第9話 情報

・つくば市、産業技術総合研究所(産総研)


「いや~、会いたかったぁ~、あなたがハウちゃんね♪かわいいわねぇ~、お『ピー』のあたりが『ピー』っとしてて、もうおもわす『ピー』したくなっちゃって」

 マシンガンのようにしゃべりながら近づいている白衣の細身の人物を、秋尾は割って入って止めた。そしてハウとパトロが今まで見たことがないような冷たい口調で言い放った。

「やめろこの変態!」

 それを聞いてピタッと止まると、今度はくねくねと踊り出すような仕草をし始めた。

「ああ~ん、またその冷たい視線がそそるぅ!もっと見て!もっと蔑んで!もっともっとお~」

「今は俺は自衛官じゃなくて警察官の身分も持っているからな、それ以上続けると現行犯逮捕する!」

「ああ~、タ、イ、ホ、してして~♪」

 秋尾は迷わず相手の顔に手を伸ばしてわしづかみにして、ギリギリと締め上げた。

「チッ!これだからつくばに来るのは嫌だったんだ!」

 秋尾が吐き捨てるように言うと、まるでつかんだウナギのようにくねくねとしている。

「隊長、なにこれ?」

「産総研が誇る、ド変態にして、ド・マッド開発者の外道、もとい江藤だ。認めたくないが、防衛大学校の同期だ。一応防衛技術研究所からこっちに出向してきている。」

 ハウがパトロを振り返ると、パトロも変態を蔑むような目で見ている。

「触られそうになったら、容赦なくトライデントでやっていいよ。」

 そうパトロが言うと、ハウは光のない目で

「分かった。」

 と答えた。

「隊長さっきのピーってのはなんなの?」

「こいつがあまりに見境なく変態発言と変態行動をするから、とりあえず発言については倫理コードに引っかかる言葉に、『ピー』っていう音が重なる機器を作って自分でつけている。逆位相で音を消してから鳴る無駄に高機能で、それがまたむかつく。そんなことするなら、変態発言をやめればいいのだがああああ?!」

 秋尾は自分の台詞の最後にいくに従って、握力計を握るように手に力を込めてしゃべった。そしていい加減分かっただろうと手を緩めると、栗本は地面に落ちたが、まるで素早い軟体動物のようにハウに迫った。ハウが捕まえようすると、するりとそれを交わして後ろに回り込み、背後からハウの腹筋をなで回した。

「ひゃあああああ!」

「この腹筋、いいいいぃ!最高おおおお!」

「それ以上やるなら命はない!」

 パトロが江藤のさらに背後をとり、目の前数ミリにボールペンを突きつけた。

「二人とも、こいつを失うと国益を損なうが、やむを得ない。状況に応じて各自の判断で発砲を許可する。」

「ひいい、わかった、わかったよう!」


 江藤に連れられて開発室に移動する。江藤の後ろに秋尾、その後ろをハウとパトロがナイトアーマーの入ったケースを引き連れて続いた。

 開発室に着くと、江藤はナイトアーマーの調整する機器をセットアップする。ハウが室内を見渡すと、ほかにもたくさんのスタッフが働いており、機体の分解や整備、調整、くみ上げなどを行っていた。二人が部屋の隅に置かれた休憩用のテーブルセットに座っていると、そこに長身の女性が、お盆に飲み物をのせて、整った足取りでやってきた。ハウはその人物に見覚えがあった。

「あ、この人、前にパトロだった子だ。葉山で!」

「そう。この子の産総研からの貸し出しだったの。」

「どうぞ、お好きな飲み物をお取りください。」

パトロが自分の分と秋尾の分を、ハウが自分の分をとり、さらにハウが握手をしようと両手を差し出すと、女性の機体はそれに気がついて、いったんお盆を置き、両手で握り返した。ハウはその手をぶんぶんと振って微笑みかけると、女性の機体も微笑み返した。準備をしている江藤が手を止めてハウに声をかける。

