第7話 榎本一身の消失②


 信じられない光景と、最悪の可能性が喉を締め上げ、声が出なくなった。

上着だけではなく、俺が消えかかっていた。

まさか――――失敗したのか。

仰向けに寝転がる彼の胸が浅く上下している。

まだ、彼の命はここにあった。

――――では何故?どうして失敗した?

巡る思考を現実に戻したのは、彼の瞼がゆっくりと開き、こちらを見据えたからだった。

「君は……誰だ?」

小さな声を俺に向けて放つ。

弱弱しいその声からは驚きの感情が読み取れた。

それもそうだ。

俺も感じた通り、一瞬自分だと錯覚するほどに俺たちは似ているのだから。

「俺はカズミ。江ノ島一身。あなたが若い人たちに連れていかれたと彼女さんから通報があり、ここにいる。警察官です」

今にも落ちていきそうな彼の瞼と意識をここに繋ぐ為、会話をすることにした。

今にも消えていきそうな俺の体が元に戻る可能性はここにしかなかった。

「そうですか、私、幽体離脱でもしているのかと思いましたが、違うようですね」

思ったよりも元気そうだ。

これなら救急車が来るまで持つだろう。

しかし俺の体はまだ消えかかったままだった。

「あぁ……いろいろありまして半透明なんですが、まあ気にしないでください」

と苦し過ぎる言い訳ともジョークともつかない事を言っている辺り、俺の精神のほうが危なそうだ。

「いやあ、たまに失敗するんです」

ビルの隙間から少しだけ見える夜空を眺めながら彼は話始める。

「なんというか、なんですかね。嫌いなんです。ああいう『何をしてもいい』と思っているような、『俺がこの世界の主人公』だというような振る舞いをするような、周りの迷惑を考えないような若者……いや若者に限った話ではないですが、そういう人が」

あぁ、あんたに似たのは外見だけじゃあなかったってことか。

いや、そもそもその身勝手な行動で周囲に、まさしく今、迷惑を掛けているのはお前だよ。

母さんと俺を残し、勝手に死んでいったのもお前だ。

そう思っても口には出さなかった。

喉元まで出かかった熱いものをグッと飲み込んだ。

「俺も、なんです。だから警察官を目指した。そういう奴らを堂々と取り締まりたくて、注意したく思って」

とだけ伝えることにした。

「あぁ、努力……なさったんですね……自分の……したいことをするために……」

俺を見た眼は焦点が合っていない。

まずいと思った。

意識を取り戻してやらなくてはきっと彼はこのまま

まずは平手打ちかと思った。

俺と母親を残し、勝手に死んでいったこいつに平手打ちをかましてやりたいという気持ちが無いわけではない。

だが、上着を見る限り、俺の平手は彼をすり抜けるだろう。

――――ならば、吐き出すしかない。

飲み込んだ熱いものを全部こいつに向けて吐き出す。

どうせ消えるなら、言いたいことを全部言って消えてやる。

「……待て。寝るなクソ親父。あんたに言いたいことがたくさんあるんだ。聞け。聞いてからなら意識を落とすでもなんでも好きにしたらいい」

「何を……仰って……」

「よくわからんだろうが俺はあんたの息子だ。状況から察するに未来からやってきた。そしてあんたを救おうとした。それ自体には成功したんだ。だが……何か失敗したんだろう。体が消えかかってる」

「あぁ、そうなのか。驚いた。本当にそっくりだ。信じてもいい」

という言葉とは裏腹に、あまり驚いていないことに腹が立った。

もう少し、意識を取り戻してくれてもいい。

俺が本当にタイムトラベラーなら禁忌に触れるようなことをしているんだぞ。

あらゆる小説や創作で禁忌とされていることをしているんだ。

正体を明かしているんだ。

結構な覚悟を、消える覚悟をしてあんたの意識を繋げようとしている。

――――それは建前だが、それが目的だし嘘は言ってない――――

もっと驚けよ。

救急車の音が近づいてきた。

おそらく彼と会話する時間はもうない。

「一つだけ教えろ。あんた、今日、母さんと――――ヤったか?」

少し溜めて放った質問にこそ彼は驚いたようだった。

「何を、聞くんだ…………ヤってない。その予定だったがこの調子じゃあ今日はお預けだ」

ケース①俺が

これが失敗の原因か。

すっきりした。

「そうか。おそらく俺は消えてなくなる。あんたのとこに生まれる子供はきっとかわいくて素直な子だ。俺と違ってな。一つだけ気を付けてほしいことがある」

「……なんだ」

もういい、あきらめた。

俺が消えることはもういい。

それでいい。

だが――――

「事故に気を付けろ。交通事故だ……ったハズだ。母さんの話が本当ならな。それと、母さんに悲しい顔をさせないでくれ。あの人を笑顔のまま、子供の為に強がらなくていい人生を送らせてやってくれ。頼む」

――――母さんだけは、幸せにしてやってくれ。

「……そうか、わかった」

察したのか、顔を曇らせて彼はこちらを見据えた。

俺が必死であんたを繋ぎ止めたから、あんたは生きていける。

救急車に乗って処置を受けて、その元気さならきっと復活するだろう。

だから、俺のおかげであんたは生きているんだから――――

――――俺の最初で最後の頼みくらい、叶えてくれよな。

後ろから聞こえた女性の声と、足音。

近づく救急車の音。

彼が瞼をゆっくりと閉じた光景。

冷たい深夜の肌寒さ、脚の冷たさ。

それらを感じて――――俺は消えた。

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