第8話 幻影



 全国五大繁華街の、目抜きの交差点を取り囲む街頭モニターに表示されたおキツネさまのイラスト。それが切り替わり、前回のSNS投稿にも登場した、ヴァーチャルハクティビストのおキツネさまが現れた。

 事前のSNS告知で集まっていた群衆が、交差点の周辺から歓声を上げている。それが周りの人を巻き込み、またさらにSNSで情報が拡散され、加速度的に人を呼び寄せていた。一部はすでに道路にあふれ出し、遠からず交差点を埋め尽くすと思われる程だった。

「みんな~。元気にしてたかな~。今日も社会の悪を成敗のお時間がやってきました~。」

 キツネの面を付けたポップなキャラクターが、お菓子の家と言われればそう思う部屋で手を振っていた。呼びかけに呼応して、おキツネさまのコールが起こる。

「さて今日は~、すてきなゲストをお呼びしました~。こちらの方で~す。」

 明らかにぼうっとしている高校生ぐらいの少女が画面に現れ、その画像に字幕スーパーが載った。観光地向けのツアーバスで多数の犠牲者を出した事故の名前、企業名、画面が半分に割れ、中年男性の写真が表示される。彼が当時謝罪会見の態度で物議を醸した人物であるとの解説つきだった。

「こちらの方は、このおじさんのお嬢さんです~。はい、拍手~。」

 群衆から拍手が巻き起こる。

【隊長!人物のヒットが出ました!保護対象者とその娘です!】

【モニターのあれか?!】

【はい!ただ、同時に10人です!これ5カ所、全部違う人物が映ってます…】

【出せ!全部作戦室にも回せ!】

 電子作戦室の壁面に、新たにドローンからの5カ所の映像が投影された。作戦室の誰もがあっけにとられた。指さし小声で話すもの、各警察本部に連絡を取るもの、そういうさざめきはあったが、全体に重い、重苦しい空気が場にのし掛かっていた。ファルコンは画像をトリミングして、一カ所あたり一枚のモニターをブロックに組んで調整する。それぞれ、地域に関係がある別々の企業の人物だったが、少女はいずれもARグラスをかけ、目の焦点が合っていないような雰囲気であることは共通だった。

【隊長、あと人が集まりすぎている上に、どうも結構アバターかオートマタが混ざっているのと、人混みで揉まれて認識が消えたり現れたりするので、ピンポイントで確定が出ません。】

【泣き言言わずに続けろ!】

「みんな~、このおじさん覚えているかな~。」

 うおおお、と地響きのような声が上がる。画面はもう一度切り替わり、今度は当時の謝罪会見の動画が表示される。しゃべるコメント、記者とのやり取りに、バラエティ番組のようなポップな字体の字幕スーパーが表示される。男性の憮然とした態度に、「謝るって態度じゃねぇぞ!」といった文字が躍る。

 群衆の中には椎名経由の指示で、多数の警察官が、保護対象者とその子弟の見当たりを行っていた。そして捜査用ARグラスのリミットを解除して、アバターとオートマタの判別をONにし、秋尾が指示をした特定条件に合うものを探す。しかし群衆で警察官たち自身ももみくちゃになり、自由に動き回ることもできず、とてもでは無いがすばやく特定して次々に職務質問をする状況では無かった。それでも必死に動き回り、街頭モニターの方を向いている、キツネ面を付けた2人連れ、正しくは人とアバターもしくはオートマタが立っているのを見つけた。

「すみません!あなたたち!ちょっといいですか!」

 2人組の警察官は人混みを泳いで近寄り、2人連れに声をかけた。周りが騒然としているので半ば怒鳴るような声になる。

「そのお面、取ってもらっても良いですか!」

 2人は無視するように立っていたが、背の高い男性の方に警察官が手をかけると、男性は警察官の方を向いてしゃべった。

「触らないで下さい。アバターを使っていますが、私は人間ですので、人間と同等の権利を有しています。法律にもアバターは行使する人間の権利を擁する、そう書いてあるはずです。そして私たちにそれを要求する、正当な法的理由がないかぎり、お断りします。」

「いや、そう言わないで、お願いしますよ?そちらの方、お願いできませんか?」

 刺激しないようにして手を離し、やんわりともう一人の年配の男性に話をする。男性はARグラスによれば人間であるはずなのだが、全く反応しない。一名の警察官は二人とは反対側を向いて、無線で何かを話し始めた。長身の男性は、それを見て、年配の男性の耳元に口を付けて何事か話し、片手で彼の後頭部を、もう片方でキツネ面を持って、それを上にずらして外した。警察官のARグラス内に、顔認識枠が表示され、警報音が発せられた。引き出し線で保護対象者という文字と、『三島忠』という名前が表示される。

