裏綴 八月二十五日、廃ホテルにて 中編
「これで終わりなんですかね?」
アシスタントが不思議そうに言う。
「はっきりとしたオチもないですねぇ。」
だいたいの視聴者は分かりやすい怪異というものを求めているのは分かっている。ばかばかしいCGなら笑えばいいし、うまい具合に怖いものならそれはそれで楽しめる。この映像は確かに恐怖心をあおるような終わりではあったが、パンチが足りなかった。
「でも、これなら特番でタレントさんとかに突撃してもらえばいい感じになるんじゃないですか? 廃墟のホテルなんて、いかにもって感じですし。彼らが許可もらえたなら、私たちが行くのだって容易でしょうし。」
アシスタントの言葉におおむね同意し、私は安藤紀之に連絡を取ってみることにした。何を始めるにも彼の話は聞いておきたい。
翌日の午後、私は一人で安藤紀之宅を訪れていた。ごく普通のアパートである。周りの状態から考えると隣の一軒家の持ち主が余っていた庭部分を賃貸アパートに変えたのだろう。
階段を上がり二つ目の部屋のインターフォンを鳴らす。何の反応もない。ノックをしてみても当然反応はない。もしかしたら、まだ大学にいるのだろうか。
「……どうかしたんですか?」
声の方向に向くと、じっとこちらを見ている少しくたびれたスウェットを着た中年男性がいた。不審者を見るかのような目だ。
「えっと、私はこういうものでして……」
名刺を渡し、DVDを送ってきた安藤紀之に会いに来たことを簡単に伝える。男性は警戒を多少は解いたようだったが、あまり私のような業種の人間を快く思っていないようで、眉間のしわはそのままだった。
「安藤君、二週間くらい前に見かけてからずっと見てないですよ。大学生だしまだ夏休みでしょ? 実家にでも帰ってるんじゃない?」
男性にお礼を言った後、おそらくは大家であろう隣の家に向かった。
「安藤君ねえ……最初に一回挨拶しに来ただけで、とくに何もありませんし。あぁ、そういえば、ご実家の連絡先なら分かりますよ。連絡、取ってみましょうか?」
恰幅の良い女性が対応してくれた。女性は人の好さそうな笑みを浮かべ、そう提案してくれる。まさに渡りに船であった。
女性は新しい家の中で少し浮いていた黒電話に向かい、棚の中から書類を取り出すと、「安藤……安藤……」と呟きながら一枚一枚確認していった。一分も経たないうちに目的のものを探し出すと、ダイヤルを回し始めた。
「もしもし、米倉です。ええ、はい。こちらこそお世話になっております。」
私の中の偏見にはこの年代の女性は世間話などで電話が長引くというものがあったが、その予想に反していきなり本題に移ったようだ。
「……はい、じゃあかわりますね。」
女性から電話を受け取り、自分の名前を告げた。電話の向こうでは小さなすすり泣きが聞こえる。
「紀之のこと、何かご存じなんですか?」
電話の先のおそらくは彼の母親だろうか。かなり切羽詰まったような問いだった。
「いや、えっとですね……私、安藤君に連絡を取りたくて、米倉さんにお願いしてつないでもらったのです。昨日、その安藤君からのDVDの入った封筒が私どもの番組に送られてきまして。それで、ですね。」
「紀之から?」
安藤母のため息には落胆と少しの安堵が混ざっている気がする。
「八月末に大学のお友達といった旅行先にもう一度行ってみると言ったきり、連絡がつかないんです。警察にも相談したんですが、夏休みですし、大学生だからって、あまり真剣に取り合ってくれなくて。」
何度も、何度も繰り返した言葉なのかもしれない。彼女の声は震えていたが、メモに書いてあるものを口に出してあるかのように詰まりもなくすんなりと続いた
興味深そうにこちらを見ていた大家家族の女性をしり目に、一度直接伺うべく約束を取り付けた。来週の土曜日、場所は埼玉県のここから電車で一時間強の場所だ。
途中の駅ビルで買った菓子折りを片手に坂を上る。閑静な住宅街に時折子どもの声が響いている。
表札とメモを何度か確認し、最後にもう一度自分の服装を確認してインターフォンを鳴らす。この仕事は長くも短くもなかったが、「本物」に出くわしたことはなかったためだろうか、私は妙に緊張していた。
私を迎えてくれたのは疲れた様子の女性だった。安藤紀之の母親である。
「紀之が最初に旅行のことを話してくれたのは六月でした。行ってみたい場所があるからと言って。観光地とは言えないような場所でしたし、特に何か面白いものがあるなんて聞いたこともなかったから不思議には思ったんです。」
私にダイニングの椅子の一つを進めると、安藤母は飲み物の準備をし始めた。ガラスのポットに入った麦茶をコップに注ぐ。その手はかすかにふるえているようにみえた。
「八月二十四日に出発すると言ってました。二泊すると。本当は二十八日までのつもりだったみたいですけど、紀之はほかの用事ができちゃって、お友達を残して帰ってくる予定だったんです。」
安藤母は片方のグラスを私に勧めると、正面の椅子に座った。
「旅行が終わってもなんの連絡もなかったんです。紀之は私が何かにつけて電話するのを少し煩わしく思っていたようで、一人暮らしを始めてしばらくしてからは自分から電話をしてくれるようになったんです。だから、その日も息子から電話がかかってくると……思っていたんです。」
「それで彼が失踪したと?」
安藤母は小さく頷いた。
「警察は真剣に取り合ってはくれませんでしたけどね……でも、きっと紀之とそのお友達は何か事件に巻き込まれたんじゃないかって。」
「ご友人も?」