「ハウちゃん、その子とお話ししてごら~ん。ここでの名前はヨーコ。羊の子と書いてヨーコ。今はオートマタモードだよぅ。」

 ハウは頷いてヨーコに話しかけた。

「こんにちは、ヨーコさん。私はハウ。初めまして、じゃなくてこの前お会いしましたね。てへへ。」

ハウは恥ずかしそうに横目でパトロを見た。

「こんにちはハウさん。以前お会いしたんですね。すみません、覚えていなくて。多分以前のお仕事か何かの時ですよね。」

「あ~、うん。そうなんです。」

 ハウはパトロのようでパトロではないヨーコに、あたりまえだが不思議な感覚を得た。ふと人間ってなんだろうという思いが頭をかすめる。二言三言言葉を交わすと、ヨーコはお辞儀をして、部屋の向こうに去って行った。

「やっぱり、なんとなく分かるね~。」

「そう?これもアバターかもよ?」

 ハウの言葉にパトロは自分を指さしていたずらっぽく笑う。そこに準備を整えた、江藤と秋尾が戻ってきた。

「ハウ、あらためて紹介する。外道、もとい江藤博士だ。」

「江藤で~す。」

 ハウは不思議そうに首をかしげて、

「くねくねしないの?」

 と聞いた。江藤は少しだけくねっとして答えた。

「仕事中は、危ないからし、ま、せ、ん~。」

「というわけで、開発室にいる間は、割と安心していい。まぁ変態と言っても、見境ない探究心なんで、スケベじゃないんだ。なんの弁護にもなってないけど。なので、開発室にいる間だけは、割と真面目に話を聞いてやってほしい。」

「おねがいしま~す。」

「…はぁい。」

「一応これでも、アバターやオートマタの世界的な権威で、こいつとこいつの親父さんが開発に尽力したおかげで、現在の人間とほとんど変わらないアバターやオートマタがある。ほかにもパワードスーツ、この延長線上にナイトアーマーがあるんだが、その開発やインターフェースのBMI、あと何があったっけ?」

「僕が主導するようになってからは、あまり進んでないけどぉ、ニューロブレーンを使ったAIとかぁ?」

「ああ、そうだったな。」

「ハンディキャップな人たちの、社会参加が優先だったからね~。」

「ナイトアーマーも、元々は全身不随の人向けの、外骨格式パワードスーツの開発から派生したものなんだ。」

 ハウは感心して、感嘆の声をあげた。

「だからぁ、君たちの活躍から得られたデータは、そういった人の社会参加の限界を高めるので、よろしくねぇん。」

 江藤がまた少しだけくねくねした。ハウはまだ少し疑念の残った目をしながら、返事をした。

「わかり、ました。」

「で、江藤、早く男性用ナイトアーマー作れよ!うちの第2チームが発足しないだろ。」

「やなこったぁ~。僕は女性型機体にしか興味ないよぅ!女性の造形はアートだからねぇ~。」

「おまえ、今倫理コード回避したな!この変態!」

「僕はただの『ピー』じゃないよ、たとえ『ピー』だとしても、言語能力の高い『ピー』博士だからねっ!」

 江藤はポーズをとり、秋尾は片手で頭を抱えつつ続けた。

「ところで、調整もそうなんだが、例の小さいアバターの件だ。」

「ラム。」

「ラム?機体の名前か?」

「子羊のラム。あれが羊で子羊だよぉ。」

「ああ。で、そのラムだけど、それって政府のどこかの機関に貸し出されてるのか?わざわざこっちに話しに来た理由は、ナイトアーマーの調整もだったけど、なにか秘匿義務があるから通話では言えないとかそういう話かと思ったんだが?」

「秘匿義務があっても無いものは無いといえるよぅ。いまは無い。だいたい政府内に、君んとこ以外、そんなに完璧に使いこなせる組織あるのぉ?まぁ強いて言えば防衛省と外務省に使うのがうまいやつがいるけど、そりゃ海外でしょ。海外で使うときは、最悪捨ててもいいやつ使うしねぇ~、あんな高級試作機体使わないよぅ~。」

「高級試作機体って言っている割に、行方不明でも落ち着いているよな。」

「え、だってVPN経由だけど定期的にアップデートでつないでくるしぃ、マスクデータ結構あるけど、活動日報も来ているしぃ。」

「ええええ~。来てるの?昨日の日報あるか?」

「昨日のは無いよぅ。貸し出し時の権限委譲のフラグが立ったままなんで、リアルタイムモニターはできないから数日遅れだけど、それ作戦行動中のルールの範囲内だから、別にそういうもんだと思ったし、制御者もマスクされているけど、行動のメタデータ見れば、だいたい誰か分かるもんで、僕はてっきり彼女がまだ使ってんだと思ってたんだよぉ。機体の基地からの転送先も霞ヶ関の情報セキュリティ室付けになっていたしぃ。」

