菅原詩音の未来

 「まさか、またあなたに会えるなんてねー」

 「まぁ、僕は君に初めて会うんだけどさー」

 詩音は両足に力を込め、前方へと注ぐ。詩音の乗っていたブランコはさらに速度を増した。隣のブランコには洋平が座っており、特にぐ様子もなく、足を伸ばしたり折りたたんだりしている。西陽がとっぷりと浸かった公園の中には、詩音と洋平の二人だけしかいなかった。

 「もうそろそろ家に帰る時間じゃないのかい?」

 洋平は隣でブランコを漕ぐ詩音にそう問いかけた。

 「私には心配してくれる家族なんていないからさー。それに、感動の再会への余韻よいんにもう少し浸ったっていいでしょー」

 詩音は勢いを殺さずにブランコを漕ぎ続けた。詩音と洋平の出会いはついさっきで、詩音が塾から帰ってくる途中、どこかで見たことがある人影を発見したのだ。その人影の正体に気付いたときにはもう走り始めていたと思う。人違いの可能性はあったが、いちかばちかで話しかけてみたのだ。するとやはり、先日踏切で自殺しようとしている人を助けた男性だった。その人の名前は洋平だということに、ほんの数分前に知ったのだった。

 「それにしても、あのシーンを見ていた人がいたなんて」

 「まぁ、そのとき私も色々と追い詰められていたしねー」

 「追い詰められていた? テスト勉強とか、色恋沙汰  ざたとか?」

 「そんなに綺麗な学生生活なんて送ってないよ。生死の境目に居たっていうことかなー」

 洋平は驚いて詩音の方向をみていた。何かよからぬことを想像したらしい。

 「まさか……」

 「そのまさかだよ。私だって驚いたんだから。自分がこれから死のうっていうときに、近くで別の人が自分と同じようなことをしていたんだから。そして、さらにその人は助けられたんだから」

 詩音は勢いを強めていたブランコに逆向きの力を加えて、減速させていく。少々疲れてきたのだ。

 「なんで、君は死のうと思ったの?」

 その理由を話したら長くなる、と詩音は思ったが、自分自身が先ほど言ったように、帰りを待っている家族なんていやしないし、帰る必要もなかった。しいて言えば、あまりに遅くなりすぎると、周囲の目が自分と洋平の関係を変なベクトルへと邪推じゃすいしてしまうかもしれないという危険はあった。まぁ、いずれにせよ洋平から会話を振ってきたのだから、不測の事態は洋平に対処してもらおう。

 勢いをすっかり失ったブランコに座りながら、詩音は滔々とうとうと話し始めた。


 「とまぁ、簡単な言葉で表すとすれば、DⅤでしょうね」

 「だから自殺を……」

 洋平はうつむきがちに呟いた。もう少しオブラートに包んで話せばよかったかなと詩音は近くにあった石ころを蹴飛ばした。

 「それにしても、君は本を読むのが好きなんだね」

 話の中には読書が害悪だとののしられたことも含んでいたから、そんな感想を持ったのだろう。

 「ええ、好きよ。なかでも芥川龍之介は特に好き。話の結末がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかよくわからないのよね。芥川龍之介が書く小説は。そこがいい。あとイケメン」

 「やっぱり女の子はイケメンが好きなのかなぁ」

 「最後のは半分冗談だよ」

 洋平は少し気持ちを軽くしたのか、ゆるやかな笑顔をしてみせた。決して仏頂面という意味ではないが、洋平のその顔はどこかお釈迦様のイメージと似ていた。

 「僕も何作か読んだことがあるよ。『蜘蛛の糸』はとても好きだな」

 「あら奇遇ね。私もあの作品は大好きよ。罪人がか細い一本の糸にしがみついて、地獄を抜け出そうとする。けれど、結局プチリと糸は切れてしまう。そのときの滑稽こっけいさとか痛快さといったらありゃしない」

 詩音は『蜘蛛の糸』という作品には、信賞必罰しんしょうひつばつの思いが込められているとの見解を持っていた。悪者は必ずひどい運命にあり、善人は報われる。

 しかし、現実というものとはかなりかけ離れている。現実は平気で悪者が優位に立つことができているのだ。

 「なるほどね。罪人はしかるべきところに行く運命にある、そう捉えることができるよね。ただ、僕はこうも考えている。あのとき罪人の考えが変わっていれば、やっぱり救われたんじゃないかな、って。

 そんなことないわ、運命は決まっているのよ、詩音はそう言おうと思った。しかし、洋平がまた話し始める。

 「例えば、罪人が下も振り向かずに一生懸命登っていたとしたら、極楽浄土までたどり着いていたかもしれない」

 蜘蛛の糸は、罪人の心がけがれていると判断できるに足る行為をしたことによって切れた。つまり、その行為をしなければ地獄に逆戻りすることはなかっただろうということだ。

 「まぁ、たしかに……」

 「それにさ、大体がそんなに弱っちい糸で助けるなよお釈迦様って感じちゃうよ。もっと感情なひもにすればいいのに。絶対登りにくかっただろうさ」

 「あなたはひねくれ者ね、そんなこと言っていたらお釈迦様に嫌われちゃうよ」

 詩音はくすくすと笑ってしまう。まさか、そんな見解があったなんて、考えもしなかったからだ。どうやら洋平は罪人に助かってほしいらしい。

 「でもさ、やっぱり悪者は痛い目をみるべきだよ」

 「そりゃそうさ、問題はどうすればいいかだよ。君なら答えを導けそうだ」

 「悪者をらしめる方法ねー」

 「僕は結局見つけられないまま、現世をおさらばすることになりそうだ。ああ、地獄だったら嫌だな、お釈迦様、さっきの話は聞かなかったことに」

 詩音は洋平がかなりきついジョークを言ったようにきこえた。

 「そんなもう死ぬことが確定しているみたいな」

 「実は確定しているんだ。僕はもうすぐ、死ぬんだよ」

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