第32話 前哨

 倉田さんが下りていった。広い広い、内装工事がされていない埃っぽい室内には、魔王と、黒服の人が数人、そして私が残った。

 ここに来た時と比べると人口密度は半減以上。それと反比例する様に下階の騒がしさは増してゆく。

増して増して、どんどん増して、すぐ下まで。倉田さんが下りて行ったと言う事はそう言う事なのだろう。

 魔王は何も言わず、ただ静かに目を瞑り、腕を組み座ったまま。自軍の劣勢に当り散らさないのは流石と言った所だが、決して諦めている訳ではない事は、まるで獣が敵に襲い掛かる寸前の様なその獰猛な雰囲気からさし測れる。


 小泉源三。私の本当の父かもしれない男。彼は私に何も言ってこない。私も彼に問いただすことはしない。小泉達也に関わらなければ、おそらくは私が知ることの無かった男。彼にそのことについて尋ねるべきか、豪雨と銃声をBGMに私は物思いにふける。


「何を見ている、小娘」


 私の視線を感じ取ったのか、魔王がそう呟いた。


「……小泉達也が、貴方が私の本当の父だと言いました」


 ポツリと、私は魔王に視線を向けたままそう呟いた。


「そうか、それで?」

「それだけです」


 そう、それだけだ。魔王に肯定されようが否定されようが、私の父は火に飲まれたあの人だけ。火の中に揺らめき消えた家族の思い出を胸に抱き、私は生きていくのだろう。もっともそれは今日を生き延びれたらの話だが。


 窓の外に目をやる。工事用の防音シートの向う、何時までも降りやまない雨の中おっちゃんは戦っているのだろう。

 おっちゃんが無事でありますように、私は祈ったことの無い神様にそうお祈りした。

 銃を撃って戦えるわけでもない、燃やす事しか能の無い小娘にできる精一杯のお祈りをした。





 敵の配置など戦術の事は分からない。武彦は一介の殺し屋、言われた場所に行き言われた標的を殺す事を続けて来た。だから彼は本能で突き進む。敵の多い所、困難な所の先に目当ての物が有ると感じて突き進む。そして彼は視線の先に一台の車を発見した。


 それを守るは数台の2人乗り水上バイク。敵を見つけた彼らは、狼の様に連携して武彦に襲い掛かってくる。

 牽制、包囲、殲滅。1台が牽制射撃をし、標的の足止めをしている内に、残りが包囲をし、十字砲火を叩き込む。水に沈み満足に歩けもしない状況では、必要以上に丁寧な仕事だ。

 だが、武彦が相手ではそうはいかなかった。彼は、壁や電柱、街路樹、その他あらゆる水面に出ている物を足場とし、ピンボールの様に跳ねまわって的を絞らせない。


 水没した町は、彼ら水上バイク隊のホームグラウンドではあるが、3次元行動をする武彦には関係ない。それに、武彦は銃器を所有していないが、遠距離攻撃手段が無いわけではない。


 ザバンと轟音。武彦は足場にした車の窓に手を伸ばし、大きな水しぶきと共にそれを引き抜いた。

 轟と音がする。武彦の全力で投げられたそれは規格外の手裏剣となり水上バイクの1台に向け豪雨を振り切り直進する。


「危!避けろ!」


 間一髪、高速で飛来するそれを運よく避けられたものの、その水上バイクは大きく軌道を歪ませる。そこに大きな陣形の乱れが生じた。

 武彦はその隙を逃さずに、次々とその1台に向かい投擲を続ける。へし折った街路樹の枝、毟り取った標識、自動車のドア。何かを足場にする度に、何かを手に入れ投擲する。その猛攻の前に程なくして水上バイクはコントロールを失い建物に激突し沈黙した。


 野郎、と敵を討たんと武彦に向かう彼らの背後から、マズルフラッシュと共に銃声が鳴り響く。武彦に注視し過ぎた彼らは背後に迫る比良坂の舞台に気が付かぬまま銃撃の餌食となった。


 武彦は、無力化され、あるいは骸となった彼らには目もくれずその奥にある1台の車に向け突き進んだ。そしてそれの目と鼻の先まで来た時だ。スピーカーより男の声が鳴り響いた。





「はッ!甘えよ!」


 天井からの不意打ちに、虎は素早く背後に飛び下り、銃撃をかわす。だが、かわされるのは先刻承知とばかりに、倉田の93Rが火を噴いた。

 タタタン、タタタンと小気味よいリズムを奏でて3点バーストで発射された銃弾は、比良坂の影に隠れる様に逃げた虎を追跡する。

 血飛沫が飛ぶ、当ったのは比良坂の方、勿論虎がそうなる様に逃げたためだが、痛みを感じぬ比良坂は、意に関せずと攻撃を続行する。

 右手にデザートイーグル、左手に大振りのコンバットナイフ。比良坂の怪力が考慮された基本装備だが、虎は未来視じみた先読みで、巧みにそれらをかわしてゆく。


 やるじゃねぇか、と虎は額に汗をにじませる。連携の精度が段違いであった、今までの彼らは、肉体こそ超人的だが、只々決められたプログラムをなぞってくる様に機械的に行動して来た、だが今相対している彼らは違った。互いに互いの隙を補い合い、有機的に連動してくる。のみならず、虎のトリッキーな動きに的確に反応してくる。

 味方の損耗を恐れない的確で容赦のない攻撃、驚異的な力と無尽蔵の体力。それらが緻密に組み立てられ、虎の逃げ場を塞いでゆく。


 ちっ、先走り過ぎたか。もっとザコ肉壁共を連れてくればよかった。紙一重の回避劇を繰り広げる虎は、そう愚痴を浮かべる。竜也は源三の首に1億円の賞金を懸けた、今回集まった人でなし達は。人種国籍問わずにそれにつれられたろくでなし、名誉と金を同時に手に入れられる機会に飛びついた屑ばかりだ。勿論虎も同じ条件の元に参加している。魔王退治は裏社会の人間にとってそれほどのものと言う事だ。


 そして、その賞金稼ぎ達が合流する。人種国籍は違えど、味方を盾に生き残って来た事を示すように、皆傷跡の少ない者達だ。

 彼らは、倉田の顔を確認すると、下卑た笑みを浮かべて銃を乱射する。倉田の首にも懸賞金が掛けられているからだ。


 戦場はより濃密な混沌に支配された。

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