第11話 どこまでも純粋で、どこまでも透明な(改定)

 忙しなくセミたちが合掌する夏のある日、武彦が日課の空き缶拾いをしている時だった。


「これもどうぞ」


 とキンキンに冷えたビールを差し出す手があった。


「……おはようございます、竜也サン」


 武彦の視界に入った高級そうな腕時計のを遡っていくと、そこには満面の笑みを浮かべる小泉竜也の顔があった。





「いやぁ、真昼間から公園で飲むビールは最高だね!」


 プシュリと心地よい音を響かせて、竜也はプルタブを引き開ける。武彦もそれを見て観念した様にそれに従う。


 セミの大合唱を背後に、ゴクリゴクリと男二人が喉を鳴らす音が静かに響く。竜也は一通り喉を潤した後、ニコニコと笑いながら切り出した。


「駄目ですよー、レンタカーであんな派手な真似しちゃったら。

けど安心しといて下さい、ちゃんと鼻薬は嗅がせておきましたから」

「そうですか、ありがとうございます」


 武彦は形だけの例をした。楓には話してはいないが、例のイジメの一件はこの男の差し金だと言う事は何となく察しがついている。勘の鋭いこの男が、あんな隙だらけの写真を取られるはずがないと言う事がその理由だった。

 もっとも、その事を問い詰めた所で正直に吐くはずがないと思っていたので、態々口に出すことはしなかったが。


「けど流石は、楓ちゃんですね。きちんと解決できたようで何よりです」


 何をいけしゃあしゃあと、思うが、それに対し武彦は黙ってうなずいた。やり方はさておき、楓は自分の力……自分の異常性を見せつける事により、イジメを燃やし尽くしたのだ。自分以外に誰も傷つける事無く。


「それで……今日は何の用なんですか」


 腹芸が苦手な武彦は、竜也に真っ直ぐ問いかける。所詮一介の元殺し屋が、この若さでもって生き馬の目を抜く業界をのし上がった竜也に、口で勝負できるわけがないとの判断だ。


「あはははは、僕としてはもう少しおしゃべりを楽しみたいんですけどね。まぁいいでしょう、今回は武彦さんに従いましょう」


 竜也はそう言い、ビールを一口、喉を湿らせて一拍開けて話を続ける。


「どうでした楓ちゃんの様子は?」

「……見てたんでしょう、俺から言う事は何も」

「いやまぁ、楓ちゃんが警察の厄介になるのは気分が良くありませんからね、遠くから見守らせて頂いたのは確かですが。僕は楓ちゃんに最も近い貴方の感想が聞きたいんですよ」


 セミの声が五月蠅い、夏の最後の大合唱だ。だが、そんなもの昨夜の光景を思い浮かべれば全て燃え尽きてしまう。

 武彦もまた缶ビールに口を付ける。そして、昨夜の余熱をかき消すように一気に飲み干した。

 竜也の噂は聞いている、その中の1つが重度の人材コレクターであると言う事だ。そんな彼の目には、あの少女の存在は何処までも純粋に赤く輝く特級のルビーの様に見えるのだろう。


「……危ういですよ、何時燃え尽きてもおかしくはない」


 悩んだ武彦は素直な感想を口にした、どうせ昨夜の出来事については一部始終が報告に上がっているだろう、ここで自分が何を言っても全ては見抜かれていると言う諦めが混じった本音だった。


 竜也はその言葉を聞き満足そうにうなずいた後こう続けた。


「そうだね、なかなか情熱的な子みたいだ」


 武彦は意を決して一歩踏み込む。


「竜也サン、あの子をどうするつもりなんですか?」


 自分は所詮お目こぼしで生きながらえさせてもらっているだけの、壊れた殺し屋だ。あの少女を組織と言う巨大な力から守ってやることは出来ないかも知れない。

 だが、こんな自分になついてくれている1人の少女を守ってやろうと思う事ぐらいは出来る。例えそれが十全に実を結ばずとも、終わってしまったわが身を差し出せば手を取る事位できるのではないか。

 武彦は目の前にいる竜也に対し、そんな希望と覚悟を決めた。


「いやですねぇ、武彦さん。そんな怖い顔しないで下さいよ。伝説の殺し屋、ステゴロ武彦に睨まれてしまっては、おっかなくて話も出来ない」


 竜也はそう言って、笑いながら肩をすくめる。確かに自分は膝が壊れた、だが逆を言えば壊れたのはそこだけだ、自分の隣にのうのうと座っている優男1人殺す事位訳はない――


 と、言う事も無い。この公園に入る前から狙われていると言う感覚はある。敵の気配位置は分からないが、粘つく冷えた殺気をずっと感じる。感覚の錆ついてしまった自分なら先の先を取られて、竜也を殺す前に自分の額に穴が開く事は想像に難しくなかった。

