■違和感

 救急車は〈スターメゾン中目黒〉から遠ざかる。

 辰見は違和感を覚えた。

 通常の場合なら、救急隊から、救急指定されている各病院へ連絡を入れ、受け入れ可能な病院が決まってから救急車は出発する。しかしこの救急車は、それを待たずに発進した。

 おかしな点は他にもある。車内にいる二人の救急隊員は、重傷の患者を目の前にしながら、いっこうに救命措置を開始しようとしないのだ。これだけ出血しているのだから、少なくとも止血はしておかなければ手遅れになる。

「……おい、君。早くしないか、人命がかかってるんだぞ」

 辰見がれて言う。だが、救急隊員は首を横に振るのだった。帽子を目深に被っているので、その表情は窺い知れない。

「ふざけてるのか? かなり出血している、このままだと危ないぞ」

 それでも救急隊員は動かない。辰見はもう一人の方を向いたが、やはり微動だにしなかった。

「おい、いい加減にしないか」

 辰見の表情が険しくなる。従おうとしない救急隊員に苛ついたのだ。

「もういい、私がやる。そこをどけ!」

 辰見は、役に立たない救急隊員を押し退けた。

 刃物がどれだけ深く刺さったかは、良く見えなかったから不明だ。血液がジャケットに達しているところからして、表皮までというのは有り得ないだろう。刃先が内臓に達している可能性はあるが、もし腹部大動脈を傷付けていたら厄介だ。

 その場合は激しい出血を伴う。体内の血液の二十パーセントを急速に失えば、出血性ショックを起こしてしまう。更に、流れ出た量が体内の血液の三十パーセントを上回ると、生命に危険を及ぼす。そうなる前に食い止めなければならない。

 辰見は、目の前の患者を観察した。

 顔にチアノーゼは出ていない。まだ出血性ショックには至っていないようだ。しかし止血しなければ時間の問題だろう。

 出血箇所は腹部だ。患者が手を被せているので傷口までは視認できない。辰見は両手にプラスチック手袋を嵌めて、圧迫止血用にガーゼの束を掴む。そして患者の手をどけた。

 腹部に紅い染みが広がっている。着衣に破れは――

「なんだと!?」

 思わず声を上げた。刃物で刺されたはずなのに、傷口はおろか、着衣の破れすら見当たらない。これはどういうことだろうか。

 混乱する辰見に、鈴の鳴るような声が掛かった。

「……この時を待っていました」

 辰見は硬直した。まさか重傷の患者が喋るとは思いもしなかったのだ。

 患者――琴子が起き上がった。その顔に勇ましい笑みを携えて。

「辰見さん、犯人はあなたですね」

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