【童話】きつねのコタと女の子
くるり、くるくる、ひら、ひらり。
ぽつぽつぽっつん、ぱさりさり。
紅い葉、黄の葉、茶色の木の実。秋の山は、たくさんの音でできています。
かさこそ、リスは走り回ってドングリ集め。
キツキツ、小鳥は柿の実をつついて大喜び。
山の動物たちはみんな、秋を楽しく走り回ります。
そんな賑やかな山の奥。キツネのコタは、きれいに色づいた葉を頭に乗せて、くるり、宙返りの練習中。
今年の春に生まれたコタは、まだまだ『くるり』が上手くできません。
頭に乗せた葉っぱを落とさないでくるんと回るのは難しいのですが、足元の落ち葉が粉々になるほど練習して、できるようになりました。
えいやっと後ろ足で地面を蹴って、ぴょんっと跳ねます。
きれいにくるんと回れるのに、コタの『くるり』は成功しません。
またダメだった、とがっかりするコタのところに、友だちキツネのホンが嬉しそうに走ってきました。
「コタ、コタ! オレ、できるようになった!」
「ホン、君もかい?」
「大丈夫、コタもできるようになるよ。じゃあ、行くね!」
『くるり』が上手にできるようになったキツネの男の子は次々と、生まれたこの山を後に旅立ちます。昨日までにフウも、ヤックも、そして今日はホンも旅にでてしまいました。
コタも早く行きたいのに、なかなか『くるり』ができないのです。
「あーあ、いつになったらできるんだろう……」
仲のいいホンにまで先を越されて、コタの胸はちょっとむずむずしてしまいました。
もしかして、ずっとできないままかもしれない。
そんな雨雲みたいな気持ちが、むくむくわいてきます。そうすると、今まで元気に跳ねていた後ろ足もぴったり地面にくっついて離れなくなってしまいました。
「やめやめ、今日の練習はもうやめた!」
コタは頭に乗せていた葉っぱを身ぶるいをして地面に落とすと、タッとそこから走りました。朝から練習をして、お日さまはもう一番高いてっぺんに。お腹がぐう、と鳴りました。
ススキの間を飛ぶ虫や、木の根元に隠れているノネズミを見つけて捕まえます。
ごはんは上手にとれるのに、『くるり』だけがうまくいかない……コタはますます、しょんぼりしてしまいました。
くるり、くるくる、ひら、ひらり。
ぽつぽつぽっつん、ぱさりさり。
紅い葉、黄色い葉、茶色の木の実は、山のどこでも同じように落ちています。
ぽとぽと歩いていたコタは、いつのまにか里に近いところまで来てしまっていました。
木の間から見えるのは、刈り入れの終わった田んぼ、茅葺の屋根や畑に鶏小屋。牛を飼っているのは村長さんのところです。
声を上げて遊ぶ子どもたちの姿が見えて、コタは引き返すことにしました。里の子たちは、コタを見つけると追いかけてくるので苦手です。何もしていないのに、石を投げられたことさえあったのですから。
見つからないようにそうっと後ろを向いたコタの鼻先には、赤い鼻緒の草履が。
「わあっ!」
びっくりして後ろにぴょんっと飛んでしまったコタは、ガサリと落ち葉の中にお尻から落ちてしまいました。
宙返りだって上手にできるキツネが尻もちなんて、かっこ悪くていけません。恥ずかしくって、かあっと顔が熱くなります。
慌てすぎてどっちに行ったらいいのかわからなくなって、尻尾を追ってくるくる回ってしまったコタの耳に、くす、と春の花が咲くときのような女の子の笑い声が聞こえました。
「キツネさん、これ食べる?」
少し離れたところで伸ばされた小さな手のひらには、にぎり飯がひとつ。
驚いて見上げたコタの目に、紅い着物の女の子が映りました。
「わたし、お腹すいていないの。あげる」
女の子は、落ちてきたばかりのきれいな紅い葉をお皿にしてにぎり飯をのせると、そうっとコタの近くに置きました。
ぷちぷちした麦と粟が入ったおにぎりは、いい匂いでコタを誘います。
おいしいよ、ほら食べて、と言われているようで、ついついコタはパクリと食いつきました。
――うん、おいしい!
怖がっていたことも忘れたコタの食べっぷりに、女の子は嬉しそうに目を細めます。
ごっくん、と最後の一口を飲み込んだコタはあれっと思いました。
下に見える里では、子どもたちが楽しそうに輪になってにぎり飯を食べています。なんでこの子は向こうで一緒に食べないんだろう?