 まぁ、竜也を殺した所であの少女が無事でいられるか、判断のつけようなど無いが……。


 ふぅ、と武彦は息を吐き、先ほど考えていた物騒なシミュレーションを脇にどけ、視線を地面に戻す。それと同時に、自分に向けられている殺気もほんの僅か緩んだ気がした。まぁ緩んだと言っても照準が外された訳ではない、相変わらず自分の命は敵の掌の上のままだ。


「あのイジメ、竜也サンが仕込んだんでしょ」

「んー、ははは、まぁそうですね」


 武彦は驚きに体をすくめる。まさか素直に認めるとは微塵も思っていなかったからだ。


「そこまで入れ込む理由は何ですか」

「そこまで入れ込むに値する女の子だからですよ」


 竜也はニコニコと笑いながら、武彦が思った通りの答えを返した。


「どうしたら見逃してくれますかね」


 このような質問、交渉としては最悪だと言う事は分かっている。だが殺し1つで生き抜いて来た彼にそんな器用な方便は浮かんでこなかった。


「ん~~、難しいですね」


 竜也は暫し考え込んだ後そう返し、こう続けた。


「と言うか、僕が見逃した所で彼女に待っているのは破綻への道しかないと思いますよ。今では何とか耐えていますが、何時飛んで火にいるか分かったものじゃない」


 その通り、全く持ってその通りと武彦は昨夜の光景を思い出す。


「ならば、そんな彼女の手綱を取る存在が居た方が、幾分長生きできるんじゃないですかね」

「……それが、貴方だと」

「いいえ?それは貴方ですよ武彦さん」

「!?」


 予想外の一言に、竜也の方に向き直した武彦が見たものは、穏やかな笑みを浮かべた竜也の顔があった。


「どういうことです?貴方はあの少女、立花楓を手に入れたいのじゃないんですか」

「ええ勿論です、私は彼女手にしたいとは思っていますよ」


 その言葉と笑顔に武彦は漸く竜也の狙いに気が付いたのであった。


「俺を狙ってるんですか?だが俺はもうお払い箱になったガラクタですよ」

「あははは、たかが膝を砕かれた位何だって言うんですか、いい医者を紹介しますよ?

 それともなんです?もう治ってるから医者の紹介なんて必要なかったですか?」

「…………」

「あの時の事はしっかりと覚えていますよ。貴方はケジメを付けるため、親分集の前で膝を3発も打ち抜いた。その心意気と今までの功績を込めて無罪放免きれいさっぱり足を洗えたわけです。 ええ、文字通り殺し屋としての過去を血で洗い流した。

 ですが、組長から今為朝ためともとも呼ばれた程の貴方です、骨が砕け腱が切れた程度、自力で治したんじゃないかなー、と、期待しているんですが」

「無茶言わんで下さい。俺は唯の力自慢の殺し屋、それだけです」

「源為朝も似たようなものだったらしいですけどね。天下無双の剛力の持ち主、腕一本で平安の世を大暴れっと。

 ……僕はね、武彦さん。貴方に恩返しをしたいんですよ」

「……アレは、俺が勝手にやった事です。そもそもが向いてなかったんですよ、俺は」


 武彦はあの日の事を決して忘れない。堅気の衆は巻き込まない、そう言った制約を掛けて初めて彼は自分のタガを外すことが出来ていた。それを破ってしまったなら、後に残るは壊れた万力、使い様の無い鉄屑がそこにいた、それだけだ。


 竜也は、「お時間をお取りさせたお詫びです」と言い分厚い封筒をその場に置く。


「竜也サン、こんなもの受け取れません。それよりも一つ聞かせてください」

「ん?なんですか?僕に答えられる事なら何とでも」


 竜也は突き返された封筒に視線も返さず首を傾げる。


「貴方の目的は何なんですか。そんなに人を集めて何しようって言うんですか」

「ん~、そうですねぇ。僕としては面白おかしい人たちと面白おかしく暮らしていくことが目標と言えば目標なんですが……。

 そうだ!取りあえず日本制覇から始めますか!」


 そうしよう、そうしようと、竜也は無邪気に笑いながら去って行った。





「誰が危険だ」


 武彦はベンチにほって置かれたままの封筒を握りつぶしながらそう呟いた。

 立花楓は危険な少女だ、それは火に魅せられ、火を操り、火と消えてしまう様な危険な少女だ。だがそれは彼女1人で完結しているとも言えた。

 だが、小泉達也と言う男は違う。彼は全てを巻き込み、全てを怖し、全てを連れていく津波の様な危険な男だ。

 彼について行けば、あるいは類まれ無い大成功を収めるかも知れない。だが、そこに彼の求めるものは無い、彼は過程が楽しければ結果などどうでもいいのだ。成功も失敗も彼の中では同様に価値が無い。そのどちらも次の騒ぎの為の準備段階にしか過ぎないのだ。

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