柏木洋平の現在

 人気ひとけのない裏路地にひっそりと構えるビルの一室で、柏木洋平は両腕を背中の後ろで縛られて座りこんでいた。目の前には社長が座っていそうなリクライニングチェアと木製のデスクがある。洋平はこの場所に見覚えがあった。とある暴力団の事務所内で、洋平は一度だけここを訪ねたことがあった。

 リクライニングチェアには一人の男が座っており、デスクの上で両手の指を交互に絡ませている。その上にあごが乗っかっていた。なんとも、傲慢ごうまんな姿であった。

 「なんでここに連れてこられたかは、わかるよな?」

 男が洋平に問いかける。洋平はおおよその見当はついていたものの、返事をする気力は起きなかった。

 「俺から金を借りておいて、いつまで経っても返さないのは、そりゃ道義にかなわないんじゃないか?」

 「契約書の内容をでっちあげておいて、道義もなにもあったものか」

 「黙れ!」

 男が声を荒らげる。すぐにいきり立つのが男の性分なのだろう。しかし、両手をふさがれているうえに、この窮地を打開する方法はあるかと尋ねられたところで、洋平は何一つ思いつかなかった。言葉で挑発するよりも、おとなしく黙っている方が得策だと洋平は判断する。

 「うちもさ、お人好しで金貸しやってるわけじゃないんだよね。契約書も全部見せたはずだし、でっちあげと言われる筋合いはない」

 おそらく金銭を借りたときにみせられた契約書は、今叩きつけられているものとは違う。ただ、それを証明するすべがない。浅慮せんりょもはなはだしいと我ながらに想う。

 「でさ、膨れ上がった借金のことなんだけど、そろそろ返済してくれないと困るんだよね」

 当初見積もっていた額はすべて返済しているはずだった。しかし、いつのまにか自分が抱えている借金額は、もう支払うことができないほどにかさんでいる。そのことくらい、目の前の男だって知っているはずだった。おそらく、この絶対的上下関係を楽しんでいるに違いない。

 「臓器売買って知ってるか?」

 洋平は顔をあげて、男をまじまじとみた。この男は、いったい何をするつもりだ。

 「あれって、そんなに稼ぐことはできないと思っていたんだけどな、高く買ってくれるところが見つかったんだよ」

 「それが……どうしたんだ……」

 「大体察しはついているんじゃないのか?」

 この男の言う通り、洋平はこの男のもくろみに気付いていた。しかし、その現実をあまり素直に受け取りたくはなかった。

 「一週間やる。その間にお金を用意するもよし、家族やお友達と最期の別れをするもよし。好きに過ごすといい。ただ、一週間後、再びここに連れ戻す。必ずだ。そこから先は、もうわかるな」

 「残りの人生は、あと一週間、ということか」

 「まぁ、そういうことだな。別に逃げたってかまわないからな」

 逃げきれるものなら。洋平は頭の中でそう補っていた。この男が本気になれば、自分がどこへ逃げたって捕まるはずだった。そんなことくらい、洋平だって知っている。そのことをこの男もわかったうえで発言しているのだろう。薄気味悪く高笑いするのが聞こえる。

 洋平は、自分の残りの人生は一週間であると決めつけることにした。

 運命だから仕方がない。

 諦めも、ときには肝心なのかもしれない。

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