を与えているのか?」

「与えている。」

「貴国は北洲の残党を庇護しているのか?」

「その質問には答えられない。」

「我が国で活動している北洲の残党の内容や規模を知っているか?」

「不明だ。答えは貴官も知っている客観的な事実からの推測しか出ない。」

「北洲の残党が日本に持ち込んだ武器について知っている物は?」

「先ほど大統領から貴国の総理に渡された情報がある。少なくとも40フィートコンテナ型対艦ミサイルシステム。そして40フィートコンテナに入れられた多連装ロケット砲が貴国に向かっている可能性がある。その手の情報は実務者協議で提供される。時間の無駄だ。」

 もっと部隊レベル、つまりは残党がどの種の部隊であるかを聞き出すつもりだったのだが、完全に戦争レベルの武器を持ち込もうとしているのかと、秋尾は血の気が引いた。しかしグオのいう通りで、ここで留まっている時間はない。

「この銃を知っているか?」

「知っている。我が国の技術者に北洲の関係者から不正規に設計を依頼された物だ。その者は反社会活動と腐敗防止法で投獄した。武器自体は従来の生産コストよりも遙かに高いので、有用性がないとして廃棄された。ああいう用途があるとは盲点だった。」

 こんな質問を答えるとは思えないが、ダメ元でぶつけてみる。

「薬品や手術を行わず、コンピュータープログラムや類似のシステムを用いて、人間の行動を極めて精密にコントロールする手法を知っているか?」

「その質問には答えられない。貴国も軍事用のダークマーケットを自分で漁ったらどうか。」

 またもや、自国がそういった国際常識から取り残されていることを痛感する。答えないといいつつ、自国ではない誰かがマーケットに流していると、グオは嘲笑するようにヒントを与えたのだ。自らの国がそれを開発していた、ヒントを与えることはない。秋尾は一つ息を飲んで、残った疑問を投げかけた。

「この男を知っているか?」

「ビクトール・チャン。貴国にある北洲人団体の元代表。国交のない貴国にとっては実質的な大使にあたる。そして組織のすべての金を取り仕切っていた者だ。11年前に死亡している。」

 秋尾は幸せが眠る森でのやりとりを思い返す。

「ビクトール・チャンが好きな景色は?」

「なにかの符牒か?少し待て。……。我々が持っている限りでビクトール・チャンがプライベートで一番写っている風景は、蒼玉山だ。」

 つまりここまでは、支援AIなしに即答し、それに答えるだけの情報が整理され報告されている事かと、愕然とする。そして最後に、どうしても解明できなかった写真を見せた。幸せが眠る森で見かけた男だ。

「この男は誰だ。」

「ホン・シン 56歳。元北洲の特殊部隊の分隊長。早期よりハッカー部隊との統合作戦を立案していた。鉄の流星の夜の時期に、部隊としてアフリカに派遣されていて難を逃れた。北洲の亡命政府として我が国の北洲系人自治区にいたが、強固派のため主流派と相容れず出奔。自らの部隊とPMCを設立したが商才がなく成功はしなかった。ここ数年は所在不明だ。そろそろ時間だ。」

 はやりこれを伝える事が目的だったかと、説明する長さで直感した。

「ありがとう。感謝する。」

 秋尾は頭を下げた。

 グオはARグラスを外すと、胸のポケットにかけた。併せてポケットに刺さっていたボーペンを抜くと、秋尾たちに背を向けて窓を向いた。そして後ろ手に手を合わせると、ポケットから財布を抜いて、紙幣を一枚取り出し、それを財布の上に置く。

「このARグラス、度が合わず見づらいんだ。ときどきこうやって遠くを見て、目を休ませないと疲れてしまう。貴国にはいい製品があるらしいな。しかしこの国は緑があっていいな。我が国も見習うべきだ。」

 そのようにしゃべりながら、紙幣に猛然と文字を書き込んだ。書き終わると足下に落とし、秋尾の方を向き直ると、挨拶をして桑原を促した。

「では、そろそろ失礼する。機会があればまた会おう。桑原、行こうか。」

 そして歩き去り際、桑原も一礼して、顔を上げるとウィンクをして去って行った。秋尾はドアが閉じると紙幣が落ちているところまで来てそれを拾い上げてみる。書いてある文章は字の汚さと紙幣の柄があって翻訳しづらかったが、やっとのことで解読に成功した。そこにはこう書いてあった。

