第6話 水道水と総菜パン(改定)

「ところで虎、あの子はどうだった?」


 楓を送り届けた帰りの車内、竜也はニコニコと笑いながら運転席に向かって話しかけた。


「ええ、まぁ。乳も尻もまだ固い小娘ですがね。必死で我慢してる顔なんて見てたら疼いて疼いてしょうがありませんでしたよ」

「あはははは、虎は相変わらずダメ人間のロリコンですねぇ。そう言う事が聞きたいんじゃないって分かってるでしょ?」

「ハハハ……」


 それまでは、楓の体の感覚を思い出すようにいやらしい笑みを浮かべながらハンドルを握っていた虎は、それを強く握り直してからこう続けた。


「……ありゃ化けもんですわ」

「へぇ」


 その答えに、竜也は満足そうな笑みを浮かべる。


「俺は火付けが専門じゃないんで分かりませんがね、少なくともあの規模の建物に放火しようってのにライター1個で済む訳がないって事ぐらい分かります。

 俺が依頼されたらそうですね……余裕をもってポリタンク10個位はガソリンを持っていきます」

「んー、まぁそうだね。腕のいい職人に発注したとしてもその半分は必要だろうね」

「でしょう?それがあのガキ、涼しい顔してこれで十分ってライター一個よこしてきやがった。

兄貴から丁寧に扱えって言われてたもんだからそうしましたけどね、そうじゃなかったら素っ裸にひん剥いてケツの穴まで調べ上げてましたよ。高性能爆薬かなんか仕込んでないかってね」

「いやはや、僕も同意見だ。武彦君に妙な女が纏わりついているからって調べさせたらとんだ当りを引いたみたいだね」


 武彦の名前が出てくると虎は少し不機嫌になる。虎は現役の殺し屋だ、今の若手の中でも上位に位置すると自負している。そして、そこに立ちふさがるのは嘗ての武彦の伝説の数々。

 武彦が引退してしまった今では、直接腕を競い合うことが出来ないのが、大きな憤りとなっていた。


「そんなに言うんならなんで素直に返しちゃったんです?」


 虎は話の流れが妙な方向に行かないように、先手を打って口を開く。虎のその態度に竜也は少し苦笑いをしながら答える。


「まぁ僕は平和主義者だからね。特に急ぎで火付けが必要と言う訳ではなし、彼女とはゆっくりといい関係を築いていきたいんだ」

「けどあのガキ、これに懲りて真っ当な道に戻ったりしませんかね?犯した後に記念写真でも撮っといた方がよかったんじゃないですか?」

「あはははは、まったく虎は気が短いなぁ。言ったろ?急ぎの用はないって。それにそんなことしたら、恨みで縁が結ばれちゃうじゃないか。そんな縁は絡みやすいし切れやすい、僕はね情や快楽でもって彼女に気持ちよく働いて貰いたいのさ」


 おっかねぇと虎は思う。

 金、暴力、女。虎が求める者は単純だ、それは何処にでもあり、ほんの少しの力さえあれば用意できる、虎が生きている世界はそう言う場所だ。しかし誰もがすんなりと他人に与えるような事はしない。

 自分が竜也にしたがっているのは、彼が自分に気持ちよくそれを用意してくれるからだ。やりがいのある殺ししごと、十分な金。今回だってたかが小娘……と言う訳ではなかったが、小娘相手の追跡程度で札束を手間賃としてもらっている。

 単に金離れの良いだけの人じゃない、人心掌握と人の弱点を突くことに長けた、麻薬の様な一種特異的なカリスマを持つ男、それが小泉達也と言う男だった。





「知らない天井だ」


 元ネタ不明のお約束をポツリ。知らないどころか、昨夜は寝るまでずっと見続けていたブルーシートの天井だ。


「おっさんは……居ないや」


 かび臭いベッドから起き、狭い室内を見渡してもおっさんの姿は何処にもなかった。


「……おっさん?」


 急に不安になる、朝の陽ざしと共に夢の様な昨夜の暖かな時間は過ぎ去り、冷たく澄んだ現実が押し寄せて来た。

 私はおっさんの過去を知ってしまった。おっさんも私の秘密を知ってしまった。昨夜が最後の時間となり、もう二度と会えないんじゃないか、そんな不安が押し寄せて来たそんな時だった。


「おう、起きたのか。公園の水を汲んで来た、これで顔でも洗ってこい」


 おっさんはそう言って水滴が滴る2リットルのペットボトルを差し出してきた。


「ありがと」


 私はそう言ってそれを受け取り、おっさんと入れ替わりに部屋を出て、言われた通りの事をした。

 生ぬるい水で洗った顔は、お世辞にもさっぱりしたとは言い難かったものの、幾分は昨日の嫌な出来事が洗い流されたような気がした。


 と、同時に我に帰った。


 いや、放火がヤバイ人にバレタことが問題ではない、いやそれはそれで大問題だが、問題はそれだけではない。

 ゆめ見る乙女全開モードで津々浦々と包み隠さず、胸襟全開おっぴろげでおっちゃんと語り合ってしまった事が大大大問題だ!

 顔を洗って幾分さっぱりしたはずの顔に火がついたように熱くなる。地球が回る速度よりも遥かに早く心拍数が増大していく。

 あわわ、あわわと焦るばかりで考えがまとまらない。こうなれば、おっさん諸共焼身傷心自殺でもして、全てを無かったことにしてしまおうか。

 私がそんな物騒な事を考えつつ、回収されっぱなしになったライターを探していた時だ。


「朝飯だぞ」


 と、おっちゃんが安物の惣菜パンを差し出してくれた。





「おっちゃん、金持ってたんだ」


 そう言えば昨日は晩御飯を食べていなかったことを思い出しながら、もしゃもしゃと、手渡されたそれにかぶりつきつつ私はそう質問する。


「失礼な、俺は住所不定なだけで無職ではない。ホームレスは立派な職業だぞ」

「あははは、また訳わかんない事を」


 おっちゃんの部屋の良い所は電気が通ってない事だ。おかげで、私は顔の赤さを悟られずに、こうして堂々と食事や会話をすることが出来るたのだった。

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