第8話 榎本一身の分裂
「メリークリスマス!」
陽気な声にハッと意識を取り戻す。
ここは……見覚えがある。
腕時計を見る。
デジタルは『23:05』を表示していた。
ニッカのおじさんは変わらずそこでほほ笑んでいる。
体を確認する。
……消えていない。
いや、意識を手放した記憶はあるのだ。
そしてこの状況……戻って来たのか?
確かに過去、父親であろう彼、カズキを救えたであろう記憶もある。
ならきっと成功したのだ。
父親を救い、母親を救い、俺自身もその後仕込まれて誕生した世界。
そこに戻ってきたのだ。
そうでなければ俺が今ここにいるハズがない。
いや、結論を出すにはまだ早いか。
一度母親に連絡して――――
と思った次の瞬間。
頭に鋭い激痛とも鈍痛とも取れる痛みが走った。
思考の隙間を無理やりこじ開けられ、そこに詰め物をされているような、または脳味噌が無理やり追加されるような、頭が窮屈になる痛みだ。
周りから見れば頭がパンパンに膨れ上がっていたのではないだろうか。
と、のちの俺は語る。
その時は一切の思考は出来ず、ただ痛みに耐え、悶え、うずくまるだけだった。
おそらく10秒ほど、その痛みは続き、その余韻にさらに30秒ほど苦しんだ。
その後立ち上がり、激痛の意味を悟る。
そしてこの世界が俺の望んだ世界ではなく、むしろ俺にとって最悪の世界であることを知った。
「よう!カズミ!!」
肩に手が置かれ、声を掛けられる。
思考を回転させることに集中していた俺は思わず勢いよく振り向き、そして―――
――――頬に指が突き刺さり、半回転戻ってその場にうずくまった。
「あ、悪い。そんなに勢いよく振り向かれると思わなくてな」
「何すんだ!流行ってんのかそのいたず―――――」
振り向くとそこには初老の――
―——知っている姿とは違い、髭を蓄え、少し痩せ、大人びた『カズキ』が立っていた。
「ん?私の顔に何かついているかな?それとも――――」
先ほどまでにこやかだった表情がスッと陰る。
「————タイムトラベルから帰ってきたところかな?」
声が出なかった。
この状況での絶句は肯定と同義だった。
「あぁ、そうか。お疲れ様。母さんは美人だったし可愛かっただろう?そして私も今よりちょっとイケメ――――」
「このッ!!クソ親父ッ!!!!!!」
吹き出す感情。
言葉を遮り胸倉を掴み、捻り上げる。
「お、落ち着いてよカズミ」
「落ち着いていられるか!!!成功したんじゃないのか俺は!!!!この結果はなんだ!!!!あんたに託した言葉はどうなったんだよ!!!!」
周りの人間がこっちを見ている……のだろう。
俺には周りなんて見えてないし、気にしていない。
とにかくこの男を殴り倒してやりたかった。
「カズミ」
「言いたいことがあるならさっさと、はっきりと、言ってみろ!!!!」
溢れる。
俺はいつのまにか涙を流していた。
それを見られたくなくて俺はそのまま胸倉を乱暴に振って離した。
その場に父親が倒れる。
「カズミ……」
「なんで、なんでなんだ。なんで。それならあんたなんか救わなくてよかった。元の世界に戻してくれよ。俺を。あっちでよかった。あっちだけを知ってればこのまま幸せだったんだ!」
母さんの幸せ、その可能性を身勝手な事故で奪い、その挙句、母さんと俺が掴んだ現状、安定していた幸せを奪うのか。
「聞いてくれ、落ち着いてくれ、カズミ。いつか、きっとこういう日が来ると思っていたんだ。お前がその記憶をもって帰ってきて苦しむ日が来ると思っていたんだ。いいか、わかっていると思うが、『宇美』———いやお前の母親はこの世界にはいない。死んでいる。お前が生まれた後、交通事故で。お前を産んですぐに死んだ」
そう―――先の激痛で俺は『この世界で暮らす俺』と同期した。
その言い方が正しいかはわからないが、データ更新のような感じだ。
俺は俺が生きていた『母親が生きている世界』の住民だ。
そしてこの世界、『父親が生きている世界』の住民でもある。
俺の中には幼少の、学生時代の、そして今に至るまでの記憶が二つ存在していた。
この世界の俺は、認めがたいが幸せである。
父一人、子一人であっても寂しい思いをさせない父親の事を尊敬していた。
この世界でも俺は、警察官になった。
理由は誰にも語ることはなかったが、同じだ。
父親の顔を思い出せば笑顔しかないが、ふと表情が陰ることがあった。
それは俺に対する哀れみでは決して、ない。
そういう可能性もあったのだろう、と考える横顔だ。
その顔が幼少のころ、俺は好きではなかった。
それが理由となり、この世界でも俺はリア充を嫌い、取り締まるために警官になっていた。
「親父……取り乱した。ごめん」
心をなんとか落ち着ける。
「いいんだ。塗り替えられるでもなく、どちらの記憶も持たされるなんて、神様はなんて惨いことをするんだろうね。どこか近くの店に入ろうか。そこで少しコーヒーでも飲もう」
そう提案する父親に俺は小さく頷くだけで答え、その若いころよりも少し小さく、丸くなった背中を見つめた。
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