それに、里の子はみんな、茶色や黒の着物です。目の前の女の子のような紅い着物を着ている子はいません。
不思議に思いながらも、ハッと我にかえったコタはくるりと女の子に背を向けます。
「おいしかった? また明日も持ってくるね」
またね、と言われて振り返ると、女の子は寂しそうな顔をしていました。
まっすぐな黒髪はきれいに切りそろえられていて、日に焼けていない手も足も真っ白。にぎり飯を置いた爪は桜の花びらのようだったな、と思いながら、コタはカサカサ鳴る落ち葉を踏んで帰り道を急ぎました。
くるり、くるくる、ひら、ひらり。
ぽつぽつぽっつん、ぱさりさり。
今日も山は紅い葉、黄色い葉、茶色の木の実でいっぱいです。
あれから毎日、女の子は昼になるとにぎり飯を持ってきました。コタはにぎり飯のお礼にアケビや山ぶどうがなっているところに連れて行って、ふたりで一緒に食べました。
トンビの爺さんから、女の子が里の子ではなく町の子だと聞きました。女の子のお母さんが病気で、しばらく前から親戚のいるこの村に預けられているのだそうです。
そして、口数の少ないきれいな女の子と、元気すぎる里の子どもたちは、あまり仲良くなれていないのだとか。
女の子が笑いもしないので、預かっている親戚もだんだんに気味悪がって、ご飯を渡すほかは目も合わさないと知って、コタはトンビの爺さんと一緒に腹を立てました。
病気のお母さんを心配していて、どうして笑っていられるでしょう。そんなこともわからないなんて。
女の子は、コタの隣でぽつりぽつりと話します。
紅い着物は、離れ離れでも寂しくないように、とお母さんが自分の着物をほどいて仕立ててくれたものだということ。
お母さんの病気がよくなったら、お父さんが迎えにくると約束したこと。
里にいるより、山でこうしてコタといるのが好きだいうこと。
女の子はコタのほかは誰とも遊びません。
コタは『くるり』の練習をやめました。
だって、コタが旅に出たら女の子はひとりぼっちになってしまいます。
山に残るキツネの男の子は、コタだけになりました。
くるり、ひらり。
ぽっつん、ぱさり。
やがて木の上の葉っぱより、地面に積もった落ち葉のほうが多くなった頃。
噂好きのカラスが、女の子のお父さんがこちらに向かっている、と伝えてきました。お母さんの具合がよくなったのです。昨日から町の会合に出ていた村長さんと一緒に戻ってくるようです。
お父さんが来たら女の子は行ってしまうでしょう。コタはその知らせを聞いて、最後の日になる今日は何をして遊ぼうか、と頭を巡らしました。
今もたっぷりと実がなっている栗の木のところに行こうか、それとも秘密の湧き水の場所を教えようか。
そう思いながら里が見えるところまで行くと、子ども達が集まってわいわいと騒いでいました――輪の中心にいるのは、あの女の子です。
「なんだよ、町の子だからって偉そうに」
「そうよ、そんな紅い着物なんて着ちゃってさ。ふん、ちっとも似合ってない」
子ども達が寄ってたかって女の子に酷い言葉を投げつけています。女の子はぐっと唇をかみしめて両の目に涙を浮かべて、下ろした両手を固く小さく握っていました。
「どうせお前の父ちゃんだって迎えになんてくるもんか」
「そうだそうだ、やーい、捨てられっ子」
コタの胸はカッと熱くなりました。
だって、お父さんは今、村に向かっているのです。お母さんはまだ病院だけど、女の子に会えるのをそれは楽しみに待っているのです。
止めに入る村長さんがいないので、周りの大人が知らんぷりをしているのも気に入りません。
「なんか言えよ、ほら!」
どん、と肩を押されて、とうとう女の子の目から涙がぽろりと落ちます。くるりと背を向けて山のほうへと走り出す女の子の背には、更に囃す言葉と小石が投げつけられました。
逃げて逃げて、いつもコタと会うところよりずっと奥まで来てしまいました。
疲れてしまった女の子は、一本の大きな木の根っこに座り込んで膝を抱えてうずくまりました。そっと近寄るコタに気づくと、泣きはらした顔を上げます。
「ちがうもん。捨てられっ子じゃないもん」
そう言ってまた女の子は泣き出した顔を伏せます。
