第5話 河川敷の段ボールハウス(改定)

 あの後宣言通り、保護者おっさんの元に私を連れて来た小泉は。おっさんとしばらく話した後。「じゃあね楓ちゃん」と言って去って行った。

そして、夕暮れ時の河原には私とおっさんだけが残された。


「おっさんごめん。小泉さんから色々と聞いちゃった」

「って謝る事はそれかよ」

「それだけじゃないけど、ごめん」


 プライベートに立ち入らない。私たちの間に流れる緩やかな風は、私のミスで失われたのだ。私はその事に何よりも責任を感じていた。


「それよりも、まだ放火続けてたんだな」

「……うん。やめられない、どうしても止められないし、止めたくないんだ」

「はぁ、まったく困った嬢ちゃんだ。まぁ殺し屋なんてやってた俺にはそれを咎める権利はないがな。

 けどこれでもう懲りただろ。火遊びはもう卒業するんだな」

「……分かるけど分からない、私から火を取ったらそれこそ燃えカスしか残らないよ」

「トンチを効かせてどうするよ。それこそ次見つかったらただじゃ済まされねぇぞ」

「うん、分かってる。できるだけ我慢する。出来る限り工夫する」


 はあとおっさんは深いため息を吐く。うん、分かっている我ながら訳の分からない事を言っている、けどこれが私の本心だ。燃え盛るあいを抑える術を知らず、抑える気も更々ないどうしようもない放火魔がこの私だ。


 この日、私は外泊することにした。

 色々あって、色々あった。

 精魂疲れ果てた私には、家まで帰る気力が残っておらず、嫌がるおっちゃんを泣き落とし、おっちゃんの家に泊めてもらう事にした。

 誰か、安心できる人の傍に居たかったのだ。


 おっちゃんの家は、ブルーシートとベニヤ板で作られた3畳ほどの、古式ゆかしいホームレスハウスだ。中にはダンボールや古雑誌で作られた簡易ベッドが一つあり、その他にはプラスチックの衣装棚がぽつんと一つあるだけの寂しい空間だった。


「狭い所だが、自由に使っていいぞ。俺はどっかでとまってくら」

「えっ!そんな悪いよおっちゃん!」

「ばーか、嫁入り前の娘が、素性の知れない三十路親父とクソ狭いあばら家で寝る方がよっほど悪い、俺の精神衛生上もな」

「けど…………」

「あー分かったよ、お前が寝付くまでは傍に居てやる。ったくそんなに萎れるんなら、これからは心を入れ替えて真っ当に生きるんだな」

「…………前向きに……善処します」


 やれやれ、困った嬢ちゃんだ。おっちゃんはそう言うと私をベットに寝かせて、自分は床で胡坐をかいた。私はおっちゃんの匂いに囲まれながら眠りに落ちるまでずっと話をしていた。深い部分までずっとだ。

 最初におっちゃんと出会ってしこたま叱られた事、その後も懲りずにずっと放火を続けていた事、放火が止められない、止めたくない事。飢えが渇きが満たされず、行き場の無いあいが放火と言う形で溢れてしまう事。プライベートも含め色んなことをずっと話した。

 おっちゃんも相槌を打ちながら、ポツリポツリと昔の事を話してくれた。小さいころから喧嘩自慢の腕自慢、何時しか流れてヤクザの用心棒。それが過ぎて気が付いたら殺し屋家業をやっていた。詳しい事までは話してくれなかったが、結構な数の殺しをやっていたらしい。

 相手は海外の同業他社がメイン。拳銃刀剣が乱舞する鉄火場でおっちゃんはステゴロ、つまりは素手での戦いを好んだらしい、と言うか不器用なので得物を使った戦いは苦手だったとのことだ。小泉って人の話によると、界隈では伝説の喧嘩師と呼ばれていたとかなんとか。


「まぁ、色々あって失敗し。膝を壊され今じゃこの有様だ。

 それでも、この生活も悪くはない、と言うかむしろ今ではこっちの方が性に合ってるとさえ感じるがね」


 おっちゃんはそう言って秋風の様な少し寒くて柔らかい笑顔を浮かべた。無精髭にまみれたその顔は、決して爽やか全開とはいかなかったが、心の底からの自由を感じ、それが私には眩しく見えた。





 ポツポツと喋りつつも、いずれ楓の口からは話ではなく寝息が漏れて来た。武彦は握った手を静かに離し、ゆっくりと部屋を後にした。


 ゴツゴツした岩の様な自分の手と違い、白くて華奢な手だった。

 だが、彼女の手は火に包まれている。

 そして自分の手は血に汚れている。

 そして……、そして……。





「面倒な人に目を付けられちまったようだな」


 澄み渡る夜空に、武彦の呟きが溶けて消える。

 小泉達也は、彼が現役バリバリの頃に、金バッチを付けた人物だ。

 組長の息子であり、東大出のインテリの彼は、斜陽産業であるヤクザの世界に入ってきて、その能力を十全に発揮した。

 最初は末成りの青秒譚、頭でっかちなだけの青二才と影でひそかに馬鹿にしていた周囲の者たちも、不思議な彼の魅力と、文句のつけようのない実力の前に、出る杭を打つハンマーを奪われ、溶かされ、砕かれていった。

 武彦には、ある親分が言った竜也の人物評が染みついている。


『奴は水だ、何処にでもすんなりと入り込み、あっさりと中和していく。

 奴はみずだ、使い方を間違えればいつの間にか全身が染まっちまうだろう』


 そんな彼を最も可愛がっていたのは、彼の実の父である組長だった。

 彼はいい意味でも悪い意味でも息子である竜也を可愛がった、誰よりも過酷な試練を与え、誰よりも惜しみなく賞賛を与えていた。まるで、いつ死んでもおかしくないと言った風に、まるで、早く殺してしまいたいと思っている様に。

 そのひり付いた関係に武彦が巻き込まれて『事故』が生じ、彼は全ての責任を被ってヤクザの世界から引退をした。

 武彦は自分に課した禁を破ってしまったのだ。





 武彦は懐から取り出した煙草に火をつける。

 夜風に煙が流されていく。

 月が、とても綺麗な夜だった。

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