「三島さんですね?!」

 警察官がそう言いかけたとき、長身の男性が年配の男性の背中をぽんと叩いた。すると無反応で立っていた男性が突然、目が覚めたように周りを見回し、そして自分の両手を見た。突然周りで歓声があがり、群衆が一斉に街頭モニターを指さす。男性もその指の先を釣られて見つめ、そして小さな声を、続いて大きな声をあげた。

「雪子?……雪子?!」

 警察官は男性の声に釣られて街頭モニターを見て、再び男性を振り返る、横にいたはずの長身の男性は、群衆に紛れそこからいなくなっていた。


「みんな知っているこの方に~、これから家族を失うってどういう事か、味わってもらうかと思いま~す!みんな準備はい~い?」

 おキツネさまが、群衆に耳を傾けるような仕草をする。肯定の歓声があがる。


【こいつの感覚で行けば、この話の到達点は、群衆がシャレで済ませるギリギリだ!やるなら関係者だけで、他の人間の巻き込みはない!だがこの流れで野次馬が到達できる距離の範囲でやる!裏通りだ!GEEKS!ファルコン!映像に外が写ったら場所を特定しろ!全員!出撃準備!完封試合で行くぞ!】

【了解!】【了解!】

 秋尾は考えられる最も『効果的な手段』の思考に基づき、指示を出した。


「ライブ感を楽しんで頂く為に~、画面の半分は、このおねぇさんの視点にしま~す。いくよ~、3、2、1…」

 おキツネさまの指を立てたカウントダウンとあわせて、群衆も一斉にカウントダウンをする。

「スタートぉ~!」

 アイドルのようなポーズを取っておキツネさまがワイプアウトすると、片方の画面の中で少女を写していたカメラが一旦上に避け、金属の扉から出る所を映す。その後前に回り込む。そしてもう片方は少女自身が見ている視界で、ドアが開くとビルの屋上の風景、その視界の奥に金属の柵と夜景が見えた。。

 少女がゆっくりと、柵に向かって歩き出す。柵を乗り越え、反対側のビルの縁に立つと、大人の男性の声で街頭モニターから響いた。

「雪子―!ダメだ!飛び降りちゃだめだ!」

 少女の視界が振り返る、金属のドアの所に立っている年配に男性の姿があった。男性がゆっくりと少女に近づく。それにつれて顔がはっきりと見えるようになった!


 警察官に脇を抱えられながら、街頭モニターを見ていた三島忠は、一瞬何が起こっているのか理解出来なかった。

「え、なんで?なんで俺?えっ?…えっ?」

 警察官も街頭モニターと保護している男性の顔を見比べる。たしかにモニターに映っているのは、全く同じ服の目の前の男性だった。

 俯瞰で少女を映していたおそらくドローンであろうカメラが少女の前に回り込むと、屋上へ通じるドアが写る。しかしそこには誰もいない。その意味を理解した群衆が、さらにエキサイトした声を上げ始めた。


【まだか!】

 秋尾は焦れた。その間にも動画は進行する、男性は柵を乗り越え外側に降り立つ。

「お前が助かるなら、お父さんが、お父さんが代わりになるから、だからそこを動くな、いいな、いまそっちに行く!」

 少女は冷笑するような顔をして言った。

「お父さん、なんにもわかってないでしょう。お父さんのせいで私がどれだけ辛かったか。どれだけ周りにいじめられたか。お前の親父は人殺しだって。」

「まって、待ってくれ!お父さんは、会社のためを思って!」

「……私よりも会社がいいんでしょ。だったら一生会社と暮らせばいいんじゃない?私もう疲れちゃった。見て、鯨さんが、私をすべてから解放してくれる…。」

 二人のセリフに秋尾は歯がみをする。

【福岡、大阪、札幌場所特定!位置転送します!】

 ファルコンが叫んだ!

【スピア、ギャルソン、タクシー行け!】

【了解!】

 全員が飛びだしていく!

【横浜!渋谷出ます!】

【ハウ!パトロ行けぇえええ!】

【了解!】「行きます!」

 秋尾の後ろでパトロがジェットタービンディスクをフルパワーにして、光の海に飛び出して行った。


「雪子、だめ!だめだ!戻れ!戻ってくれ~!」

 三島忠は警察官に支えられながら、号泣しつつ、鼻水を垂らしそう叫ぶ。しかしその声は群衆の「落ちろ!落ちろ!」のコールにかき消された。街頭モニターでは、両手を子どもの方に伸ばしながら歩く自分の姿が映し出されている。鈍い忠にも、そこで何が行われているのか理解出来た。ここで自分の娘が身を投げるのを生で見るのだ。画面の中の自分の制止にも応じず、娘の視界が逸らされる。そうするとそこには花が咲き乱れる平原と、その向こうに青い海、そして空を飛んで雪子に近づいてくる鯨が見えた。そして娘が一歩を踏み出すと、娘の視界は光に包まれた。もう一つの画面では、娘がビルから身を投げるのが見えた。

