第24話 放
ぱちゃぱちゃと水が跳ねる
ばしゃばしゃと水が踊る
じゃばじゃばと私は駆ける。
「あっあっ、ああああああああああ!!!!」
私は吠える。
土砂降りの雨の中、心に燻る黒いモヤを吐き出すように全力で叫ぶ。
大水害の真っ只中、誰もいないのが不幸中の幸い、いや例え衆人観衆のど真ん中でも叫んでいたかもしれない。
叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。
灰の中の空気を残らず吐きつくしてしまえば、このモヤも無くなってくれると期待して。
アイツから突如告げられた事実は、重く深く私の中で淀んでいた。安全な場所に出れたことで、その事が余計に重く私の中に居座っている。
いや、これは今まで私が目を反らし続け来た真実だ、過去からの逆襲だ。だけど私に何が出来た、忘れたことは罪なのか。思い出すことが罰なのか。
「おっちゃん……」
私は、両親の
「組長よろしかったんですか」
武彦に見張り代わりの比良坂2人をつけて狩りに行かせた源三に、若頭が耳打ちを打つ。竜也が源三の子だと言う事は周知の事実だが、楓が源三の子だと言う事はごく少数の者しか知らない事実である。
「構わん、小娘1人で奴に首輪を付けれるなら安いものだ」
「首輪……ですか」
若頭は、その比喩に突っかかりを感じた。通常首輪を付けるのは手におえない狂犬に付けるものだ。だが、彼が武彦に抱いていた印象は違う。
武彦は、物静かで欲が無く大人しい性格だった。ただ、その持って生まれた肉体がこれ以上なくこの世界に向いていたと言うだけの、およそこの世界に不向きな真っ当な人間だった。
「くくく、お前ですらそう思うのか」
源三は我が子を人身御供に差し出した事などおくびにも出さず、若頭に向かいこう答える。
「誰もが皆、武彦の事を獅子の体を持った山羊と言うな」
「はっ」
そうだった、武彦はその強靭無比な身体能力を持つ代わりに備えた、心優しい性根を馬鹿にされていた、利用されていた。勿論源三もその一人である。
心優しい武彦を恩で縛り、恐怖で鞭打っていたのだ。
「だが違う、奴の本性は正しく獅子よ。テメェ自身も気づかぬうちに本能的に鎖で縛っているだけのな」
人は源三の事を魔王と呼ぶ。その呼び名は単に彼が人間の欲望の権化だからというだけではない。彼の眼光に射すくめられた人間は、心の奥の奥まで見通されてしまうからだ、その千里眼めいた眼力もまた、彼を魔王たらしめているパーツの1つだった。
「それでは。今までの奴は、無意識に三味線を弾いていたと?」
「ああそうよ。そして奴の鎖を解き放つ鍵はその小娘にある」
「……それは」
「奴の鎖の名は『優しさ』よ。そうだな、目の前で竜也にその娘を殺されでも儲けもんだな」
そう言い、魔王はニヤリと笑った。
『奴は俺たちの近くにいるはずだ、つかず離れず高みの見物をしゃれ込んでいるつもりだろうよ』
源三と別行動を開始した武彦は、彼の勘を頼りに、慣れぬバイクのタンデムシートで五感を研ぎ澄ませていた。
とは言え、暴風豪雨吹きしきる台風の最中である、視界は無に等しく、聴覚も雨音とバイクが巻き上げる水音で用をなさなかった。つまりは勘を頼りに勘で探す文字通り泥沼の有様である。
竜也の工作により、水に浸かり、明かりが消えた町をバイクは進む。この大嵐の中では救助や報道のヘリさえ飛ばせない。時折救助を求める声が投げかけられるがそれらを無視してあてども無くさまよう。
頼るべきは五感を超えた第六感、己の勘唯一つだ。
豪雨は町から温度を奪う。猛暑の夏だが、降りしきる雨により体は冷え切ってしまう。だが、余計な熱が流されたおかげで、神経は研ぎ澄まされる。
その耳が、雨粒の隙間から微かな音を聞きつけた。
「あっちだッ!」
武彦はハンドルを握る比良坂に指を示す。
聞き違い、勘違い、様々な不安が雨と一緒に降りかかる。武彦は全てを飲み込み、じっと耐える。
耐える、そう耐えるしかない。豪雨と濁流の支配するこの町で人間にできることは、唯耐えるのみだった。
「……寒い」
夏だと言うのにこの寒さ。降りしきる雨は地熱を洗い流し、熱帯夜?なにそれ?状態だ。
ずっぽりと、膝まである水かさは流れを伴い、まともに歩くことは不可能。私は壁伝いにおばあちゃんの様に歩を進める。
しかし落ち着いた、叫ぶだけ叫んだら落ち着いてしまった。我ながら単純極まる事他になしだ。
とにかく今は生き抜くこと。生きて部屋に帰る事だ。私の家は学生用アパートの3階、馬鹿と煙は何とやらと、高い階を借りていてよかった。もし地階を借りていたら浸水して何処だか分からん避難場所を探し求めてさまよう事になっていただろう。
「あー、避難情報とかちゃんとチェックしておけばよかったー」
後の祭り。
文明の利器であるスマホも溺れた際に紛失してしまい。今の私はこの水没した町で迷子の子猫。降りしきる雨と停電のせいで自分が何処にいるかも定かではないおまけつきだ。
心細い、寂しい、辛い、きつい。
体温の低下と共に、私の中の火も鎮火寸前。こんな時に思い浮かべてしまうのがおっちゃんの笑顔だった。
「仇……なんだよね」
記憶が戻った今も、今一実感が湧いてくれない。おっちゃんは何時も優しくて、暖かくて居心地が良かった。おっちゃんは私と言う火を優しく見守ってくれる穏やかな風だった。
そんなおっちゃんが両親の仇だったと思い出しても、どう接していいか未だに分からない。恨むべきか、憎むべきか、それとも全てを忘れて許すべきか……。
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