パトロはびっくりして、自分を指さし、首をぷるぷると振った。

「アバターの活動や行動データや稼働データって、オートドライブを使わない人ほどかなり固有で、匿名データでも実際誰のか絞り込めるんだよねぇ。それにBMI連動のデータなんて、ほぼ個人情報だしぃ。その辺が彼女と似たものが送られて来たから、こっちはてっきりあんまり言えない、潜入調査かなんかやっていると思ってたよぅ。で、どうする?止める?きちんと正常に稼働してたら、停止信号で最寄りの指定場所に行くはずだけど、多分いかないよねぇ。」

「いや分かった。とりあえず今はそのまま知らんぷりして接続させておいて、情報は常時こっちに共有してくれ。あとはこっちで調べる。ちなみに今、パトロからコントロールできるのか?」

「…できない。選択肢に出てこないから、私の権限は外れているみたい。」

「そうか…。」

「じゃあ、それはおいといて、調整やろうかぁ~」

 江藤は合理的判断で、今どうにもできないことは放って、目の前のやるべきことにみんなを促した。


「秋尾君、知っているかなぁ~。この二人、割とBMIの脳波、似てるんだよねぇ。」

 江藤はナイトアーマーにつながれた計測経由で、ハウの脳波を見ていた。モニタに三次元の地震計のようなグラフが流れていく。ハウはHUDをVRモードにして、目の前に現れる仮想敵を攻撃しており、その姿は大きな鉄骨で組まれた櫓にある多量の高速モーションキャプチャーカメラで記録されている。

「そうなのか。俺はその方面詳しくないから、こんなグラフ見せられても分からんが。」

「最初はいきなり使わせたって聞いて、びっくりしたよ。だって現状、男性用ナイトアーマーどころか他のナイトアーマーを使える人間がいないのは、脳波は人それぞれ千差万別で、BMIから出る脳波パターンに対して、厳密にカスタマイズ調整しないといけないからなんだよぉ。それがクリアできないと汎用機にはならないしぃ。」

「ふっ。やっぱり女好きが原因じゃないんだ。」

 秋尾は茶化したが、江藤がその辺の融通が利かない人間でないことは知っている。事実ハンディキャップ用のアバターは、ほぼ同じペースで開発されていた。

「ま、その辺は、彫刻家が美しいものを作れたと思って、自分の苦労をすべて帳消しにできるかどうかの感覚だねぇ。ナイトアーマーは一般人向けの精度じゃなく、至高の芸術品を作るモチベーションでやっているからねぇ。」

 江藤はぼつぼつと、そう言いながら、モニターを凝視して計測器につながったPCを操作している。

「ナイトアーマーの01は、本当にドール君…、いまはパトロ君だったねぇ。彼女のために作ったもので、02も本来はスペアとして渡してたから、普通は本人じゃないと~動かせない。ところがハウ君はおそらく、その最初のレベルの同期をクリアしたら、思った通りに動かすように、自分の脳波の出力を変えちゃったんだねぇ。だから、普通に歩いたり生活しているときに四肢を動かしてる脳波と、ナイトアーマーを動かしてる脳波は別で、言ってみれば体からでている2セットの四肢を、部位ごと2個セットで同時に動かしてる感じなんだろうねぇ。」

