■真の解決編5


○2017年11月/12月カレンダー

【https://ioriinorikawa.web.fc2.com/2017_11_12.html】



 辰見の顔が強張った。

「……なん……だと……?」

 琴子は更に問う。

「それから、志穂さんの髪を刈ったのは、ではありませんか?」

 髪にカラーを入れて暫く経つと、髪が伸びるにつれて、頭頂部にカラーの入っていない黒髪が目立ち始める。周囲の髪は茶色いままだから、ちょうど皿に載せたプリンのような配色になる。防犯カメラの映像を観ていた琴子が脈絡もなく呟いたのは、被害者の頭部がこの状態になっていることに気付いたからだった。

「映像の中の志穂さんは、カラーを入れ直す前の姿。しかし発見時は、カラーが髪の根本まで行き届いていました。これらの事実から導き出される解答は、ただ一つです」

 辰見の身体が震え始めた。

「犯人は、志穂さんの首に電源コードを掛けた後で、彼女がカラーを入れ直していたことに気付いた。苦肉の策として、部屋にあったハサミとバリカンで髪を刈った。防犯カメラの映像に映っていた彼女が、姿だということを隠す為に」

 辰見が俯いた。両手の指を、落ち着きなく何度も組み換えている。

「ここまで言えばもうお分かりでしょう。私たちは、あなたがひた隠しにしてきた答えに到達したのですよ」

 琴子は黒真珠のごとき瞳で、辰見の顔を見据えた。

「私たちが十一月二四日の映像だと思っていたものは、十一月十七日、つまりだったのです」

 琴子は続ける。

「確か以前、〈スターメゾン中目黒〉の管理室に泥棒が入ったと聞いていますが、この時期を境に、防犯カメラ機器の取扱説明書の存在が確認できなくなっています。何者かが持ち去ったからなのでしょう」

 薄井は、塩崎が琴子に話していたことを思い出した。何気ない話にヒントが隠れていたのだ。

「泥棒は、防犯カメラの録画機器を操作して、内蔵時計の設定を一週間早めた。こうすれば、十一月十七日に撮影された映像であっても、タイムカウンターでは一週間後の十一月二四日と表示されます」

 琴子がそれに気付いたのは、塩崎から「幽霊が出た」との電話があったからだ。既に死亡しているはずの被害者が映像の中で生きていたのは、タイムカウンターに表示されている日時と、実際の日時にズレがあるからではないか。そう考えた結果、というトリックを思い付くに至ったのだ。

「しかしただの泥棒が、そんなことをするメリットはありません。となると、本件犯行の下準備として、同一の犯人が手を加えたと考えられます」

 もはや辰見は、琴子の推理を聞くだけとなった。この期に及んで、まだ逃げ口上を考えているのか、あるいは。

「辰見さん、あなたは十一月十七日に、志穂さんと買い物へ出掛けているはずです」

 この日、被害者は職場を定時上がりしている。誰かと待ち合わせの約束があったからだと考えても、何ら不自然ではない。

「そして彼女が着ていた服を、発見時と同じものにオールコーディネートしていますね。それまで着ていた服は、店での処分を依頼したそうで。実に巧妙です」

 これは事実だった。被害者の足取りを追う捜査が効を奏し、彼女と辰見が立ち寄った服飾店を特定したのだ。

「彼女の誕生日は十一月二四日でしたよね。おそらくこれを口実に、プレゼントの名目で服を買ってあげたのでは? 実際は発見時と同じ服装の彼女を一人で帰宅させ、防犯カメラにその姿を撮影させるつもりで」

 辰見が両手を固く握り込んだ。俯いているので、表情はよく見えない。

「そして十一月二四日の夜、彼女には防犯カメラの映像に映っているのと同じ服を着させ、二人でバースデーディナーを。それが終わると志穂さんの部屋に場を移しました。部屋の冷蔵庫に残されていた食品と、封の開いたワインからして、二人だけのパーティーをしたのでしょう。もしかしたらプロポーズのサプライズがあったかもしれません」

