■真の解決編3

 薄井は密かに息を吐いた。

 琴子と辰見の攻防を目の当たりにして、今まで呼吸することすら忘れていた。

 この人は何者なんだ。それが今の彼女に対する印象だった。目の前で行われているものは、腕利きの刑事による取調べと遜色ない。勿論、琴子も刑事なのだから取調べが出来てしかるべきなのだが、驚くべきはその経験年数の短さだ。

 彼女が〈特別室〉の室長に就任したのは、約二年前と聞いている。大学を卒業してから警察庁に採用され、警視庁に出向したという経緯から考えると、琴子の刑事経験年数は二年足らずとなる。しかも〈特別室〉は事件担当ではなく、支援担当だ。彼女が犯人を追及するのは、おそらく今回が初めてだろう。にも関わらず、彼女はベテラン顔負けの論理展開を見せている。

 取調べの技術は、普通であれば長年の経験によりつちかわれるものだ。それこそ幾多の被疑者と向かい合い、苦労や挫折を味わいながら身に付けていく、いわば『職人芸』である。二十歳そこそこから犯罪捜査に携わってきた薄井をもってしても、富士の頂きどころか五合目ですら遥かに遠い。しかし琴子は、その道のりを僅か二年で飛び越えたのだ。いかに彼女が並外れた能力を持っているか解る。

 戦局は、琴子の方へ傾きつつある。辰見の苦し紛れの弁解が増えてきた。

「……お前の上司に任せて正解だったな」

 鷹野が薄井に囁く。

 薄井は頷いた。心の底から同意できる。

 辰見との直接対決は、琴子の強い希望により実現した。勿論、そうなるまでには多くの反対意見と向き合わなければならなかったわけだが、捜査会議において彼女が推理を披露した途端、反対派は鳴りを潜めた。誰も意義を唱えなかったのである。

 そして、最終的な決定権を持つ捜査第一課長からゴーサインを勝ち得たのは、琴子が次のような決意表明をしたからだ。

 ――私が辰見さんに罪を認めさせます。でなければ志穂さんにも、ご両親にも、申し訳が立ちません――

 まさに『刑事魂』の発現だった。刑事は被害者の無念を晴らすために存在する、これを信条とする捜査第一課長が納得しないわけがなかった。

 こうして、彼女を先頭に犯人の追及を行う方針が決まり、他の捜査員たちは証拠固めに奔走した。その結果を踏まえ、今日は充分すぎるほどの勝算を持って辰見と対峙することとなった。

「ここまで申し上げてきた通り、他の方からは犯人である要素が見られません。よって、犯人は辰見さんとしか考えられないのです。いかがでしょうか」

 琴子が結論を突き付けた。辰見は答えられない。顔を俯かせた彼は、身じろぎ一つしない。まるで残弾が尽きた兵士のようだった。

 彼の動静を、薄井は注意深く観察した。船木のように(もっとも、あれは演技だったわけだが)凶行に走る可能性があるからだ。

 辰見は額に汗を浮かべ、何かを呟いている。おそらく、彼はまだ諦めていない。反撃の準備をしているのだろう。

 救急車のサイレンは既に止めてある。緊急ではないから、目的地までは通常運転だ。エンジンと空調の音がやけに大きく聞こえる

「……現場は」

 辰見が顔を上げた。瞳に諦めの色は無く、冷酷で、狡猾な光が宿っていた。

「密室だったと貴女は言っていた。それから、防犯カメラの無いベランダから侵入した者もいないと。だったら、志穂以外は誰も部屋を出入りしていないことになる。だから今回の事件は犯人が存在しない。これほどシンプルな解答は無いだろう?」

 彼にとって最後の砦だ。密室を造り出したトリックに、絶対の自信を持っているのだろう。やはり密室の謎を解明しない限り、彼が自分の罪を認めることは無いらしい。

 琴子が大きく息を吸った。辰見に気圧されたのではない。迎え討つ覚悟を決めたのだ。

「けっこう。では、今から密室の謎を暴いて見せましょう」

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