「ああ、ああ~。」

 群衆のひときわ大きな驚きと嬌声が上がり、三島は警察官の腕の中で気を失い失禁した。


 パトロは対象の少女を上空から確認すると、隣接するビルの屋上に向かって、ジャットタービンディスクから飛び降りる。そのままビルの端をスラスターを使いながら、一つ二つと、飛び移り猛然と駆け抜ける。そして少女が立つビルへ飛び移ろうとしたとき、少女がビルの縁から一歩足を踏み出した。パトロはスラスターを後方に向け、全速で加速したが、落ち始めた少女の手を掴むことはできなかった。体を反転させ屈み、足と膝、片手をつきブレーキをかけて、片方の腕で降下用のワイヤーのフックを柵に投げつけ、そのままビルの下に向かって飛ぶ。ワイヤーの制動とスラスターをビルと反対方向に向けて噴射した力で、ビルの壁面に着地すると、ワイヤーの引き出しをフリーにして、壁面を少女に向けて、強烈なスピードで駆け下り始めた。その速度は自然落下の速度を上回り、地上から50mの所で、対象に追いつき抱き留めた。そのまま体を上下反転し、降下ワイヤーの取り出し口を体の全面に回すと、スラスターを地面に向けて噴射しつつ、ワイヤーのブレーキをかける。激しい金属音と、焦げ臭い匂いと煙が噴出する。一旦制動しかけるが、ガクンという感触と共にワイヤーが数十センチたるみ、その分の衝撃が走る。柵の崩壊を予感し、その間にジェットタービンディスクを呼び、自分の真下に来たところで、ワイヤーを切ってスラスターを噴射しつつその上に着地した。それでも引力を殺しきれず10m程落下したが、やがて推力とのバランスが取れ、パトロは穏やかに地面に降り立つことができた。そこに後からバイクドローンで追ってきた、特殊部隊用ヘルメットとマスクをした秋尾が上空から降り立った。

【ファルコン、ドローンを捕捉しろ!】

【やってますが、すみません!写真は撮れましたが、違法ドローンらしく停止命令が効きませんでした!ぶつけて止めようとしたら、対ドローンのネット弾をかまされたあげく、ビル間の低空飛行で逃げられました。出力、能力からおそらく軍用です。】

【…そうか。手配だけかけとけ。】

【了解です。】

突然のジェット音に何事かと、周りの道路から人が寄ってきてARグラスやスマホで撮影しようとしたが、パトロと秋尾が、装備からホログラムの二次元バーコードと現場封鎖の黄色い縞帯を四方に表示させると、それぞれの画面に「対テロ部隊法の機密対象につき撮影する事はできません。該当の撮影録音機能は、一定時間ロックされます。」と表示され、撮影することはできなくなった。

【パトロ、対象に怪我は?】

【気絶しているけど特にないと思う。むち打ちぐらい?】

【このままバイクドローンで病院搬送する。すぐに所轄が来るから、現場封鎖の引き継ぎをして、お前も待機場所に一旦戻れ。】

【了解!他のメンバーは?】

【ハウはお前とほぼ同じ形で低いビルに飛び移り確保。他の三人は、タクシーはビルの縁に手をかけていたのを、スピアは落下中にバイクドローンで、ギャルソンは自殺防止用エアバッグの展開で確保した。安心しろ。】

【…良かった。】

 秋尾が自分の前に少女を乗せ、自分と共締めにして飛び去ると、入れ替わりに所轄の警察官が駆けつけ、パトロは封鎖を委任し、ジェットタービンディスクで上空へ消えた。


「や~、本当に死んじゃうと思った?思った?ちゃんと回収班が来てくれたんだよ~。さて、困ったおじさんたちがちゃんと懲りたかどうか、それは、こちらをご覧下さい~。」

 街頭モニターが切り替わり、警察官の足元で失禁して放心している男性が映し出された。丁寧に会社名と名前と役職、年齢の字幕スーパー付きで。特に会社名のところには、ここに注目とばかりに矢印が着いている。死人が出ると思って一部には緊迫感があった群衆からは、爆笑の声が上がり、本人を見つけた人々が、次々と群がって、ARグラスやスマホで撮影し拡散を始めた。