 秋尾はハウの所見で、BMIを使って動かすものは、ほぼ何でもすぐに適合する、とあったことを思い出した。

「特殊な脳をしてるねぇ。」

「…頸椎損傷から、神経再生手術をやってリハビリの果てに今があるらしい。」

「なるほど、合点がいった。多分すべてにおいて、常人とは違う脳構造なんだなぁ。」

 江藤はテストを止めて席を立つと、動きを止めたハウにマイク経由の拡声音声で告げた。

「ハウ君、今から僕が近づくから、間違えて攻撃しないでねぇ。」

 ハウは声ではなく、敬礼のポーズで答える。それを確認して江藤は近づいていった。

「アーマーの上から触るよぅ、いいかい?」

 ハウが頷くと江藤はいたって真面目に、ハウとアーマーの調整について会話をしている。

 すでに同じ行程を終えたパトロがシャワーから戻ってきて、秋尾のそばに来た。

「ハウ、どう?」

「脳波がおまえさんに似ているらしい。」

「…最近一緒にいると、特にそう感じる。一緒にいすぎかしら。」

「はは、そうかもな。でもそれなら、万年非番なしのうちのチームは、全員同じになっちゃうよな。飯まで同じだし。」

「それも、そうかも。」

 秋尾とパトロが笑っていると、外の車で待機していたタクシーが、BMI経由の通信で秋尾に呼びかけた。

【隊長、うちのメンバー、ってか今日ここにいる4人、一連の事件で顔を撮られたことありますか?】

 秋尾はそれぞれの現場の状況を思い出す。

【あるとすれば千葉の時の俺とハウか。あのとき超望遠光学で狙われていた可能性はあり得るな。】

【僕も地下駐で待っている間、記録データ見返してたんですが、やっぱそこだけだと思うんすよねぇ。】

【何かあるか?】

【ここに来る道中の記録見返したら、なんとなく。】

【おまえのそのセンスには、PKOで救われてきたからな。】

【まぁ何があっても、今日は一通り積んでますんで。】

【分かった。】

 そういうとタクシーは通信を切った。

「どうしたの?」

 外から見ると、しばらく黙っていたような秋尾に、パトロが尋ねた。

「帰り道が賑やかになるかもしれない。」

「…そう。」

 パトロはそう答えると、ナイトアーマーのトランクの方に歩いて行った。

 

「じゃあ、江藤、すまんな。借りるぞ。」

「おいよぅ。それと今度までに面白いもの作っておくよぅ。」

「江藤さん、ちゃんと触る前に言うのと、いやらしいさわりかたじゃなかったら、オフでもまた協力します。ハンディキャップ用の開発に協力できれば、私もうれしいし。」

 後部座席がスモークのため見えないが、そう言ったハウに江藤が返事をした。

「本当ぅ~?約束ね~。じゃあまたね~。」

 秋尾が助手席から手を出して振ると、ごつめの角張ったSUV車は、地下駐車場からモーター音だけを残して走り去っていった。

 車は県道、国道を経てインターチェンジから常磐高速に乗り、横浜新首都方面を目指した。秋尾は高速に乗るとラジオをつけた。FM放送からは軽妙な音楽が流れ出した。不審な通信や上空に飛行物があると、その分のノイズが混じる仕様となっており、盗聴はないと思われるが、本来は盗聴防止の機器だった。

 やがて放送は各時ちょうどを告げるニュースとなった。

「ヘッドラインニュースT―WAVEです。まず昨日の大規模な同時多発誘拐事件に関し、官房長官が定例会見でまた問題発言です。

『長官!長官!東都民報の剣持です。昨日の大規模な誘拐事件に関してお聞きします。誘拐された少年少女たちの誘い出しには、ヴァーチャルトラベルの会社のオートマタが利用されたとのことですが、こういったことが起こる前に、市民がきちんとオートマタを判別できるようにするべきだったんじゃないですか?政府の怠慢じゃないんですか?!』

『剣持さん、あなたいつも揚げ足をとるから今から言うことは、ハンディキャップ者差別の意味で言ってるんじゃないと、先に念押ししておきますよ。念押ししましたよ。アバターやオートマタがいわゆる不気味の谷を越え、家から出られない方たちの社会参加に大いに役立つとなったとき、同時に不正使用に関しての可能性があることが指摘され、政府がARグラスにその判別機能を入れようと言ったとき、反対したのはあなた方がたマスコミじゃないですか?しかも政府としては、』

『政府は自らの怠慢を、マスコミに責任転嫁するんですか?!横暴ですね!ハンディキャップ者の権利を侵害するんですか?!』

『いや、そうは言ってないでしょう!あのときにはですね、』

 このように、政府の対応が不十分でないことが指摘されており、今後政権に関する批判の声がハンディキャップ者団体方面から起こりそうですね。」

「次のニュースです。昨日の事件に関連して、ネットでは対象となった事件を起こした企業に避難の声が巻き起こっており、サービスのボイコットや不買運動を呼びかける声が高まっています。これを受けて5社中3社が本日午後に記者会見を行う予定で、市場でも関係各社の株価が時間外取引で大幅に下落しています。」