「貴君の部下は如月美景だな。彼女の経歴や過去の医療情報が漏れている。特殊部隊ならば部下を守りたまえ。」

 秋尾は話している途中でもかなり完璧に負けた気分を感じていたが、最後に完全試合で締められた気分になった。情報を武器とする機関としては、果てしなく長い道のりを感じた。その文章を読み終わる頃に、桑原から秋尾とパトロ宛てにメールが届いた。そこにはこう書いてあった。

「グオ部長はあそこで亡くなったお嬢さんの親御さんと、お知り合いだったそうです。同胞が誰も行かぬのに、理由は何であれ訪れてくれたことに感謝するとのことでした。外交に人情は禁物ですが、外交官をやっているとたまにこういうことがあり、その機会を作ってくれたお二人に感謝します。次回はもう少しお手柔らかに。 桑原」

 そのメール読んでいるだろうパトロの、少しだけ微笑む姿を見て、自分も少しだけ救われた気がした。


・基地、事務棟


 一色はサイバーコマンドの基地がある、事務棟の外、自動販売機の横にあるベンチに腰掛けていた。もう連日、次から次へと容疑者を見て、その心をのぞいていく。通常のカウンセリング出あれば、人対人の語らいだが、しばらく見ていた者たちは、まるでロボットの反応からプログラムの内容を探すような作業だった。ただ、ほぼすべてが同じであったことから、後半に行くほど作業はルーチン化はした。そう思ったら今度はまた、10人単位で調書作成のための同じ作業が始まった。今回の者たちは、少なくとも「忘れてはいないし」「反応が薄いわけでもなく」受け答えはできた。共通だったのは行動の動機が自分たちでも分からなかったこと。結局は催眠誘導することで、覚えていない記憶を探り出し、その糸口をつかむ作業となった。

「あいつ、マニュアルだけ渡して丸投げして、終わったらたっぷりおごってもらいましょうかね…」

 カウンセリングルームにいるときとは異なる、大分疲れた言葉だった。一色がブラックのかんコーヒーを空にして、ゴミ箱の位置を探そうとすると、自動販売機からペットボトルの落ちる音がした。

 そこには、薄型のパワードスーツを着けた、金髪の女性隊員が立っていた。ペットボトルの水を取り上げて、一色の方を見て会釈をする。

(んんん?誰だっけ?みたことあるような?)

「横、座ってもいいですか?」

 彼女の問いに一色は、どうぞと返事をした。彼女は腰掛けると、ペットボトルを開け、1/4ほどを一気に飲んで、また蓋を閉じた。

「あの、パトロのカウンセリングの先生ですよね…」

 そう彼女が言ったときに、思い出した。如月美影と同じ部隊の子で、カウンセリング対象として、電子カルテが来ていた子だった。おそらくその案内状で、相手も自分の事を知っているのだろう。そして目線を合わせないのに、そういって声をかけてきたということは、なにか話したい悩みがあるのだろうと察した。もとよりもはや、働けば働くほど時給が下がる時間外労働状態、一人二人変わらない。それよりも今ここで話をスタートして、なにがしかの彼女の悩みを受け止めて、一応の区切りまで話す余力があるかを、自分の確かめた。

(よし、行こう。)

 一色はそう自分の中で頬を叩いて、彼女に話しかけた。

「どうしたの?なにか、お話、したい?」

 そういって優しく微笑みかけた。


・伊豆半島


 半島の先、このあたりは、昼は車も通るのだが、夜になると誰も通らなくなる。月のない夜はなおのこと真っ暗になる。県道に面した岬の公園に続く駐車場に、海産物輸送会社の名前の入った大型のパネルトラックが止まる。運転席から出た男が、ARグラスをサーモモードに切り替え、車の周辺を回りタイヤをチェックするように、歩き回りながら周辺を伺う。しばらくそのままで誰もいないことを確認したのか、トラックの後ろに回り込み、扉をリズムを持って数回叩くと、鍵を外して、扉を開けた。中から音もなく、黒い衣装に身を包んだ、二、三十の男が滑るように降り、大型の荷物を担いで県道から見えない位置に固まった。一人の男が腕で指示をすると、数名ずつ、岬の公園の方へ走り去っていった。最後に3人が残り、その一人がトラックの運転手に敬礼をすると、運転手も敬礼で返した。男たちは公園方へ消えると、運転手はトラックの扉を閉じ、鍵をかけ、運転席に戻ると、タイヤのロードノイズだけを残して走り去っていった。


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