「そうです。紀之がいなくなってしまったって気づいてからしばらくして、そのお友達のお母様からうちに電話が来たんです。『うちの息子が帰ってこないんです。そちらに伺ってはいないでしょうか?』って。」
予想以上に自体は深刻なのかもしれない。そうは思ったが、彼らがすでに警察に相談しているのなら、自分が出る幕もない。
「彼から届いた封筒なんですけど、消印は九月十二日になってるんです。筆跡、紀之さんのものでしょうか?」
私はカバンから封筒を取り出すと、安藤母に手渡した。
「……間違いないです。息子は安藤の『藤』を妙な略字にする癖があったので。普通、こんな風には書かないですから。」
確かに言われてみればあまり見ない略字である。問題なく読めたからか、気にも留めていなかった。
「確かDVDが入っていたんですよね? 見せてもらってもいいでしょうか。」
「それは、もちろんです。この封筒と中に入っていたDVD、どちらもご家族にお預けした方がいいかと思いまして。」
鞄からDVDを取り出し、玄関先で渡した名刺に自分の携帯電話番号を書き加えさせてもらう。
「何かあれば、ここにご連絡ください。私も心配ですし。」
安藤母は封筒を撫でた。
本当に困ったことになったかもしれない。もし、安藤紀之とその友人が何かしらの事件に巻き込まれたのなら、警察から連絡が来ることは間違いない。ようやくディレクターとしての道が始まったのだ。トラブルに巻き込まれるのは不本意である。
その上、あのDVDは番組で使えなくなるかもしれない。そうなると、自分たちで「廃ホテルを肝試しした学生グループの動画」を作らなければならなくなる。また予算が消えていく。
テレビ局に戻り、アシスタントが買ってきてくれたカップ麺をすすりながら、今後のスケジュールを組み立てていた。
夏はもうすぐ終わってしまう。もし予備の動画を撮るのなら、早くしなければならない。そのためには取材も必要だ。となると、あの村にも行かなければならない。事前にあの廃ホテルの所有者にも許可を取らねば。
いくらかのたらい回しのあと、廃ホテルの今の所有者が判明した。
倒産後、土地と廃ホテルは一度「赤城さん」に戻ったそうだが、彼の死後に隣村の神社に寄付されている。おそらく話にも出ていた「隣村の巫女さん」の神社だろう。
留守を頼み、件の場所へ車を走らせていた。
スケジュールに余裕がないせいであまり時間を取れなかった。その上、本当なら一人で来るつもりもなかったのだが、あいにく男性スタッフで手が空いている者がいなかったのでたった一人での弾丸取材だ。
カーナビに表示された地図と目の前の田舎町の様子を何度か見比べた。田舎、というには少し人が多く、それなりに発展しているように見える。山中の町にしては子どもも多い。
ナビ通りに進んでいくと大きな神社は見えてきた。「湖守神社」というらしいこの神社は、ネットで調べた通りなら狐神をまつっているらしい。神の使いとしての狐ではないらしい。これでも少しはこういったものの知識はある。物珍しく思い、サービスエリアで休憩がてら調べていたのだが、文献という文献は見当たらず、神社のホームページ以上の知識は得られなかった。
「テレビ局の方、ですか……」
境内を掃除していた巫女服の女性をつかまえ、声をかけた。
「K山のホテルについて、少し教えていただきたいのですが。」
女性は幾分か悩む様子を見せた後、神社の片隅にあるベンチへと私を促した。
「ここにホテルの権利が移っているということまでお調べになっているのなら、私が話せることは少ないと思いますよ?」
「……大学生が二人行方不明になっていまして。警察にはもういっているのですが、私も関わったからには手助けをできれば、と。」
局に入ってから身に着いたそれっぽい建前をよどみなく答えたのだが、女性はこちらを警戒する様子を崩さない。
「まあ、いいでしょう。」
ふう、と女性がため息をつくと、肩が少し軽くなった気がした。
「あのホテルでお亡くなりになった方がいるのは事実なのです。私どもはそこのお清めなどを赤城さんから任されたのですが、彼の死後にご遺族がここにあとは任せたいということでしたので。」
女性は一度私を値踏みするように見た。
「特に何かがあるというわけではないと言うのですが、お亡くなりになった方がいる以上、権利であろうが手元に置いておくのは不安だったとお聞きしておりますよ。」
「それだけですか?」
私の建前に返すように彼女は何かを隠していた。何か自分の奥底を素手で探るような彼女の視線に心臓が早鐘をうっていた。
「あまり、嘘は好かれないのですよ……」
困ったように笑う彼女の言葉が指すのは誰のことだろうか。
「好奇心は猫をも殺す、と言いますし……この場合だとお金と名誉でしょうか? そのようなもののために、踏み込むべきではない場所もあるということはお判りでしょう?」
ベンチが軋み、下を向いていた私に影がかかる。顔を上げれば女性は私の目の前に立っていた。
巫女服の女性から半ば逃げるように車に戻っていた。聞くべきことはまだあったのだが、今まで経験したこともないような類のプレッシャーに残暑も忘れ鳥肌が立っていた。
湖守から離れて幾分か経った頃、ようやく平常心がもどってきた。女性への仄かないら立ちと怒りとともに車を村に向けて走らせる。
それも落ち着き、今日の宿の駐車場に着いた頃に、神社からホテルに入る許可をもらっていないことを思い出した。まあ、山の中ならいくらでも入る場所はあるだろう。
そういえば、安藤紀之たちはどうやってあの巫女さんがいる神社から許可をもらったのだろうか。
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