第3話 榎本一身の奮起
俺(仮)とその女性は手を繋ぐと、人込みに消えていった。
俺はというとその姿を見送り、誰かが横断歩道で
「メリークリスマス!」
と陽気に叫ぶまで立ち尽くしていた。
思考が急速に再スタートする。
なんだあれは。
俺が、女性と、手を繋ぐ?
クリスマスに?誰と?
いや、違う、俺?
あれは俺か?
見間違いなのか?
疑問は消化不良を起こし、再度俺を立ち尽くさせる。
思考が動くと体は硬直していった。
怖いものを見た。
気持ち悪いものを見た。
あり得ないものを見た。
夢のような、悪夢のようなものを見た。
完全に停止するという、慣れないことをした体が、拒否反応を起こしたように、ぶるりと震え、それは俺の思考を緩やかな速度に戻した。
ふと腕につけた時計を見るとそこには『23:05』というデジタルが並んでいた。
一体どれだけそこにいたのか、一瞬だったようなそうでないような気持ちも俺をまた不安にさせた。
いつだって変わらないニッカおじさんを見上げて心を落ち着けようとしたが、動機は激しくなるばかりだった。
私服のパトロールで至福の時を得ようという、人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られたような衝撃を受け、いつもよりも足早に自宅へ戻ることにしたのだった。
自宅に戻って、ストーブの電源を入れる。
いつもであれば巡回後の報告をするためにノートパソコンを開く俺だったが、そんな気にもなれず、お気に入りの座椅子にストンと腰を落とし、息を吐いた。
眠れる気もしなかったが、眠り支度を整え始める。
動いていないとまた、思考に憑りつかれてしまいそうだったからだ。
あとは布団に潜り込み、睡眠をとるだけになっても俺は落ち着かなかった。
リア充の事を考えて、恐怖している?
俺が?なぜ?
リア充は敵だろう。
さっき見たのが俺だろうと俺でなかろうとリア充はリア充だ。
俺は調子に乗ったリア充を取り締まるんだ。
そういう風に生きたくて警察官になったんだ。
何をしている榎本。
何をしているんだ榎本 一身。
神が許さなくても、お前と世の中の独身たちの心の平穏を守るのがお前の仕事だろう。
出動だ。
出動しろ榎本 一身。
次は酔い潰れて迷惑をかけるリア充を粛正する時間だろう!
行け!
勢いを付けて立ち上がる。
そうだ、クリスマスイブは終わったが、クリスマスは終わっちゃいない。
今日は、今日が俺の戦場だ。
24時を過ぎても俺の戦いは終わらない。
クリスマスは終わらない。
リア充たちは変わらないし、俺の義務も仕事も変わらない。
スマホと財布をポケットにねじ込み、家の鍵をわざと乱暴に持ち上げた。
強く家の扉を開け、勢いよく鍵を回し、大きな一歩を踏み出した。
行き先は、ニッカのおじさん、ではない。
それよりもう少し飲み屋街に近づいてパトロールを再開する事にした。
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