「というわけで、今日の成敗は、これにて一件落着~。みんな、まったね~。」

 群衆がそれに「まったね~」という歓声、拍手、指笛で答えた。

 その場はしばらくお祭り状態であったが、時間が経つにつれ金曜日の夜の繁華街へ消え、その場には多数のキツネの面のみが残っていた。


・アイアンナイツ・トレーニングルーム


 おキツネさまの騒動の収拾は朝まで続いた。ただ、アイアンナイツ自身は捜査部隊ではなく、特殊な能力の実行部隊なのであって、状況を報告すればば基地に戻る。ほぼ全ては動画で録画し、AIにより文章化もされるため、こちらから理由あって主体的に介入しなければ、それをとりまとめしかるべき推理や捜査などをする部隊に、引き継ぎ、要望があれば改めて説明することになるだけだった。ただ、各部隊との調整を行う椎名と、その下でサポートする秋尾は、椎名に付き従って基地には帰ってこなかった。ギルマスも電子作戦室にログインしたままで、ダイブルームから、ほぼ出てこなかった。

 秋尾を除くメンバーは、またいつかかるかもしれない出動に向けて、日々のルーチントレーニングをこなしていた。本来ならば夜間まで出動が続いた分、まだ寝ていても良いのだが、体のリズムがそれを許さなかった。

 昼の食事の時間になったので、特殊部隊区画に入る許可を得たシリウスがやってきて、ハウたちと食事となった。

 基地は機密保持と射撃訓練の安全の為もあって、島の全周が城塞の盛り土のようになっており、また陸地からの撮影を防ぐ為、陸側の扉は常に閉じることになっているが、海側は開放することが許され、日に当たることもできた。バーベキューとは行かないが、レジャーシートの代わりに大きな段ボールを敷いて、部隊の女子四名とシリウスで情報交換がてら、即席の昼食会だった。ハウはまるで犬のように仰向けに大の字になり、時々パトロがフォークに刺して口元に持って行くものを食べている。

「まるでワンコみたい。」

「ハウは餌をくれるものの忠実な僕だよ。パトロは餌付けしてくれるから、言うことを聞くよ♪」

 シリウスの質問にはハウが答える。パトロは無言で自分も食べながら、時々ハウに餌をやり、また時々お腹を撫でたりしていた。

「犬と飼い主だな。」

 そういってスピアが膝を立ててわらう。

「ただの犬じゃなくて、猟犬だじょ。ハウは。」

 あぐらを搔いているハッパーが、なにか検索しているタブレット端末をいじりながら言った。

「うん。もともとハウンドの意味だし。でも海保にいたときは、ブラックドッグって言われてたよ。」

「失礼ね。こんなにカワイイのに。はい、あーん。」

 そういってシリウスは、お弁当に入れていた梨をハウの口に入れた。

「あまーい。」

「やった。これできっと今度言うこと一個聞いてくれるはず…」

 シリウス真剣な口調にみんなが笑った。

「結局、亡くなった人はいなかったの?」

「私もそればかり聞いているわけじゃないけど、電子作戦室の数値上はそうなっている。子弟の行方不明が一名残っているけどね。」

 パトロの質問にシリウスが答える。シリウスはギルマスのサポートのために、随時電子作戦室に入って、その傍ら状況を把握しているのだ。

「海の方も、結局は『青い鯨』の手法に似ていたけど、『誰にも知られず月夜の海でみそぎをすると、願いが叶う』とかそういう系の話で、警察を混乱させるための目的だったと思われるけど、それ自体で死んだ人はいないみたい。それよりもネットは見てる?」

「今日はまだあんまり。キツネ?」

「そう、報道とかのニュースじゃないけど、ネット話題はもうそれ一色。うちはそっちの情報収集も業務だから。なんとかメーカーとかできて、それっぽい投稿したり、お仕置き要望リストとか作ったりして大騒ぎ。絶対本人じゃないけど、アカウントができて、それっぽい発言をしたりして盛り上がっている。あーあと、撮られちゃったね。ナイトアーマー。」

「あー。ああ。」

 予想されたことだが、やっぱりそうなったかと、中途半端な返事になった。

「おキツネさまの一味の、天狗じゃー、天狗のしわざじゃー、とかなっている。」

「天狗!くくっ。」

 ハッパーがその辺りを取り上げているネットニュースのページを開いて、横からスピアも覗き込んだ。

「スピアねーさん、マッチョウーマンだって!片手でターゲット掴むからだじょ!ぎゃははははは!」

 記事を読んでいる段階から笑いのゲージが溜まっていたのか、ハッパーの笑いのツボにはまったのか、コロコロと笑い転げた。その様子を生暖かく見守るパトロの横で、ハウは軽い寝息を立てて、昼寝に墜ちていた。

