第20話 泥

 手ぬるい、遊んでやがるな。

 源三は、手ごたえの無さに苛立ちを感じていた。マンションまでの道中に散発的な狙撃はあったものの、本格的な追撃が行われなかったことがそれを証明している。

 戦力の逐次投入をするほど間抜けな奴ではない、ならば狙撃はあくまで遊び、得物を追い立てるための銅鑼に過ぎない。

 追い立てるべきはやはり……。


「おい、先行した奴らはどうした!」

「はっ!マンションには何も問題ないようです!」


 タンデムシートに座る源三の問いに、並走する一台から返答があった。その答えにますます源三は不機嫌になる。

 罠だ、隠れ家は既に抑えられていると考えて良い。なにせ相手はダムを破壊するような狂人だ、マンションの一つや二つ破壊しても何もおかしくはない。

 おそらくは自分が隠れ家に入った瞬間にマンションごと爆破するつもりだろう。


「そっちは止めだ!狙撃犯の配置からヤサは割れている!高台に行け!」

「はっ!」


 バイクのエンジンが唸りをあげた、その瞬間である。


「な!?」


 町から灯が消え去った。


「がはははは、良いぞ!儂の命は安くはない!」


 停電に、竜也の意図を感じ取った源三は、そう高らかに笑うのだった。





 竜也たちの乗るウニモグは、その圧倒的な走破性を持って水に沈んだ町を突き進む。


「変電所の爆破も順調に終わったけど、こうトラブルが無いとつまらないねぇ」


 呑気そうにそう呟く竜也に、虎は苦笑いしながら「俺の方はトラブル続きでしたがね」と、返した。

 だが、それも竜也の計画通り、元々最初の襲撃で仕留めよう等と、つまらない事は考えていない。

 魔王には散々泥水の中を這いずりまわって、苦しんでから死んで欲しい。特に恨みがある訳ではないが、自分にとって最大の敵と仮定した存在だ、そのくらいやって貰わないと面白くないと、自分勝手にそう決めつけていた。


竜也と虎が雑談をしている時、ヘッドライトの明かりに流れゆく材木が照らされた。


「竜也さん!前に女が!」

「んー、ほっとけば……いや大至急救助して」


 後部座席のモニターから、前方の様子を確認した竜也は、材木にしがみつく様に引っかかる1人の少女の顔を確認した。





「がっは!ごほっごほっ!」


 息が苦しい、頭が痛い、手足が痛い、体中が痛い、溺れる、溺れる、溺れる……。


 吐き気がこみ上げて来て、たまらず私は嘔吐した。


「うぇ……泥臭い」


 あれ?生きてる?って言うか何処此処?

 私の視界に映るのは、泥茶色の粗相の跡と、嫌にメカメカしい不思議な地面だった。


「ったく、汚ねぇ小娘だな」

「うひ!」


 その聞き覚えのあるナイフの様に鋭い声に、私は恐る恐る振りむいた。


「虎……さん、でしたっけ」


 忘れようのない、虎柄の坊主頭に鋭い目つきがそこに在った。


「やぁ楓ちゃん僕もいるよ」

「小泉……さん」


 いた、虎さんがいるなら当然セットでついていると思った。泥だらけのボロ雑巾の様な私とは対照的に、ピッカピカのスーツ姿の彼がいつもの様にニコニコと笑いながらそこにいた。


「ここは……私は……」

「ん?ここは僕の車の中で、君は気を失ったまま、流木にしがみついてたんだよ」

「はっ、はぁ……ありがとう、ございます?」


 我ながら何と言う悪運。あのどうしようもない力の渦に巻かれながら五体満足で生還できたとは、とボーとした頭で考えていたら不意にある事に思いついて汚れた袖でごしごしと唇を磨く。


「ん?はっはっは、大丈夫、君は意識を失っていただけで呼吸停止していなかったからね。虎には残念だったかもしれないが、人工呼吸はしていないよ」

「いっ、いえ、私はそんな」


 バレバレだー!

 私は照れ隠しに手をパタパタと振る。ファーストキスが人工呼吸なのはお約束だが、それは王子様とのファーストキスだから綺麗なお約束になるのだ。虎さんには悪いが、野獣にキスされても嬉しくも無い。


「わぶ!」


 突然何かが私の顔を覆い、視界が暗闇に染まる。


「テメェみたいな汚ねぇ小娘の相手なんざ、こっちから願い下げだ。取りあえずそれで、泥と下呂まみれの面を拭くんだな」

「あっ、ありがとう、ございます」


 意外なやさしさ、不良ならず殺し屋が猫にエサをやると言うのはこういう事だろうか、まぁ彼には以前散々とセクハラされているので、そのお代として受け取って置こう。いや私の体はタオル一枚で済むほどお安くはないので、後は貸だ。

 その後も、タコの様な太った人とかにアレコレと手当てを受けて、取りあえず落ち着いた私は、小泉に状況を尋ねた。すると帰って来たのは聞いたことの無い名前だった。


「君は、小泉源三と言う人物を知っているかい?」

「は?……いえ、聞いたことありませんが」

「あはははは、勉強不足だなぁ楓ちゃんは、ニュースなんて見ないのかな?小泉源三、広域指定暴力団園山組の組長だよ」

「あー、……あ?ああ……」


 悪いがヤクザの組長の名前なんて、一々覚えてはいない。一般人にとってそれは遠い世界の話だ。


「……で、その源三さんがどうしたんですか?」


 小泉は、源三さんは良いやと笑いながら話を続ける。


「うん、名前から想像が付くだろうが、その源三サンは僕の父親でね。だけどこの男がまた悪い男でねぇ。この世のありとあらゆる犯罪は犯してきてるんじゃないかって言う大悪党だ」

「はぁ……」


 いきなり、何を話し出すんだろうがこの男は、と私が思っているのに構わずに、小泉は話を続ける。


「で、僕にはこの男がどうにも邪魔でね、色々と恨みみたいのはある様な気もするが、一番の理由は何となくだ、そう、僕は何となく彼が気に入らない」


 それは、分かる、よく分かる。私もぺらぺらしゃべるこの男が生理的に受け付けない。これは理屈ではない。

 おい、竜也さんと、虎さんが制止するのを手で制して彼は話を続ける。私は危険を感じ全力でこの場から逃げ出したくなるが、生憎と出口は敵の手の中、逃げ場は存在しなかった。


「それで、殺すことにしちゃったんだ、彼を」


 彼はなんてことない様に、そう話した。父を殺すと軽々と言ってのける。いや、軽々とどころか楽しそうにだ。狂っていると放火魔ながらそう思う。


「……そんなこと、どうして私に言うんですか、勝手にやって下さいよ」


 聞かれてしまっては唯じゃおかない展開だろうかと、心の中ではドン引きしながらも、私は素直にそう返してしまった。


「それは君だからだよ、楓ちゃん」

「……は?」


 それは何だろうか、私に何の関係があるのだろうか。


「源三は君の敵でもあるんだ」


 小泉が言った事は衝撃的な話だった。


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