■動機

 琴子たちを乗せた救急車は、間もなく目的地に着く頃である。

 車内は無言のまま時が流れていく。

 しばらくして、聞かれるでもなく辰見が口を開いた。

「……あの女が悪いんだ」

 この期に及んでまだそんなことを言うのか。薄井は感情的になって言い返そうとしたが、過去の失敗を思い出して踏みとどまる。

「志穂が、経営協力なんて言い出さなければ、こんなことには――」

 辰見は掠れた声で語る。

 被害者の稲村志穂は生前、辰見に美容整形外科医院とヘアサロンのタイアップを提案していたという。こうすれば、彼女は念願叶って自分の店を手に入れることができ、辰見の美容整形外科医院と共に利用者を増やせると考えていたようだ。

「『愛する二人が協力して成功するなんて素敵じゃない?』。そんなことを言いながら、実は私に『寄生』するつもりだったに違いない。私のネームバリューを利用して、手っ取り早く客を集めたかったんだろう」

 辰見の口ぶりからすると、稲村志穂の真意までは測りかねていたようだ。彼女がどういうつもりで話を持ち掛けたのか、今はもう知るすべが無い。

「あの女は私を利用することしか考えていなかった。田舎娘のくせに小賢しい……誰があの美貌を与えてやったと思ってるんだ、恩知らずめ」

 薄井は奥歯を噛み締めた。目の前にいる男が、どす黒い瘴気を放つ魔物に見える。

「そうと解った途端、あの女が酷く汚ならしいものに見えてきてね」

 辰見が顔を上げた。戦慄するほどの凄絶な笑みを浮かべている。

「結婚したいなどと言われた時には呆れたよ。私の『作品』ごときが、何を勘違いしたんだか」

 乾いた笑い声。薄井にとっては全く面白くない話だ。

「馬鹿な女だ。どう調べたのか知らんが、私に妻がいると分かった途端、離婚して欲しいだなんて。でなければ不倫の事実を世間に公表するだとさ。そんなことを言われたら、殺すしかないじゃないか」

 それが動機らしい。有名人となった辰見に不倫が発覚したら、ゴシップネタとしては申し分ない。そうなった場合、彼は間違いなく好奇の目に晒され、医院の経営も暗礁に乗り上げてしまうことだろう。

 とはいえ、これも全て自身が蒔いた種。殺人を正当化しようなどとは身勝手にも程がある。

「私には世の中の女性を美しくする義務がある。こんなことで破滅させられるわけにはいかなかったんだ。そう、私はあの女に社会的に抹殺されるところだったんだ。だから殺した。仕方のないことだったんだ!」

 最後の方は絶叫に近かった。周りの目が無いからか、辰見は醜態を隠そうともしない。

「もう結構です」

 そう言い放ったのは琴子だ。静かな口調だが、明らかに怒気を含んでいる。

「それ以上はお止めになって下さい。志穂さんの魂がけがれます」

 辰見が琴子の方を向いた。

「……ああ、お嬢さん。あなたは素晴らしい。その知性と容姿、警察なんかに置いておくのは勿体ないぐらいだ。どうだい、私のところへ来ないか? 今以上の、光輝くような美しさを約束しよう」

 悪魔の誘いだ。彼は何も学んでいない。

「お断りします」

 はっきりと、琴子が告げた。

「あなたのように、女性を『物』としてしか見ない方は、こちらから願い下げです」

 普段の彼女からは想像もできないぐらい、とげのある言葉だった。それだけにとどまらず、彼女は感情もあらわに、話し始めた。

「あなたには想像できますか? 志穂さんが、どれだけの人から愛されてきたか。彼女が、どれだけの思いで夢を追い続けてきたか」

 両親は当然のこと、稲村志穂は彼女を取り巻く人々から、絶え間ない愛情を注がれてきた。それは彼女を写した写真や人々の証言、態度から、充分に想像できる。

 そんな人々に支えられて夢を追い求めてきた彼女だったが、志半ばにして生命を絶たれた。彼女に落ち度があったかどうかは分からない。しかし、一方的に何もかもを奪われていい理由はどこにも無かったはずだ。

「けれどあなたは、彼女や彼女を愛する人々から、その全てを奪ったんです。自分の保身の為に」

 琴子の声が震えている。居たたまれなくなって、薄井は顔を伏せた。

「そんな人を、私は絶対に許しません。あなたは法の裁きを受けるべきです」

 目を赤くしながらも、彼女は最後まで言い切った。途中で泣き崩れなかったのは、自身が持つ気丈さ故だろう。

 車内にしばしの沈黙が訪れた。

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