【ナイト01総員、GEEKSギルマス、シリウス。5分後電子コマンドルーム集合】

 秋尾からの通信だった。

「お昼休みは終了だ。お仕事に戻ろうぜ。」

 スピアがそういうと、ハウはパチッと目を開けて、足を振り上げその反動で起き上がり、肩を鳴らして、一つあくびをした。

「ふぁあ。よく寝た。」

「すごいね、ハウちゃん。」

 シリウスが驚いた口調で言った。

「犬だもん。睡眠時間短いよ!よし、行こう!」

 全員、昼食を片付けてダイブルームへ急いだ。

 

 ダイブルームと言っても大した機器があるわけではなく、BMIとHUDがあれば何処でもダイブできるのだが、その間の身の安全を確保する部屋というイメージ近い。体の負担がかからないようにリラックスチェアと、頭を拘束せず見回せる指示装置が特徴だった。

 ダイブルームには既に椎名と秋尾が到着しており、なにやら話し込んでいた。椎名が明らかに寝不足で会議の席に座っていた。VRのアバターなのだから、そこまで如実に再現しないでもいいのだが、そういった設定をする間もないのだと思われた。

「昨日はよくやってくれたねぇ。お陰で今のところ死者なしだ~。」

 椎名のこの口調が出るときは、まだ余裕があるときだと、全員が把握した。

「結局各地で連れ出した、保護対象者とその子弟のうち、舞台にあがる素質ありと判断したやつを舞台に上げたようで、その他の連中は現場ではない所でみつかったよ~。まだ一名子弟が行方不明だけど、他は全部確保された~。海の件も、『青い鯨』のやり方を踏襲していたが、殺す目的じゃあなく陽動目的だったようだよ~。ただねぇ、僕等が本命だと思っていた、5カ所の事件の後ろで、別の事も起こっていて、そっちの方が、今後問題になってきそうなんだ~。まあでも、とりあえず順番に状況を説明して、秋尾君。」

 腕を組んで聞いている険しい顔で聞いていた秋尾が、目を開けてテーブルの上に手を置き話し始めた。

「まず昨日の事件を順に説明する。一つ目の数多くの子どもが海に入ろうとした事件。結局補導件数が全国で千件超える事件になった。ただ幸いなことに、この事件による死者は0だった。子ども達を誘導した手法としては『青い鯨』と同じ、目標を与えて順番に階段を上らせ影響力を高めるやり方を踏襲していたんだが、それをネガティブな方向じゃなくて、願いを叶えるというポジティブな方向性で利用した。イメージとしては日本のお百度参りが近いだろう。最初は占いアプリから入り、性格診断から思い込みやすい子どもを選び、願いを叶えるというチョイスを出す。誰にも口をきいてはいけない、想いを知られず全てのステップを終えて、最後の夜に海に入って沐浴すれば願いが叶うという誘導だった。ステップを重ね、忠誠度が高い者にだけが純度を高めて残る。それ故に情報が漏れなかったわけだ。逆に言えば、この件に関しては従来のように、被害者もしくは加害者が『覚えていない』ということは無かった。補導した結果あっさりと内容が聴取できた。従ってこれは、これ自身が意図というよりは現時点で陽動、もしくは人をコントロールする実験プロセスだと判断している。なおアプリは正規の開発者が開発継続をギブアップしたものをアカウントごと買収。現在の開発者は当然のように連絡が付かず、昨晩の事件直後アップデートをかけた上でアプリストアから削除したが、幸いアプリを更新せずにいた被害者の端末からアプリプログラムが入手でき解析ができた。そして予想通り、重要な部分のデータ通信先はダークネットになっていた。」

 秋尾の話に合わせて、適時展開される保護された子供もたちの動画などに、一番心配していたシリウスがほっとした顔をする。特に洗脳のように後を引くものでない可能性が高いということは、後々影響を及ぼす可能性が低い。電子作戦室に行き、側聞はしていたが、確定事項として聞かされることとは安堵感が異なった。秋尾はシリウスを目尻で捉えて、話を続ける。

「次に保護対象者関連の事件。まず一つ目に、繁華街でキツネ面をまいていたのは、ティッシュ配りなどを請け負っている配布会社のオートマタだった。お面は会社に直接送付で搬入。偽名の決済だったが特にチェックせず配布を請け負ったそうだ。というより、自動化されすぎて、何を配布するのか把握していなかったらしい。」

配布しているオートマタを制止する様子や、聞き込みの状況が表示される。配布しているのはオートマタというよりはロボットに近いものだった。

「キツネ面の搬入元から印刷会社も判明したが、こちらも公序良俗に反さず入校ルールに従っていれば、特にチェック無く仕事を請け負うとのことだった。支払いは仮想通貨決済。そもそものメニューの中に、お面の印刷というものがあり、これで請け負ったとのことだ。こちらからも当然発注者の身元は偽装。」