「さてオリンピックの開催を2週間後に控え、各地では様々なイベントが予定されているのですが、昨日の事件に関連して…」

 秋尾は手を伸ばして、ラジオの音量をやや絞った。

「なんかこの長官、憎めないおばさんっすね。多分しゃべった後に後悔しちゃうタイプっすよね。」

「おばさんって言ったら多分殺すタイプな。一応、組織上はうちのトップだぞ。長官なりに戦ってくれてんだ。言葉でやる戦いもある。論戦ですめば物理に訴えることなくすむんだけどなぁ。」

「副隊長が得意なやつですね。」

「そうえいばバトラーは政治家に向いているよな。推薦しておくか。」

「はははは。ところでやっぱり上になんかいるっすね。」

 談笑してる二人の後ろで、ハウがすでにサンルーフの中から上の様子をうかがっていた。

「見えないなぁ。見えないやつかなぁ。」

【いや、いるよ。光学でもパッシブレーダーでも出ないけど、サーモで見るとチラチラしている。】

「ADAPTIVありのステルスか。普通本職だよな。パトロ、そのままそいつがいる前提で、尾行車を洗え。タクシー、一つ先のインターまで流れを乱さない速度で追い越し車線。サービスエリア直前でハンドル切って入れ。素人っぽくな。」

「了解~っす。」

 タクシーは追い越しのタイミングで、右写真に出て、流れに乗って走行。途中サービスエリア長髯で車線横断してエリアに入った。そして車をなるべく入り口から見えづらいところに駐車する。秋尾が車を降り、トイレによって、人数分の缶コーヒー腕に抱えて車に戻ってくる。秋尾が車に乗って全員にコーヒーを配ると、車は再び走り出した。

【多分これね。分かった。】

 パトロが該当車を見つけたらしく、ライブの映像を送ってきた。

【タクシー、旧首都高中央環状線に乗って、川沿いのジャンクションで旧都心方面にそれると、車がほとんどいなくなる。その先は衛星落下再開発地域で、政府車両のみの通行だからな。俺ならジャンクションを逸れて、民間用の高速最終出口の間5kmで仕掛ける。】

【了解!】

 秋尾たちの車が堀切インターから旧首都高速6号線に逸れると、距離を開けて1台の車だけが着いてきた。

【来るぞ!】

 後方から猛然と加速してきたのは、映像にあった大型のクロスカントリー車で、秋尾たちの車に追い越し車線から併走すると、いきなり横から車をぶつけてきた。

【フレームドボディのオフ車、ガソリンV8ですね!なかなかセンスがいい!当たり負けしない!だがこっちも!】

【馬鹿!張り合わないで、押されてるっぽくしろ!】

【いけね、そうだった。あああ~、もうだめぇ~死にそう~おちちゃう~。でもこいつら、上では素人ですね!俺なら一発で転がすのに。ああ、もうだめぇえ~。】

 こちらの車もSUV車とはいえ護衛用の装甲なのだが、タクシーはわざとふらついたようなハンドルさばきをして、時々縁石にあて、車輪が片方浮きかけたような挙動をさせる。しかしこちらの車が横転も、高架道路からも落ちそうにいないのを見て、相手はしびれを切らせてさらに激しく当ててくる。

【ハウ、射撃準備!グロックだぞ!】

【了解!】

ハウは答えて、車のサンルーフを開ける。

【撃ってきませんね~。】

【威力偵察じゃないのか?】

相手の車が先行し、ドアガラスを開けて身を乗り出す。ドイツ軍風の鉄兜、ジェイソンのようなマスクをしている。

【なんかパーティーの仮装みたいっすねぇ~。】

その鉄兜が、何かボール状のものをこちらに向かって、続けざまに数個投げつけた。

【うはー、あぶねぇー。ペイントっすよ多分。】

【うまくよけろ。ハウ、威嚇射撃!あくまでもおっかなびっくり撃て!でも当てるな!】

【分かってる!きゃー、怖いー、当たっちゃうー!】

防弾のために、あらかじめナイトアーマーを装着していたハウが胸元から上だけを車外に出す。銃口は相手に向けるが、当たらないように数発発砲した。

【いやそこはまねしなくていい!タクシーの悪い病気なだけだから!】

【きゃ~!】

 ハウは相手が何かしようとするたびにおっかなびっくりに首をすくめ、ほとんど顔半分と手だけを出す感じで、繰り返し反撃した。

やがて最終出口が近づいてきたのを見て、こちらの車と接近したところで、相手が思い切りブレーキを踏んだ。タクシーもほぼ同時にブレーキを踏み、車は当てず、ふらつくふりをしてタイヤを縁石に当て車をスピンさせた。相手の車も数十メートル先に停車した。ハウは怒ったようなそぶりで腕を振り回し、ドアミラーを片方、狙って打ち抜いた。続いてタクシーが、後輪をわざとスピンさせて煙を巻き上げ、車をターンさせ、相手の車に向かって加速する。するとドアから上半身を出していた一人が車の中に戻り、何か手榴弾状のものをこちらに向かって投げた。

