■真の解決編2
○2017年11月/12月カレンダー
【https://ioriinorikawa.web.fc2.com/2017_11_12.html】
「足跡が無い? 部屋に犯人の足跡が無かったなら、そもそも殺人犯が存在しなかったことになるんじゃないか?」
辰見は怪訝な顔をする。
「足跡が無かったのは、ベランダの目隠し壁の外側です」
「あっ」
辰見は気付いたようだ。
「ベランダの目隠し壁をよじ登るには、腕の力だけでは無理があります。目隠し壁の外側に足を掛けて踏ん張らないといけないわけでして。そうすると、目隠し壁の外側には必ず足跡が残るんです」
現場観察の際、琴子は鑑識課員に無理を承知で、目隠し壁の外側の足跡採取を頼んでいた。あの時から既に、彼女は犯人がベランダから侵入した可能性を考えていたのだ。
「鑑識の方にお願いした甲斐がありました。五階のベランダ、全てから採取を試みて下さったそうで、その結果は『いずれも足跡なし』というものでした」
これで、「五階いずれかのベランダから侵入した」という説も消えた。危険を承知で実施してくれた鑑識課員には感謝するばかりである。
「……だったら、屋上から降りてきたというのはどうだ」
辰見のトーンが下がっている。自分が何を言おうとも、確実に反証を挙げる琴子に対して脅威を感じ始めたのだろうか。
「屋上から降りてきたとしても、ベランダ側の掃き出し窓が施錠されていたなら、部屋の中には入れませんよね」
「さっきは、事前にメールを送っていたと――」
「この際ですから明かしますが、船木さんの携帯電話から被害者にメールが送られていたというのも嘘です」
辰見の言い分を最後まで聞かずに、琴子が退路を塞ぐ。
「私たちは船木さんを『偽物の犯人』に仕立て上げることで、あなたの油断を誘ったのです」
その結果、彼はやたらと
「だ、だが……船木が『犯人ではないという証拠』が無いじゃないか」
ついに辰見は悪魔の証明を持ち出した。
しかし琴子は、それすらも凌駕する。
「証拠ならあります。あの日、船木さんは勤務中だったんです」
船木の所属している地域課は、交番勤務員の勤務形態が四つの係による交代制だと決まっている。交代制は原則として、朝から夕方まで勤務する〈第一当番〉から始まり、翌日は夕方から翌朝まで勤務する〈第二当番〉、その次が〈第二当番〉からの続きとなる〈非番〉、そして四日目にしてようやく〈公休〉という順番で流れていくのだが、これをカレンダーに当てはめると、以下のようになる。
事件発覚は十一月二七日で、この日の船木は〈第一当番〉に就いていた。これの前日となる十一月二六日は〈公休〉。更にその前日となる十一月二五日は〈非番〉だが、これは十一月二四日から開始された〈第二当番〉の続きであり、任務解除となるのが十一月二五日の午前九時であるから、死亡推定時刻となる十一月二五日午前〇時頃から午前三時頃までの間は、船木にアリバイがあることになるのだ。
琴子が、捜査会議でベテラン捜査員を黙らせたのは、彼女がこれを指摘したからだった。警察官として、極めて初歩的な知識を失念していたとあっては、恥じるあまり沈黙するしかなかったことだろう。
船木の勤務形態について話した後、琴子はこう結論付けた。
「こういうわけでして、勤務中だった船木さんに、志穂さんの殺害ができるはず無いのです」
辰見の歯ぎしりが聞こえた。
「……なら、他の連中はどうだ。たとえばあの女、海外旅行に行ってたかどうか、本当のところは分からないんだろう?」
辰見は、別人が祥子に成り済まして海外渡航していたと言いたいようだ。
「いいえ。それは入国管理局に確認済みです。犯行当日に、祥子さんが国外に居たことは間違いありません」
国内旅行ならいざ知らず、国外へ出るには厳格な本人確認をパスしなければならない。他人に成り済ますなど空想の産物だ。
「もう一人の男は? あの取り乱し様からすると、元彼なんだろう。殺害の動機は『捨てられたことへの報復』でどうだ。志穂は男を乗り換えるのが上手いからな」
辰見の下卑た笑み。台詞の後半に被害者への侮辱が含まれていたからか、琴子の表情が固くなった。
「もし八代さんが犯人なら、通報を遅らせていたでしょう」
本件が発覚したのは、八代が警察に通報したからだ。この通報がなければ、死体の発見も無かっただろう。
「自殺偽装を目論んでいた犯人としては、死体の発見が遅いほうが好都合だったはずです。時間が経過すれば、その分だけ首全体に残された索条痕が目立たなくなりますからね。比較的早期に通報した八代さんの行為は、犯人の目的と矛盾します」
稲村志穂が死亡したとされるのは十一月二五日。その二日後となる十一月二七日に警察へ通報があった。通報までに二日経っているのは、被害者が事前に十一月二六日までの三連休を取っていた――『犯人に取らされていた』とすべきか――からだ。
八代は、本来であれば二七日に出勤するはずだった稲村志穂を案じて通報したのである。結果的に通報が遅くなったとしても、これを八代の故意と言うことは出来ない。
「……管理人はどうだ。部屋の鍵を持っているから一番怪しいんじゃないか?」
辰見は何としても他人に罪を被せたいようだ。
「あのご老人が、昏睡状態の被害者をドアの前まで運び、絞殺した後、首に電源コードを掛けるという重労働ができるとお思いですか?」
琴子は逆に問う。さすがに無理があると自分でも悟っているのか、辰見からの反論は無かった。
「ここまで申し上げてきた通り、他の方からは犯人である要素が見られません。よって、犯人は辰見さんとしか考えられないのです。いかがでしょうか」
丁寧だが有無を言わせない口調。これまで淡々と話してきた彼女にしては珍しく、感情が込められていた。
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