同じく聞き込み、そして印刷会社のメニューを操作しているところが表示される。祭りや企業の景品などで用いられるらしく、印刷会社の倉庫に見慣れたキャラクーのお面が、納品準備段階にある動画が表示された。

「そして現場の街頭モニター。いずれも集中管理システム、もしくは街頭モニターごとの制御用PCが、サポート期限切れ、もしくはセキュリティアップデートしておらず、それにより乗っ取られていた。当日、警察の方で管理会社に走ったのだが、その時には既に街頭モニター裏の制御PCが完全に掌握され、管理会社からは一切の制御ができなかった。それを受けて街頭モニターの現場に駆けつけた頃には中継が終わっていたという事だ。このあたりは徹夜で検証してくれた、GEEKSと情報セキュリティ本室の事案対処チームに感謝だ。」

管理会社の事務所に警察官が駆けつけ、右往左往している様子。そして過去に該当モニターの管理PCがエラーを起こし、素のインターフェース画面が表示されてしまっている状況が表示される。特に縦長のモニターには、画面を90度回転させて使用していることがわかる画像だった。

「そして保護対象者とその子弟の誘導。先に保護対象者だが、完全に誘拐のマニュアルに従って誘導されている。先に子弟が押さえられ、その画像が保護対象者の端末に送付される。そこにある指示で指定のリンクを踏んでアプリをインストールしろとあった。この段階で後から保護対象者をトレースしようとしても、位置情報も電話もメールも不可になり、攻撃者にからの指示に従うようにされていたとのことだ。そして途中でキツネ面のアバターかオートマタと合流するように指示され、キツネ面を被され、現場に連れられていったらしい。引き連れていったアバターかオートマタ、記録された音声では『アバターと名乗っているがオートマタらしい』が、そいつはいずれも現場に男を連れて行って姿をくらませた。ちなみに脅すに当たり、子弟を縛り上げて生命の危険があるような動画を見せられたらしいが、動画は合成で作られたフェイクビデオだった。だったというのは、保護した子弟にはいずれも縛られた後がなかったことと、そして上記の話は保護対象者の記憶によるもので、当然の事ながらこれらのアプリ、動画などは、トリガー式、もしくは時限式で自己削除され、端末には残っていなかったため検証できないことからの結論だ。現在情報セキュリティ室に出張っているGEEKSのメンバーが本室のメンバーと、端末のデジタルフォレンジックに当たっている。あとは結果を待つしか無い。」

 警護の警察官を振り切って、車で走り去るシーン、路上に駐車したままになった車、街頭該ニター付近で保護された状況などが表示された。秋尾はここでいったん話を止め、用意していた水を飲む。そして先ほどよりも、やや険しい表情をして話を続けた。

「問題は保護対象者子弟。彼女たちは『港湾管理会社事件』、『千葉の工業地帯連続爆破事件』の容疑者と同様に、自分がなぜここにいるのか、何をしたか、全く記憶がないという点で同様の状態だった。飛び降りを試みた5名、全員に、街頭モニターに映されていた、彼女たち自身が見ていたとされる画像を見せたのだが、それに関しても記憶がなかった。また現場で自分の父親たちを罵倒した言葉があったが、あの内容は5名がほぼ似通ったことを言っていたのだが、調べる限り、5名の置かれた環境、いじめや家族との仲はそれぞれ温度差があり、全員が同じ言葉に至るとは思えない状況だった。逆にシナリオがあってそれを言わされていた、また彼女ら自身が見ていたとされる視界の動画もフェイクである可能性があり、現状、なにが真実か判別がつかない。わかっているのは、当時それぞれ、バイト、塾、遊びなどで家ではないところにいた状態から、通信機器を放置して行方をくらませた、そのうちの数名はキツネ面のアバターかオートマタとともに消えたという事実だ。その間のことは不明だが、おそらくキツネ面のオートマタに連れられて、現場のビルまで行ったと思われる。」

 秋尾はここで、ため息を付き、ぐっと手を握った。

「これほどまでの行動コントロールと記憶の消去は、おそらく入念な洗脳もしくは心理的な行動プログラミングが行われたと思う。行動プログラミングとは俺が作った造語で、聞いたことがない人間もいると思うが、文字面でイメージがわくだろう。人間は通常ファイアウォールのように、他人が言うことを鵜呑みにはしないようになっており、またウィルス対策ソフトのように、言われたことを受け入れるにしても、それが安全かどうか検証するようになっている。しかし行動プログラミングは、これらの障壁を越え、人間の行動をまさしくコンピュータのようにプログラムして動かすもので、成功すればおそらくあるとあらゆることをさせることができる、そういうものが存在すると考える。そう思ったのは捜査の三アウトルールだ。おそらく初期段階でターゲットを囲い込んだ状態でトライしたのが『港湾管理会社の事件』、これを遠隔で注入できるかを試みたのが『千葉の工業地帯の爆破事件』、そして通信端末やアプリなどを使い、多数の人間をコントロールできるか試み、それを同期させて行えるかの実践が今回のケースなんじゃないのだろうか。」