【伏せろ!】

 タクシーがブレーキを踏んだタイヤの悲鳴とともに、大きな爆発音がして、車のダッシュボードに取り付けた、EMP攻撃検出と効果偽装用のデバイスが光って煙を噴いた。

【残念。この車やうちの機器、EMP攻撃耐性ありなんだよね~。】

 タクシーはそう言うと、顔を少しだけ出して相手の車を見る。

【まだいますね~。】

【射撃に注意しつつ、生身の人間が車から転がり出て悔しがって撃つふり。ハウはEMPが効いたふり。】

【了解!】【了~解~】

 二人は車の前ドアを命からがら開けたように転がり出て、ドアを盾に悔しそうに立ち上がった。ハウは車の中でぐったりする。相手はそれを見届けたのか、車を発車させ、高速出口へと消えて行った。

【隊長!もう近づいても大丈夫?】

【ああ、大丈夫だ。タクシー、通報。ここから離れるから動画も一緒に渡しとけ!】

【了解っす。】

 パトロの声がして、後方からバイクのエンジン音が近づいてきた。

【ハウ、アーマーの上から用意したつなぎ着て、パトロと行け。あくまでも今日は追跡だからな。】

【了解!】

 ハウは車から降りてグロックのマガジンを交換し、もう一丁を取り出して腰両方のホルスターに固定する。続いて腰の後ろにトライデント電磁警棒を指すと、ナイトアーマーの上から、手早くゆるめのつなぎを着た。

 パトロが到着し、車の横にバイクを止めた。対EMP攻撃のために、わざと旧式のガソリン車を対電磁パルス加工したものだった。水平対向エンジンの独特の音を響かせるバイクにハウが飛び乗ると、二人はそのまま高速道路出口に向かった。

【隊長、上にいたステルスドローンは、国交省の航空局に通報して追い払った。代わりに今度は基地から来たうちのが飛んでる。新しいアンテナ立てたらリンクできるはず。あと後続を通行止めにしておいたから、所轄に言っておいて。先行する!】

【分かった!】

 秋尾は一呼吸し、聞かせるとはなしにつぶやいた。

「まぁ、即席骨なし部隊風のフロックがうまくいったかどうか…。」

 それにタクシーが返事する。

「連中、素人でしたね。運転もスキルも。」

「なんなんだ、あれ。それに威力偵察が来るなら本職が来ると思ったが、本当にゲームで素人とやっているみたいだったな。ドローンはプロ仕様なのにいびつだな。」

「ここにプロがゴロゴロいたら、今頃中東みたいに廃墟ですよ。」

「たしかにな。まぁとにかく追いかけよう。尾行の交代や機器の回収があるかもしれん。」

 車自体は対EMP攻撃用に、ダイレクトドライブのガソリンエンジンを積んでいるのだが、車載の通信機器は故障を懸念して、タクシーがトランクから簡易型のスペアを出して取り付けた。その間に秋尾に通信が入る。

【秋尾隊長、すまんがすぐに基地に戻ってくれ!】

 相手はギルマスだった。

【何かあったか?】

【カナリアが現れた!いや正確には現れる、か。さっきシリウスのアカウントにカナリアから接触があって、情報提供の用意があると言ってきた。条件は2つ。『行動プログラミング』が分かる人間を指定場所に一人で行かせること。自分のことを詮索しないこと。今この件を審議官に回している。】

