第33話 点火

「やぁやぁお疲れ様だね、武彦君」


 車両から発せられたのは、場違いに陽気な竜也の声だった。それは暴風雨の吹きすさぶ天候の中でも能天気に良く響いた。


「それにしても君が魔王サイドに返り咲くとはね。君の臆病なほどの忠誠心は良く知っていたけども、一体どんな心境の変化があったんだい?君はもう戦いを望んでいないって言わなかったっけ?」


 白々しい事をと、武彦は思いつつ。川を逆流する様に、しっかりと地面を踏みしめながら車を目指す。


「そうだねぇ、今の君にとって一番の大事は楓ちゃんだ。彼女に何かあったのかい?それに関しては、僕は感謝されるべきだと思うなぁ。僕は溺れていた彼女を助けたんだよ」


 それは、武彦には初耳だった。この台風と水に沈んだ町で、奇跡的に楓と再開できた後、彼女は直ぐに襲撃され、会話と言う会話を交わさぬまま彼は怒りに任せ飛び出していったからだ。


「いやー、人の良い君の事だから、何か騙されているんじゃないかって僕は心配でね。以前も言ったけど。僕は君に恩を感じているんだ。あの時は僕のミスで楓ちゃんのパパに例の件がばれちゃって、色々とごたごたを起こしちゃったでしょ。その後の流れで、君は引退する羽目になっちゃったし」


 そう、源三が楓の母である立花桜を口封じの為にレイプして、その時に出来た子が楓と言う事が、楓の父、明に発覚したのは、竜也の組に対する裏工作を、顧問弁護士である明に手伝わせていた事が原因だった。


「君が何に対してそんなに怒っているのか分からないけど、君と仲良くしたいって言う思いは、敵対しちゃっている今でも変わらないよ」


 何の戯言をと武彦は竜也の甘言を振り切る。竜也が楓に害をなした、それだけで、彼は怒りの炎を燃やすには十分だった。


「君がなぜそこまで怒っているのか、本当に分からないんだけどなぁ……あーもしかしたら魔王にしてやられたのかも。やれやれ、君の扱いは魔王の方が一枚上手って事なのかなぁ」


 やれやれと、竜也はいかにも残念そうにため息を吐く。それに武彦は違和感を感じた、竜也の言動にではなく、今までの出来事にだ。

 武彦が追った先で出会った敵はサプレッサー付きのサブマシンガンを使っていた。だが、あの時は、この風雨の中でも鳴り響く銃撃の音を聞いたのだ。自分の扱いを良く知っている。その事が心の中に沈殿する。

 もしやあの時の襲撃は、源三が自分のやる気を起こさせるために行ったものでは無いのか。

 不安が胸に募る、竜也に対する決意が、怒りが揺らいでくる。


「まぁ、それでも君がどうしてもと言うのなら、戦う事も吝かじゃない。戦いもコミュニケーションの1つだしね」


 車両の上部ハッチが開き、そこから機銃がせりあがってくる。ブローニングM2重機関銃。12.7mm弾を音速の3倍で打ち出すことが出来、その精度もまた非常に優れていると言う名銃である。


 その銃口が雨音に紛れて静かな駆動音を立てて武彦の方を向く。だが、武彦にはそんな事よりも、頭に浮かんだ疑念を晴らすことの方が重要だった。血を流す楓の姿に我を忘れてしまったが、あの襲撃は本当に自分を狙ってのものだったのか。自分を狙った弾丸が運悪く楓に当ったのではなく、楓を狙った弾丸が運よくかすっただけで済んだのでは。


「話を聞かせてくれ」


 その呟きは雨音に掻き消えたが、カメラは口の動きを捕えていた。照準は外され、車体のドアが静かに開いた。





 下の騒ぎはますます大きくなってくる、この音が鳴り続く限り私に危険はないが、これが止んでしまった時に、私の運命は決定する。

 いいのか、それでいいのか?

 その思いが胸の中に木霊する。

 誰かの助けを座して待つ。私はそんなお姫様だったか?いや違う違うだろう立花楓。私はお姫様なんかじゃない、身の程をわきまえろ。私は唯の薄汚い放火魔だ!


「……ちょっと」


 私の呟きに、魔王が小さく眉を動かす。それに構わず私はこう宣言した。


「なんか色々ごちゃごちゃしてるから、一切合切燃やしてくる」





「くっそこの馬鹿共!ちったぁ真面目にやりやがれ!」


 乱入者が増えたことで、状況は逆転していた。しかし、形勢までもが逆転した訳ではない。倉田と比良坂は、先ほど虎がしていたように、同士討ちを誘発させるように立ち回る。結果、生じたのは、混乱に次ぐ混乱だ。誰もかれもが、賞金は分捕りたいが、自分が傷つくのは真っ平の曲者揃い。そしてここまで生き残っている分、腕が立つのがさらに厄介だった。皆が皆をけん制し合い、囮とし、一歩でも出し抜こうとする命と金を秤にしたシーソーゲーム。

 そして異変が起きた。


「烫‼」


 隅に潜み、漁夫の利を狙っていた中国人と思わしき男が叫びながら戦場に転がり込んできた。その方向を見ると、通風孔から竜の舌の様な炎が噴き出していた。

 これは、と言う疑問を浮かべるその前にだ、炎は一か所だけではなく、部屋のあちこちからも噴き出してくる。

 瞬く間に室内は竈の中。轟々と燃える火は、微かな逃げ道だけを残してフロアーを赤く染めた。


 こんな火の気のない内装前のフロアーで?と思う暇もない。乱入者の大多数は、命あっての物種と我先に階下へと逃げる。だが、それに疑問を抱かない者もいた。


「あの小娘」


 虎は、この惨事を生み出せる少女を知っていた。燃えるものなど少々の枯草程度しかない廃ビルを、ライター1個で燃やし尽くして見せると言った少女の事を。


「テメェが全部持ってくつもりか!」


 虎は雄たけびをあげながら、状況の急変に上階に行った倉田を追い炎の中を駆けるのだった。

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