第19話 溺

(放火魔が溺死してたまるかーーーーーー!!!)


 と、意気込んではみるものの、大自然の猛威の中では人間に出来る事などあまりにもちっぽけだ。


「がぼっ!」


 泳ぎは苦手と言う訳ではないが、障害物付き超強力流れるプールと言うルナティックコースを泳ぎ切るなど人間業ではない。ゴツンゴツンと体中に痛みが走る、上下左右の感覚は無く、息継ぎをしようにも水面が何処か分からない。

 ちっぽけな私にできることは意識を持っていかれないように覚悟を決める事。


 ガツンゴツンと、洗濯機に放り込まれた洗濯物の様になりながら、私は、私は……。


「―――ッ!」


 後頭部に鋭い衝撃が走り、キラキラと輝く火花を見ながら私の意識は遠ざかる。


(負ける……か)





 大雨が降り、ダムと土手が決壊し、水に飲まれゆく町に水柱が立つ。いや連続的に立ち上り続けるそれは、最早水柱とは言えない。一枚の水壁が町を疾走していた。


「くそっ!何処にいる!」


 武彦は水の抵抗をものともせず、驚異的な脚力でペダルをこぎ続けていた。ソレは人間業から大きく外れた異形であった。

 ミスタチオン関連筋肉肥大症。筋肉の成長を抑制する因子であるミスタチオンが、極端に機能せず、超人的とも呼べる筋肉量を持つ事になる疾患である。


「くそッ!」


 武彦は悪態を着きつつ停車する。自転車のグリップは彼の握力に耐え切れず変形している。ペダルにも軋みが出て来ている、彼の力に自転車が持たなくなってきているのだ。

 だが、持たなくなってきているのは自転車だけではない。


「すまん、つけといてくれ」


 メキと金属の悲鳴が鳴る。彼は傍にあった自動販売機を無理矢理こじ開け、栄養ドリンクを次々と喉に流し込んだ。

 筋肉を使えばカロリーを消費する、常人よりも遥かに多い筋肉量を持つ彼が全力を持って動けば、その消費量は常人の比ではなかった。


「闇雲に探し回っても無駄だが……」


 彼は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。この広い町内、しかも雨天の夜と言う最悪な視界の中で、1人の少女を見つけることがどれ程困難か、それは砂漠に落ちた針を見つけることに等しい。


 降りしきる雨が体温と同時に彼の気力を奪っていく。

 もし彼女が川に落ちていてしまったら?

 暗い想像が、彼の体力を奪っていく。


「無事でいてくれ嬢ちゃん!」


 栄養補給を終えた彼は、気合と共に全てを振り払い再度自転車に跨る。彼の家、決壊した土手まではもう少しの距離がある、そこから先は運に身を任せて水の流れに沿って進むしかない。





「クソったれ!しつけぇんだよてめえら!!」


 スモークグレネードで時間を稼げたのは一瞬だった。水に足を取られて歩みの遅れた虎に比良坂の追手が迫り来る。


 チュンと空気を切り裂く音が鳴る。

 だが、最悪の視界、しかも動きながらと言う状況では当たる物も当たらない。追手は銃撃による殺傷を諦め確実に接近しナイフで仕留める事を選択する。

 追手の速度が上がる。銃を構えるために固定していた腕を走る事に集中する。筋肉増強剤と違法薬物の投与により、人体の限界を超えた動きを可能とする彼らに水の抵抗など無いに等しい。

 虎との差は一気に縮まり、無防備な虎の背後に白刃が煌めく。


「なめんじゃねぇぞジャンキー共!」


 だが、その間合いは虎の間合いだ。


 虎は背後に目が付いているかのように袈裟懸けの刃を右に少し傾いでかわし、逆手でもって脇腹にナイフを差し込む。

 防刃素材は、斬撃には強いが刺突には効果が薄い。敵の勢いも利用した刺突は、ザクリと言う鈍い音共に脇腹へ吸い込まれていき、皮膚を割き、筋肉を切り分け、肝臓へ突き刺さり――


「シャッ!!」


 ――それが振りぬかれると同時に、豪雨降り注ぐ路地裏に赤い雨が降り注いだ。

 

 だが、それで止まる比良坂ではない。彼らは痛みを感じないのだ。

 脇腹を赤く染めた彼は返す刀で、虎の首を薙ぎに来る。


「おせぇよ」


 ぐにゃりと、虎の背が猫の様にしなる。


 ばしゃんと、何かが水面に落ちた音が鳴る。


 彼は再度ナイフを振るおうとしてある事に気づき一瞬行動が止まる、彼の振るおうとしたナイフが見当たらない、いや彼の手首から先が消えているのだ。


「?」


「ぼさっとスンナ間抜け」


 コポリと、彼の口から血が漏れる。

 虎のナイフは彼の首元に根元まで突き刺さっていた。


 幾ら痛みを感じない比良坂と言えど脊髄を切断されれば絶命は免れない、だが動きを止めた虎を後続の銃撃が襲う。


「チッ!」


 虎は死体となった敵を盾にそれをやり過ごす。その時、町から明りが消えた。

 後続の比良坂は混乱し射撃を停止する。その時だ、目もくらむような輝きが彼らを襲う。


「!!!」


 そしてその後に訪れたのはその輝きの中にある赤い光、マズルフラッシュの火だった。





「いやー、間一髪だったみたいだね虎」

「そうでもありませんが、まぁ礼は言っときますよ竜也さん」


 虎は救援に訪れたウニモグの中で雨に濡れた上着を脱ぎつつそう答えた、銃弾の直撃は無いとは言え、かすめた弾丸による裂傷は至る所に有り、字名の様に虎の如しだった。


「それより、竜也さん。比良坂の秘密の一端は分かりましたよ。正体は魔王の護衛部隊だ、魔王はそいつらにヤクをぶち込むことにより一時的に超人部隊を仕立てあげてやがった」

「へぇ、それじゃこの前に並んでた彼らがそうだって言うのかい?」

「ああ、あん時見た顔がチラホラ並んでた。制限時間があるのか知らねぇが、いざって言う時の特別仕様だろうな」

「まぁそうだね、特別な力には特別な代償が必要だ。常用していたらいざって時にガス欠になっちゃうのかもね。けどそんなものが伝説の殺し屋なんて拍子抜けだなぁ」

「いや、俺が殺ったのは、唯の末端だ。司令塔、末端を手足の様に扱う本命が居るはずだ」

「ふぅん。古代ペルシアの不死隊みたいなものと考えればいいのかな?まぁいいや要は皆殺しにしちゃえばいいって事だよね」

「はは、簡単に言いますねぇ」


 笑顔の竜也に虎は苦笑いで返す。虎が相手にしたのは雑魚、彼の直感はそう言っていた、だが、その雑魚たち相手でさえ虎はボロボロの有様である。


「そう言えば、俺の他の連中はどうなったんですかい?」

「他の?うーん、音信不通だねぇ、GPSで見る限り動いてないから死んじゃってるんじゃないかなぁ」


 竜也はそうやって何という事もない様にさらりと言う。


「まぁ所詮は爆弾屋、白兵戦には向いていなかったって事っすか」


 虎もそうだ。所詮あの場所にいた爆弾班は金で雇われた傭兵。その彼らが命を落とした所で一山幾らの消耗品に過ぎない。計画に若干の修正が必要とするが所詮はそれまでの話だ。


「まぁいいや、夜はこれから次のフェーズに、いざっ出発だ!」


 モニターや機器が所狭しと置かれた車内に竜彦の明るい声が木霊したのであった。


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