【審議官はなんて?】

【まだ返答はない。とりあえず急ぎ戻ってくれ。】

【分かった。】

 秋尾は通話を切ると、すでに運転席に座って待っているタクシーの横に乗り込んだ。

「すまん。基地から呼び出しだ。俺を高速を降りたところで下ろしてくれ。そのままおまえはパトロたちのサポートを続けろ。」

「了解っす。」

 タクシーはエンジンをかけると、アクセルを踏んだ。


・横浜市中区


 椎名は指定された、何の変哲もない交差点に立っていた。手にはシリウスの私用端末を持っている。仮称カナリアからの連絡手段がこれしかないからであり、カナリアからもそのように指定があった。シリウスは端末のPINコードを解除して、それを椎名に渡していた。

 椎名は立っていて気づいたのだが、この交差点を見回すと、なぜかかなり多く監視カメラが設置されている。道すがら『ちかんに注意』の看板があったので、その対策のためかとも思ったが、おそらくこのすべてはハックされ、条件の一つである『一人で来ること』を守っているかどうかを見ているのだと考えた。他にも通信回線、Wi-Fi、考えたくないことだが、スパイ衛星までハックすれば、本当に一人かどうかなどを確かめるのはたやすい。相手のハッカーとしての技能は未知数なのだから、提供される情報の価値が分からない段階では、むしろ他者を巻き込まない方が良いと考えた。ただもう一つ、『行動プラグラミング』に関しては別の思いがあった。

 シリウスの端末が鳴って、カナリアからメッセージが届いた。「乗れ、車、来る、おまえの前」とある。読み終わる前に、目の前に自動運転車がやってきてドアが開いた。意を決して乗ろうとして中を確認して、椎名はぎょっとした。そこに2体、人形のようなものが微動だにしないで座っていたからだ。しかも一人は昨日のキツネ面をつけ、もう一人はARグラスをつけている。キツネ面はおそらくアバターかオートマタだろう。しかしもう一つは人形のようだが息をしている。明らかに人間で、ARグラス表面に顔認識をご認識させるモザイクが走っているが、服装を見る限り、おそらく昨日から行方が分からない少女、保護対象者子弟の最後の一人だった。

「乗る。」

 その女性の方から合成音声のような音が聞こえた。女性の口が動いていないので、ARグラスのスピーカーから出たものだ。椎名が向かい合わせの席に座ると、ドアがしまり、自動運転車が走り出した。

「質問をしてもいいかい?」

「おまえは、許される、聞く、質問を。」

「君は、カナリアか?あ、いや、カナリアは僕らがそう呼んでいるんだが。」

「カナリアは、正解。」

「え?」

「私は、作る、この外観、意図して、そのように、呼ばれる。」

「では、カナリア。この人たちはなぜここに?」

「おまえは、知っている、それを。」

 シリウスの端末が鳴って、画像が表示される。そこには憮然とした表情で、スマホなりを使い、自分を撮影した画像があった。監視カメラに写っていた、黄色いワンピースを着た背の小さい女性のアバターだった。

「これはアバターで、君自身はどこかにいるのかい?」

「おまえが、詮索する、消去する、この情報。」

「わかった、わかった。詮索はしない。でも情報ってなに。この人たちを渡してくれるんじゃないの?」

「私は、提供する、情報。もしおまえが、欲する、私は、提供する、この器も。」

「え?…もしかして消去前なのか?!」

 椎名は驚愕した。おそらくカナリアが言っているのは、ずっと煮え湯を飲まされてきた、「すべて分からない」の前の状態のことと推測された。

「オートマタは、切着られた、回線とセンサー、そして、時計は、調整された。だから、プログラムは、まだ、実行中。人間は、与えられた、心理学的、ショック、そして 意識は、凍結中。そこには、いる、多くの、ハッカー、たぶん、簡単、解析。一方、少ない、人々、理解する、行動プログラミング、だけ、限られた、人、可能、解析。だから、行動プログラミングは、条件。おまえは、知っているか、深く、行動プログラミング。」

 最後の一文で、椎名はまた驚愕する。カナリアはそれを自分という人間に言っている意味を分かっているのか、いないのか、それにより内容が異なってくるからだった。椎名は言葉を選んで答えた。

「……、ああ。知っている。」

「もし、答える、私の、質問、私は、提供する、おまえに、情報の、消去キー。可能か、私が、聞く、おまえに、質問。」

「ああ。」

「おまえは、知っているか、『ストリーテラー』もしくは『ロックスミス』」

 カナリアは椎名が知っていることを、知らずに質問している。それは理解できた。しかし、それに対して答えることが、今後どのような展開になるのかがつかめなかった。椎名は、自分中にある、答えを躊躇させる思いを、今は押しとどめて返事をした。