 畳み掛ける琴子に、鬼気迫るものを感じた。彼女は、自分と歳を同じくして夢を断たれた被害者に、感情移入しているのだろうか。

「有頂天になった彼女に睡眠薬を飲ませるのは容易だったことでしょう。錠剤を砕いて、飲み物に溶かせばいいのですから。そうして昏睡状態に陥った志穂さんを殺害し、自殺に偽装して、証拠になりそうなものは徹底的に隠滅。部屋を出た後は予め準備していた合鍵で施錠した。これで計画は完了です」

 死亡推定時刻からすると、辰見が部屋を出たのは日付が変わった頃になる。実際の日付は十一月二五日だが、タイムカウンターには一週間後の十二月二日と表示されているはずだ。

 怒涛の勢いで推理を披露した琴子は、辰見を凝視している。次の反応を待っているのだ。彼女の頭の中では既に、相手が言い逃れしようとした場合に備えて、封じ込めるための論理が組み上げられているに違いない。

 ややあって、辰見が顔を上げた。血の気が失せているものの、地獄の亡者に似た不気味さがある。

「……推測だ」

 ひとこと口にして勢いが付いたのか、辰見は声を荒げた。

「全部推測だ、証拠がない! よくもまあ、想像だけでそこまで言えたものだな!!」

 琴子は答えない。

 彼女が返答に窮したと考えたらしく、辰見は更に追い込む。

「それだけ言うなら、今すぐ管理室のモニターで『十二月一日』から『十二月二日』の映像を再生すればいいじゃないか。まだ誰か、管理室に残ってるんだろう?」

 辰見が言っている日付は、タイムカウンター上での日付だ。正しくは十一月二四日から二五日までの映像である。

「それは……」

 ここで琴子が沈黙する。

「何だ、指示しないのか? というか、映像があるなら最初から見せれば良かったじゃないか。そうしていれば、こんなに回りくどい推理を披露する必要もなかった。どうやら、事件当日の映像は手に入っていないようだな」

 辰見に余裕の笑みが戻った。

「そうか、これは罠だったんだな。証拠があるように見せかけて、私に自白を強要するつもりだったんだろう。実に警察らしいやり方だ」

 琴子が目を伏せた。それを敗北宣言と受け取ったのか、更に辰見は調子づく。

「今更もう遅い。映像も無しに私を犯人呼ばわりするとはいい度胸だ。私の顧問弁護士が黙っていないからな!」

 辰見の宣戦布告だ。彼は獣のような目で琴子を睨む。今にも飛び掛かりそうな剣幕に、薄井は思わず身構えた。

「――おい、聞いたか?」

 唐突に、鷹野が問いかけてきた。何かに気付いたらしい。

 一瞬、何のことか分からなかったが、辰見の台詞を反芻はんすうするうちに薄井も気付いた。

「……はい、確かに。これ以上ないほどの『秘密の暴露』です」

 薄井と鷹野を一瞥し、琴子は頷いた。両目には、勝利を確信した光が見える。辰見の問いに答えなかったのは、彼からを引き出す為の演技だったようだ。その策士ぶりに、薄井は身震いした。

「辰見さん、どうして『今更もう遅い』などとおっしゃったのですか?」

「……?」

 興奮しているせいか、彼はまだ気付いていないようだ。

「それは、ですか?」

「……!?」

 不穏な空気にようやく気付いたらしい。辰見が固まった。

 彼はもう逃げられない。琴子はこうなることを見越して、犯人追及の日をわざわざ今日に設定したのだ。

「事件発生から既に一ヶ月以上経った今日なら、映像はもう消えていると貴方は考えたのではありませんか。そして――」

 辰見は金縛りに遭ったようだった。心の深淵さえ見通す琴子の目に、視線が釘付けされている。

。答えてください」

 琴子が最後の問いをぶつけた。

 映像の保存期間が一ヶ月であることを知っているのは、管理人と捜査員、そして取扱説明書を読みながら実際に録画機器を操作したことのある人間――つまり犯人だけだ。

「事件当日の映像でしたら、既に確保しています。志穂さんを除けば、十一月二四日から二五日までの間に五〇三号室を出入りしたのは貴方だけです。他にはいません。これで犯人性の立証は可能です」

 辰見は言葉を失い、うなだれた。

 決着が付いた瞬間だった。

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