■真の解決編1
琴子が告げると同時に、薄井は変装を解いた。同じく救急隊員に
「あんた、医者としての自覚はあるらしいな。ちょっと見直したぜ」
救急車に同乗するよう指示したのは鷹野だった。自分たちが考えた策略にまんまと辰見がはまり、ご満悦といった様子だ。
「なっ!? これはどういうことだ!」
状況が理解できていない辰見に、琴子は穏やかな声で説明する。
「私たちが一芝居打ったのですよ。私はこの通り大丈夫です」
と言って、琴子は上着の裏に縫い付けていた赤インク入りのビニール袋を取り出す。
「何だと! こんなことが許されると思ってるのか!!」
騙されたのがよっぽど頭に来たらしい。自分のプライドを傷つけられたと感じているのだろう。
「こうでもしなければ、あなたはきっと真実を話すことはないでしょう」
薄井は極力冷静に言った。感情的になって、相手を悪戯に刺激してはいけない。辰見のように自尊心が強い男は、興奮すればするほど意固地になりやすいのだ。
「真実だと?」
「はい、そうです」
琴子は決然とした眼差しで返答した。ここから先が本当の勝負、真犯人との直接対決だ。
彼女の決意を感じ取ったのか、辰見が不敵な笑みを浮かべた。売られた喧嘩は買ってやると言わんばかりだ。
「真実なら、さっきあなたが話した通りでしょう。あの警察官が志穂を殺害し、密室トリックを使って自殺に偽装した。完璧な推理じゃないか」
確かに、先ほど琴子が披露した推理は、一応、筋が通っている。しかし致命的な欠陥があるのだ。
「いいえ。あの部屋、テグスなんかじゃ施錠できないんです」
「なにぃ?」
辰見が目をむいた。
「あのトリックは机上の空論なんです。同じようにやっても、現場の掃き出し窓は施錠できません」
「しかし実際にできたじゃないか?」
辰見が言っているのは、管理室の窓を使った実験のことだろう。
「あれは、窓のキャスターを調整して、密閉具合を緩めたからできたんです。窓を緩めないままテグスを引っ張ると、レールの凹凸に引っ掛かってしまって、最後まで引けないんですよ」
琴子の言う通りである。今時の建物で使われている窓のサッシは、密閉性が高い為、テグスであっても容易に通り抜けることができない。端に輪っかを作ることで出来た結び目があれば尚更だ。
「なら、犯行の時も窓を緩めたかもしれないだろう」
辰見は引き下がらない。どうしても船木を犯人にしたいようだ。
「だとしても無理です。あの窓、補助錠が掛かっていましたから。仮にクレセント錠を窓の外から回す事ができたとしても、補助錠を掛けることまでは出来ません」
琴子が間髪いれずに辰見の説を封じた。
「じゃあ、あの船木という警察官が最初に一人で部屋に入った後、窓のレールに引っ掛かっていたテグスを回収し、補助錠を掛けたんだ。これなら辻褄が合うでしょう?」
辰見の切り返しが異常に早い。琴子の推理を聞きながら、次の一手を考えているのだろうか。並の人間とは頭の出来が違うようだ。
「どうですか? まだ続けますか?」
逆に聞き返す余裕が出てきたらしい。突然に周りの環境を変えられ、さらに犯人として名指しされたことへの動揺は、落ち着きつつあるようだ。
「あと、私は五階まで登るなんて芸当できませんからね。あなたが言うところの『普通の男性』なんですから」
会心の笑みを浮かべる辰見。琴子の発言を引き合いに出したのは皮肉のつもりだろう。
「では続けましょう」
琴子は涼しい顔をして言う。ここまでの反論は想定の範囲内らしい。
「現場の掃き出し窓には、テグスを使うことで出来るはずの擦過痕がありませんでした。これは私が直接見て確認しています」
事件発覚直後の現場観察で、彼女は掃き出し窓の枠に、何の痕跡も無いことを確実にチェックしていた。
「いや待て。さっきは痕跡の幅が釣り糸のものと合致したと言っていたじゃないか」
取り繕うのも忘れて辰見が指摘する。
「あれは嘘です」
さらりと言う琴子。あっけらかんとし過ぎていて、辰見は反論する気を失ったようだ。僅かな沈黙の後、彼は口を開いた。
「……それなら、別の方法で窓の鍵を掛けたんだろう。どうやったのか、私には皆目検討も付かないがね」
辰見の目付きが変わった。口調も丁寧なものから尊大な雰囲気に。彼の本性が垣間見えた瞬間だった。
「しかし防犯カメラはどうする? 映像に犯人の姿が映っていないなら、カメラのないベランダから出入りしたとしか考えられない。さっき、あなたはそう言ったはずだ」
「ええ。確かに申し上げましたが、その推理が誤りであることも明らかです」
琴子の台詞は淀みなく流れていく。あたかも初めから用意されていたかのように。
「〈スターメゾン中目黒〉のベランダは、都道三一七号線に面しています。ここは時間帯を問わず交通量の多い幹線道路ですから、壁をよじ登る人物がいたら直ぐに見つかってしまうでしょうね」
事件があった五〇三号室は、五階の真ん中に位置する部屋であるし、壁の色が白いことからも、不審者の発見は容易なはずだ。
「それはあくまで可能性の問題だろう。たまたま見つからなかったのかもしれない」
苦しい言い訳だ。
琴子は閉眼して首を横に振る。
「いいえ。犯人はベランダから出入りしていません」
揺るがない彼女に、辰見は問う。
「何故そうだと言い切れる?」
琴子が目を開いた。
「足跡が無かったからです」
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