「……、知っている。…知っているよ。」


・基地、特殊部隊区画


 秋尾は椎名の帰還を待ってきた。秋尾が戻ってきた頃には、椎名はすでにカナリアの指定場所に向かっており、またカナリアから提示された条件に反していると思われないように、連絡手段を限定していたからだ。しかし一〇分ほど前、椎名から基地に戻る、詳しいことはその時という連絡があり、秋尾はその帰りを待っていた。シリウスもギルマスも一緒にいた。そこに自動運転車が走り込んでくる。車は秋尾たちの前で止まり、ドアが開いて椎名が降りてきた。車の中には他にも2名が乗っていたが、シリウスがそこを覗き込み、キツネ面の男を見て驚き声を上げようとしたのを、椎名がとっさに口を塞いで押しとどめた。そして椎名はその場にいたみんなに対して、口の前に指を立てて、静かにするように命令する。そのまま皆を誘導し、少し離れた物陰に連れて行くと、集まれという仕草をした。全員が円陣のように集まったのを確認すると、小声で話しかけた。

「昨日のカナリアのビデオにあった、一人とオートマタ。少女は行方が分からなかった、保護対象者子弟の一人だ。」

 全員が小さな声で驚いた。

「いや、事情があるんだが、このままだと僕ら、あのアバターを使った誘拐犯になっちゃうよ。まいったねぇ。」

 椎名はのんきに困った顔をして頭を掻いたが、他の全員は自分たちの血の気が引くのが分かった。

「まぁとりあえず、朗報として、オートマタも彼女も『消去前』だ。」

 また全員が驚く。

「消去のトリガーは、いろいろあるんだが、とりあえず、大きな物音や驚かすもの全般、とにかく静粛に、ゆっくりと頼む。」

 全員がうんうんと頷いた。

「シリウス君、ちょっと彼女のこと頼みたいんだが、説明するからよく聞いてくれ、彼女はゆっくり話しかけて手を引けばきちんと動く。ただし難しい質問とかしないように。彼女を宿泊室に連れて行ったら、僕は事態収拾に戻るから、彼女の面倒を見てくれ。例えば食事とか、…あ~あっちとか。」

 椎名は少し恥ずかしそうにしたが、周りは『おっさん、なにうぶな少年やってんだ』と思った。

「ギルマス君は、とりあえずあのオートマタ、今現在稼働中だが体躯デバイスとの接続が遮断され、フリーズしているので、何人かで落とさないように持ち上げて電波暗室に持って行って、充電器つないでおいて。秋尾君、パトロ君とかがお世話になっている、名前なんて言ったか、サイコドクターさんがいたよね。至急ここに来てくれないか聞いてもらえないかな。あとはカナリアはうちが動かしてるんじゃないって証明しないとなぁ。」

「それは今日産総研に行って話をしてきたので、詳細はギルマスに調べてもらいます。」

「そうか、頼むよ。僕はちょっと本部に行って、少女の誘拐犯じゃないという説明をして、ご両親に連絡を取ってくる。シリウス君、僕が連絡するまで、とくにサイコドクターの先生に来てもらうまで、彼女がここにいることは機密だ。」

 それぞれが頷いた。秋尾は他にも聞きたいことがあったのだが、とりあえず今は目の前のことをかたづけるために、一色に連絡を取ろうとした。そこにハウとパトロが戻ってきた。バトラーが飛んでいって、静かにさせる。そのバトラーと入れ替わりに、バイクの後ろから降りたハウが、ナイトアーマーを首元まで解除して、秋尾にもとに走ってきた。

「隊長。一人尾行して身元確認、途中ソーシャルエンジニアリングで、いろいろ情報とっちゃった。」

「よくやった。無茶しなかったか。」

「車に顔の予備入ってたから大丈夫。」

 秋尾はハウが褒められたくて来たと思って、頭をぽんとたたいた。パトロもバイクにまたがって親指を立てているので、サムズアップで返す。

「タクシーは?」

「連絡見てない?現場検証してから戻るって。」

「すまん、あとで説明するがとちょっと取り込みごとがあったんだ。」

そう言いながら、今の椎名の話を、こちらに不利にならないように報告書にまとめるには、どうしたらいいかが頭のすみにあった。そして一色を呼ぶことを思い出して、電話をかけた。

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