大丈夫だよ、お父さんはもうすぐ来るよ。お母さんも元気になったよ。
そう伝えたいのに、キツネのコタは女の子と話すことができません。最後の日なのに下を向いてばかりで顔も見られません。
ひらり
その木に残っていた最後の真っ赤な葉っぱが一枚、コタの上に落ちてきました。
女の子は膝を抱えて泣いています。
コタは久しぶりに『くるり』と宙返りをしました。
ぽん
透明な煙がコタの周りを包んで、その両足が地面に着きます。黒い鼻緒の草履の、男の子の足でした。
「泣かないで」
「……え?」
「遊ぼうよ、向こうにいいところがあるよ!」
男の子は驚く女の子の手を取って立たせると、長い前髪に隠れた瞳をにっこり細めて笑いかけました。
知らない男の子に連れられて初めて入る山の奥は、珍しいもので一杯です。
見たこともないきれいな花、足元一面に降り積もった真っ赤な紅葉。もうすっかり終わったはずの栗もキノコも採り放題。
クルミを運ぶリスの巣穴をのぞいたり、眠っているフクロウをそっと撫でてみたり。
二人でたくさん遊んで、たくさん笑いました。
そうして男の子が最後に女の子を連れてきたのは、こぽこぽ清水が湧く小さな泉。
いっぱい走って乾いた喉に冷たい水はとてもおいしくて、笹の葉で作ったコップに汲んで二人でこくこく飲みました。
一息つくと、男の子は鏡のように澄んだ泉を指さして女の子に話しかけました。
「なあ、村の奴ら、オレがこうしてやるよ」
女の子が水面を覗き込むと、青い空と葉の落ちた枝を映していたその鏡が、ゆらりと揺れて里の村を映し出しました。
泉の中の村は夕焼け色に染まって、家々では夕餉の支度。子ども達の姿もありません。
と、そのうちの一軒――女の子が預けられていた家、女の子の肩を乱暴に押した男の子のいる家から、ぼっと火がでました。
茅葺の屋根が、木の引き戸が、裏の納屋が燃えていきます。
風にあおられた里の家が次々と燃え出します。
驚いた村の人達が逃げ出しますが、みんな火と煙に巻かれていきます。
全部が燃えて後に残るのは、すっかり炭になった里の村。
「やだ、やだ。そんなことしないで」
喜んでくれると思った女の子の声は震えています。せっかく乾いた瞳にはまた涙が浮かんでいました。
「どうして? あんな奴ら、いなくていいだろ」
「だってこんなの、こわい。それに、誰もいなくなったら寂しい」
怖かったのは、大勢に囲まれて酷くなじられた女の子です。
寂しかったのは、お父さんともお母さんとも遠く離れて暮らさねばならなかった女の子です。
そのはずでした。それなのに。
「お父さんが迎えに来てくれれば、いいの」
「それだけ? 本当に?」
何度も頷く女の子に、男の子は困ったように首を傾げます。
そんな二人の上で、トンビの爺さんがくうるくると舞い始めました。迎えが来たのです。
……なあんだ、と男の子が呟くと、また水面がゆらりと震えて今の里の様子が映りました。
村長さんと女の子の父親が今日戻ってくるとは思いもしなかった村人たちは、大慌てです。女の子の姿が見えないことを問い詰められて、大人も子どもも顔色をなくしていました。
泉に身を乗り出して水面を見つめる女の子の足元で、ざあっと草を分けて現れたのは山を降りる一本道。
「まっすぐ行きな。振り返ったら、村を燃やすからね」
ひゅうと吹いた風で長い前髪が上がって、初めて男の子の顔が、目が見えました。
――黄色い瞳。にぎり飯を渡して、一緒に遊んだ――
「……ありがとう」
震える腕を男の子の首にぎゅっと回してそれだけ言うと、女の子は言われた通り後ろを見ずに、まっすぐ山を下りました。
くるり、ひらり。
ぽっつん、ぱさり。
……ぴちょん。
小さな木の実が落ちて波紋を作ると、駆けてきた女の子を抱き上げたお父さんの姿を映したのを最後に、泉の上の里は消えました。
男の子は泉に背を向けると、もう一度『くるり』をしてキツネに戻ります。
ふさりと尻尾を揺らし、コーンと高く一声鳴いて。
そうしてコタは、この山を後に旅に出たのでした。
おしまい
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