第2話 ただいま戻りました

「全軍突撃!!」


 アズィーズのその号令を聞き、皇帝スルタン軍――皇帝スルタン直属軍および連合諸国の軍団が動いた。人馬の声が轟く。


 ワルダ城を包囲していたナハル兵を、背後から叩きのめす。


 振り向くようにこちらへ向かってくるナハル兵に、アズィーズの軍隊は雨のごとく矢を注いだ。ナハル兵が次々と倒れていく。地に紅い液体が流れにじみ沁み込んでいく。


 ひづめが舞い上げる猛烈な砂塵が空を覆い尽くす。太陽の光がかすんだ。


 ナハル軍に対して、皇帝スルタン軍は左右から覆いかぶさるように攻め込んだ。


 人の雄叫び、馬のいななく声、剣の金属音、矢が空気を切り裂く音――戦場の音。


 ここが、本物の、自分の舞台だ。


 帰ってきた。血沸き肉躍る。


 ギョクハンは、双刀を、抜いた。


「ギョクハン」


 アズィーズが後ろから声をかける。そのアズィーズも、左手に手綱を握ったまま、右手には槍を持っていた。


「今度こそ。お前の本領発揮だ。まっすぐ行け。そして城門へ向かえ。ワルダ軍と皇帝スルタン軍とでナハル軍を挟み撃ちする、ワルダ軍が出やすいように花道を整えてやれ」

「承知」

「行け!」


 黒い愛馬で駆け出した。


 今、馬とひとつになる。

 自分は走っている。

 風になる。

 頬を裂くように流れる空気が心地よい。


 ナハル兵は、騎馬で猛烈な勢いで突っ込んでくるギョクハンと皇帝スルタン傭役軍人マムルークたちに、恐れをなしたようだ。背を向けて逃げ始めた。

 敵に背を向けて逃げる人間が勇猛果敢な騎馬民族の戦士に敵うわけがない。


 右手の刀を振った。ある歩兵の首を後ろから刎ね飛ばした。

 左手の刀を振った。また別の歩兵の首を後ろから刎ね飛ばした。

 間を置かず次の兵士を狙った。今度は手前へ引くように刀を薙いだ。背中を斬る、というよりは、背骨を叩き折った。


 ナハル軍の濃緑の外套マントをまとった騎馬兵が向かってきた。

 その兵士はギョクハンに向かって矢を放とうとしていた。

 しかし、立ち止まって弓を構えている者の矢がギョクハンを射止めることはない。

 身を低くしてかわして、すぐそばまで飛び込んでから腹を叩き斬った。


 次の騎兵は剣を抜いて突進してきた。

 やっと気骨のある者に出会ったようだ。


 だがギョクハンの敵ではない。


 敵の剣と右手の刀がぶつかり合った。剣が弾け飛んだ。左手の刀を斜め下から振り上げた。首が飛び、宙に紅い噴水が上がった。




 ワルダ城の裏手に、ワルダ城の裏門から城内の人間が出てこないよう見張っている数人のナハル兵が立っていた。


 ジーライルは音もなくある一人の兵士の背後に立った。


 腕を伸ばす。

 首に肘を絡ませる。

 後ろに引いて、締め上げる。


 窒息した兵士が倒れた。


「貴様何奴!?」

「絨毯商人です!」


 向かってきた一人の兵士の顎に掌底を叩きつける。昏倒する。後ろに崩れ落ちる。


 別の兵士には首を狙って蹴りを入れる。兜を吹っ飛ばして倒れる。


 さらに別の兵士には腹に突進した。骨盤をつかまえると担ぎ上げるようにして持ち上げ、後ろに投げ飛ばした。頭から落ち、首が曲がった。


 短剣を握って叫びながら突っ込んできた兵士の手首を横から手刀で打つ。短剣が落ちたところで、金的に向かって思い切り蹴りをくらわせた。


 転がり落ちていた兜を拾い、他の兵士の顔面に向かって投げつけた。見事ぶつかり、その兵士も目を押さえてしゃがみ込んだ。低い位置に来た腹を前から蹴る。


「おい、ジーライルに手柄を全部取られるぞ!」

「行け行け! 俺らもできることを示せ!」


 アズィーズの私兵である傭役軍人マムルークたちが慌てて飛び出した。そして、ジーライルがしているように兵士たちと取っ組み合い始めた。


 その様子を岩陰から見ていたファルザードは、ここまで一緒に来た白馬の首を撫でつつ、「むちゃくちゃだよお」と呟いた。


 あと二、三人で片づく、というところで、ジーライルがファルザードに駆け寄ってきた。


「さぁ行こう! 裏門の兵士たちに僕らを通すよう言っておくれ!」


 ファルザードは頷いた。


 白馬にまたがった。裏門へ続く狭い坂道を駆け上がった。その後ろをジーライルも栗毛の馬で追いかけてきた。


 様子を見下ろしていたワルダ兵たちが「おい!」と叫んだ。


「ファルザード!? ファルザードじゃないか!」

「お久しぶりです! 開けてください! 戻ってきました、ザイナブ様に会わせてください!」


 ワルダ兵たちが「後ろの方々は!?」と問いかける。


「我々はアズィーズ皇太子殿下の遣いの者! 皆さんをお助けに来た、敵ではない!」


 ジーライルがそう答えると、ワルダ兵たちは顔を見合わせて頷いた。


 裏の城門が開く。

 ファルザードとアズィーズの私兵たちは門をくぐり、ワルダ城内に到達した。




 一万騎の皇帝スルタン軍に蹴散らされ、ナハル兵は壊滅的な打撃を受けた。


「開門! 開門!」


 それまで固く閉ざされていたワルダ城の正門が開く。城壁の中、無人になった街並みは寒々しかったが、ギョクハンは目をくれずにまっすぐ城へ向かった。


 もう少しで、ザイナブに、会える。




 忘れもしない、ワルダ城の回廊を行く。破壊された城は痛々しく、転がる大岩には不安が募る。


 それでもワルダ城はまだワルダ城だ。自分たちはここで暮らしていたのだ。たったひと月だったのに懐かしく感じられる。そして満たされる。


 ファルザードは振り向かなかった。一目散に走った。


 あと少しで、ザイナブに、会える。




 二階の、大広間の前に辿り着いた。


 ギョクハンも、ファルザードも、だ。二人が同時に到着したことに気づいて、二人とも立ち止まり、顔を見合わせて、笑ってしまった。


 左の扉をファルザードが、右の扉をギョクハンが、押した。扉が、ゆっくり、開いた。


 部屋の中央、窓掛けがたなびき、露台バルコニーの向こう側に見える蒼穹を背景にして、ザイナブが、立っていた。


 やっと、会えた。


 ザイナブは、別れた時と何ら変わらぬ笑顔で、微笑んでいた。


「ギョクハン、ファルザード」


 間に合った。


「おかえりなさい」


 ザイナブが両腕を広げた。


 ギョクハンもファルザードも飛びついた。ザイナブの左腕にギョクハンが、ザイナブの右腕にファルザードが抱かれた。


 ザイナブの香のいい匂いがする。柔らかい。温かい。


 生きている。


 嬉しい。


「ただいま戻りました」

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