 秋尾は円卓のメンバーを見回す。真剣に秋尾を見ているもの、自分の記憶に照らし合わせて検証しているもの、思い当たる情報をARグラスに呼び出しているもの、それぞれがその重さを受け止めている。そして椎名は片方の肘をテーブルの上に置き、口元に手をやって、険しい目つきで秋尾を見ていた。

「おそらくそのプロセスが『青い鯨』を模した、時間をかけた階段型のプログラムで、その実行と完成には一定期間が必要で、それを行っているか、あるいはハックして知っていたのがカナリアで、それが故に犯行予告か情報提供をしたんだろう。実は今回、5カ所に現れたのは、5組の親子だったが、その裏で30組ほどの親子が似たような状況にあった。違ったのはこれらの子弟は、ビルに上ることなく、人気がない場所、路上駐車された自動運転者の中、深夜営業のファストフードなどに放置されていたことだ。つまり人が集まることができ、街頭モニターが密集したステージは5つしかなかったので、5組だけがステージに上がったが、実はそれを遙かに上回る数を上演することができたんだ。」

 秋尾は一気にしゃべりきって、いったん椅子に深く腰掛けて一息をついた。そして椎名に向き直って言った。

「審議官、ここまでよろしいですか?何か、おっしゃることはありますか?」

 椎名の目が開き、そのままのポーズで目線をぶつける。パトロはそれを見て、肌に妙な感触を得た。言葉の刃を交わしてるような。秋尾は十秒ほどそのままでいたあと、また話し出した。

「これでもかなり腹一杯なんだが、話はまだ続く。事件後に判明したことだ。昨夜、保護対象者、その子弟を誘導したアバター、ないしはオートマタは、各都市のレンタルトラベルアバターの会社から大量に流出したものだった。流出と言うよりはその時間帯に多量にオーダーが入り外に出て行ったんだが、会社側は騒動の野次馬に借りたものが多数いると思ったらしい。事実カウントダウンやイベントではよくあることなので、違和感を持たなかった。しかし、そのほとんどが事件後所在不明になり帰ってこなかった。また一部販売会社の納品前のもの、そしてセキュリティをアップデートしていなかった愛玩用のものが姿を消したケースもあり、その総数は千を超える。もう一つ、警察が海沿いでの補導と保護対象者捜索、街頭モニターがあった周辺の捜索、交通整理、捜査などに大量に動員され、指示系統が混乱した隙に、各所の工事現場から3台の重機が消えた。消えた重機の共通点は、いずれも40フィートコンテナ型に収納可能なタイプで、おそらくリース会社のGPS盗難防止監視システムをハックした上で、輸送コンテナに積み込んで、どこかに持ち去ったと思われる。」

 秋尾の眉間には深いしわが寄っていた。自分を落ち着かせるようにまた深く息を吸い、そして吐き、パトロの方を見た。

「パトロ。」

「群衆扇動技術、扇動要員、破壊装置。L国の時と同じ、暴動やテロのピースがそろいつつある…」

「そうだ。」

 L国の大使救出ミッションに参加したメンバーの口から、うめき声のような何かが絞り出された。他のメンバーも、その意味を認識し、まさかこの国でという驚愕の顔つきとなった。そしてずっと黙っていた椎名が口を開いた。また軽い口調が消え重苦しい言葉だった。

「今後我々は、このテロを実行するのに必要なピースの捜索を念頭に活動する。しかしその前にカナリアの正体を見極めたいと思う。昨日、行方不明になった保護対象者子弟のうち、実はまだ1名見つかっていない。それに関して、DOS攻撃から復帰したカメラや、通常ネットに公開されていない、店舗の監視カメラなどから画像を回収した結果、AIが顔マッチングでこれを見つけた。」

 椎名は自分の後ろ上方で、動画を再生した。キツネ面をつけた男と少女が歩いているところに、黄色いワンピースを着た背の低い女性が通りかかり、少女の面を跳ね飛ばすと手を引っ張って自分の方を向けさせ、目の前で何かを光るものを破裂させる。女性は少女の頭を抱きかかえるように顔を寄せると、少女は足下から崩れて、地面にへたり込む。続いてカメラの方を見た瞬間に、カメラにノイズが走って、動画が止まった。

「この最後の画像の乱れは、短距離のEMP電磁攻撃だ。周辺の機器全般に同時刻にフリーズを起こした形跡があった。ただそれよりもこの背の低い女性…」

 椎名がそう言うと、やや荒い画像の中のせいの低い女性の顔がアップになり、段階的に詳細になっていった。顔認識の枠が表示され、政府所有機材と識別番号が英語で表示される。マッチ率は70%だった。

