■刑事の矜持

「……ま、詳しい話は署で聞こうか」

 重苦しい空気を打ち破ったのは、鷹野だった。

「辰見卓也、あんたには逮捕状が出てる。――薄井、執行してくれ」

 鷹野から逮捕状を手渡され、薄井は我に返った。

 そうだった。ここは辰見を糾弾する場ではない。刑事として、やるべきことをやらなければならない。

「わかりました」

 薄井は辰見に逮捕状を示し、逮捕することを告げた。手錠を掛けようと彼の腕に手を伸ばした瞬間、相手が動いた。

「触るな!」

 辰見は薄井の手を払いのけ、立ち上がった。

「お前たちのような『犯罪組織』こそ裁かれるべきだ。身内の犯罪には甘いくせに、一般人には厳しくする。そんな連中に、私を捕らえる権利があるのか?」

 辰見から警察への不満が噴出した。彼は元々、警察組織を快く思っていない。現職警察官の犯罪が相次いでいる昨今、彼の考え方も理解できる。

 以前の薄井なら、辰見の言葉に対して、何も言い返すことができなかっただろう。口をつぐみ、同業者の悪事を恥じながら、叩かれることにひたすら耐え、嵐が過ぎ去るのを待つだけだった。

 だが、今は違う。

 薄井は目を閉じた。すると今回の捜査に携わった人々の顔が、次々と思い浮かんでくる。

 現場での指揮官として辣腕らつわんを振るっていた鷹野。

 類い稀なる観察眼で、自殺偽装を見破った永峰検視官。

 マニュアルが無い中で、防犯カメラ映像の確保に貢献した川上。

 ベテランとして、未熟な若手の薄井を助け、導いた徳田。

 現場資料の採取を徹底してくれた鑑識課員たち。

 その他、地道な聞き込みや関係者の行動確認、あるいは裏付けに回ってくれた名も知らぬ捜査員たち。

 最後に辰見を屈伏させたのは琴子だが、そこへ至るまでには、総勢百名を超える刑事たちの、血が滲むような努力があった。それが今日、ようやく実を結んだのだ。

 刑事といえども人間だから、意見が食い違い、いがみ合うこともあっただろう。しかし全員が、稲村志穂の仇を取るために奔走したのは事実である。

 刑事ひとりひとりが異なる思惑を抱きながらも、犯人検挙という一つの目標に向かって知恵と力を結集させること。これが、組織捜査というものだ。

 薄井は目を開く。

「……警察官の中には、罪を犯し、誰かを不幸にした不心得者もいます。これは恥ずべきことです」

 伏せていた視線を上げ、辰見をまっすぐに見た。

「でもね、たった一人の女性の無念を晴らす為に、昼夜を問わず捜査に従事してくれた刑事が、あなたの想像以上に存在していることも確かです」

 視界の端で、鷹野が頷いていた。現場指揮官からの後押しを受けて、薄井は言葉を繋げる。

「あなたは、警察が身内に甘いと言った。それは間違いですよ。私たち刑事は、相手が犯罪者なら、身内だろうが、そうでなかろうが、等しく容赦しません。それが――」

 迷いはない。確かな思いを抱きながら、薄井はこう言った。

刑事我々の矜持というものです」

 薄井がそう告げた頃に、救急車が停止した。目的地に到着したのだろう。

 外からバックドアが開かれ、車内に眩しい光が差し込む。目を細めて外の光景を見渡すと、そこは中目黒警察署の駐車場だった。

 救急車の後ろには、今回の事件捜査に関わった刑事たちが集結している。総勢百二十一名、全員が鋭い眼光で、車内の辰見を捉えていた。

「この方々のおかげで、あなたをここまで連れてくることができました」

 そう言う薄井の胸中は、誇らしさで満ちていた。

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