「見覚えはないか?」

「パトロ?」

 ハウが唖然とした口調で言った。

「港湾管理会社の時に私が使ったアバター?」

 パトロが答えた。秋尾が続ける。

「そうだ、あのときの作戦のアバターに似ている。あれはもともと産総研が捜査用に作った高性能アバターで、テスト目的でサイバーコマンドに貸し出されていたものだ。作戦後返却したんだが、産総研に問い合わせると、まだこちらにあると思っていたらしい。伝票上もだ。どこかに伝票情報をハックして、この機体を宙に浮かせて使ったやつがいる。ちょうどナイトアーマーの調整で、一度つくばの産総研に行かなければならなかったのだから、担当者への聴取を含め、これから俺とハウ、パトロ、タクシーで、状況を確かめに行く。いいな!」

「はい!」

 椎名は立ち上がってメンバーたちに檄を飛ばす。

「昨日は、ありがたくも、勝手に我々を舞台演出に組み込んでくれた。この分のギャラは耳をそろえて払ってもらう。いいな!」

「はい!」

 全員が答え、それぞれの持ち場に散った。

「秋尾隊長、ちょっといいか?」

 秋尾がオフラインしようとしているときに、ギルマスが声をかけた。

「メンバーも聞いていいか?」

「かまわない。」

 秋尾は残っているメンバーには留まるように、他のメンバーには会話を共有する。残っているナイト01のメンバーは、秋尾とギルマスの周りを取り囲むように集まった。

「まず、フォレンジックでいまだに何もつかめず、申し訳ない。」

「いや、いいよ。十分やってくれている。」

 秋尾はギルマスが改まって頭を下げるのを見て、笑いながら答えた。

「そういうのはなしにしょう。今後何百とこんなことがあるだろうし。まあ我が国として、ダークネットの接続禁止になった上だったら、腕立て百回だが。」

「おお、やるよ。やるやる。」

「そのときは、連帯責任で全員参加なんだがな?」

 自衛隊ギャグに、ナイト01のメンバーが爆笑する。ギルマスもその意味が分かってつられて笑った。

「で、話って。」

「うちのメンバーに面白いやつがいて、今のまでのハック系の攻撃を果たして何人で実行できるかというのを考えているんだ。そいつ曰く、基礎的な攻撃プログラム、この場合は仮に人間をコントロールできる手法が確立していて、それがダークネットとかで攻撃ツールとして売られるような形であったとすれば、必要人数は腕の立つハッカーが一人、例のおキツネさまなんかでしゃべる役が一人。その程度らしい。事実『青い鯨』のオリジナルをロシアで実行したやつは一人だったしな。余談だが、ハッカーはああいう観客をあおるような軽妙な会話のキャッチボールできないだろうと言っている。だからプラス一人だと。俺もそれには同意見だ。」

「まぁ納得できる話だが、あれだけ警察をきりきり舞いさせられて、たった二人っていう話はへこむよ。まぁそれがネットのネットらしいところでもあるが。ただ千葉の爆弾、そして横浜のマリーナが同一グループだとすると、なんらかの実力組織はある可能性は排除できないが。」

「ファルコンが写真を撮ったドローンだが、調べたがやっぱり民生品には該当がない。一方、ダークマーケットの武器屋には似たものがあった。ただこの武器屋…。」

「地域紛争向けの本職だろ。知っている。」

「ああ、老舗の武器商人の出張店舗。購入者の評価が、笑えるほど高かった。むしろあのコメント欄をOSINTした方が、地域紛争情報わかるんじゃないか?」

「情報機関があるところはやっているだろうな。GEEKSでもやれよ。OSINTなら問題ないだろ。そして自衛隊に高く売れ。」

 またナイト01のメンバーが爆笑した。かつてのPKOでも苦しめられたネタだからだ。

「いい内職だ。考えておこう。」

 ギルマスはまんざらでもない顔をした。

「そうすると、横浜と切り離せば、ハッカーだけがやった犯行の可能性も排除できない、というわけか。」

「そうなるな。ただその説を推したいわけじゃない。」

 秋尾はちょっと腕を組み、宙を見つめる。

「我々の組織的存在を何らかの手段で知って、小出しの偵察で、戦力を探られてと思うもの。」

 秋尾がそういうと、その場にいるナイト01の全員が軽く手を上げた。秋尾は頷いた。

「パトロが言ったテロのピースがそろいつつあるという考えもある。引き続き先入観を持たず、両方の可能性を探ろう。」

 秋尾はギルマスを見てそう言うと、ギルマスも頷いた。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る