■解決編5

「じょ、冗談ですよね……?」

 辛うじて声を絞り出したのは、船木だった。

 琴子は首を横に振る。

「いいえ、あなたしかいないんです」

「や、やめて下さいよ……何かの間違いです」

 尚も否定する船木に、琴子は追及の手を緩めない。

「あなたの携帯電話から、被害者にメールが送信されていたとしても否定しますか?」

「あれはただのたわむれです! 大体、それだけで私がこのマンションに来たことの証明にはならないはずです」

「そうですか。では、あなたがフリークライミングと釣りを趣味としているのは、ただの偶然ですか?」

「ぐ、偶然……です……」

 船木は琴子から視線を外した。

「普通の男性であれば、マンションの五階までよじ登るのは難しいでしょう。ですが、岩肌を登る技術と体力があれば、ベランダ側から出入りするのは可能なんじゃありませんか?」

 マンションの外壁に取り付けられた縦樋を登り、五階の高さに到達したら、次はベランダの目隠し壁を伝って横に移動する。こうすれば五階中央に位置する五〇三号室へ行くことが可能だ。そして出る時は、その逆をやればいい。

「それに、あなたが住んでいるアパートの部屋から釣糸が見つかっています。その釣糸と現場の窓枠に残された擦過痕を照合した結果、幅が合致しました。これもただの偶然とは思えません」

 船木の体が小刻みに震え始めた。彼は両手で顔を覆い、身を『く』の字に折る。

「聞きたい事は他にもあります。何故あなたは、勤務開始を前倒ししてまで、現場に行ったのですか?」

「違う……違う……」

 もはや反論になっていなかった。船木はうわ言のように呟きながら、首を横に振る。

「最初に現場に入れば、殺害時に気づかなかった失敗を隠蔽できると考えたからではないのですか? 警察官という立場でなければ、最初に一人で現場へ入ることはできませんからね」

 船木は震えているだけだった。琴子の指摘に答えられる余裕は無いようだ。

「彼、警察官なんですか!?」

 八代が驚きの声を上げる。

「ええ……」

 琴子が重々しく頷いた途端、辰見が椅子から立ち上がった。

「いい加減に認めたらどうだ、往生際が悪いぞ!」

 苛立つ辰見を見て、八代にも火が点いたようだ。

「お前が、志穂を!」

 八代は憤怒の表情で船木に掴みかかる。背中を丸めた巡査は体を激しく揺さぶられ、床に引きずり倒される。

 すぐさま捜査員が割って入った。興奮している八代を船木から引き剥がし、落ち着かせようと説得する。

「やっぱり警察の中に人殺しが混じっていましたか。そろそろ警察も、真剣に不祥事対策をしたらどうなんです? どれだけ市民を馬鹿にしたら気が済むんですか」

 勝ち誇ったように言う辰見に対して、琴子は返答しない。ただひたすらに、うずくまった船木を見つめていた。

「……船木さん、もう宜しいんじゃないですか?」

 優しく諭す声だ。彼女はしゃがみ込むと、船木の肩に手を置く。

「動機は、おおむね察しが付きます。ここでは話し辛いでしょうから、一緒に行きましょう」

 その時だ。

 船木の右手が素早く動き、琴子の体が小さくブレた。

「……?」

 彼女は、自身の腹部を一瞥してから尻餅をつき、そのまま仰向けに倒れる。一連の動作が、まるでスローモーションのようだった。

「船木ィ!」

 誰かが叫ぶ。捜査員の一人が船木に飛び掛かり、瞬時に取り押さえた。彼は右腕を背中側に捻り上げられ、右手に持っていたものを取り上げられた。

 船木が持っていたのは――鋭利なナイフだった。

 琴子が倒れたまま、左手で腹部を押さえている。その下には赤い液体がべっとりと付いていた。白のシャツとベージュ色のスーツが、みるみるうちに朱に染まっていく。

「室生室長、大丈夫ですか!?」

 別の捜査員が駆け寄る。琴子の顔が苦悶に歪んでいた。

 早く救急車を、そんな声が響いた。捜査員たちは慌ただしく動き回り、管理室が騒然となる。集められた関係者たちは、目の前で起こった事が信じられないらしく呆然としていた。

 間もなくサイレンの音が近づいてきた。音は建物の外で停止、救急車が到着したらしい。救急隊がストレッチャーを押しながら管理室に駆け込んできた。二人の隊員が琴子をストレッチャーに載せると、そのうち一人が、辰見を指差して言った。

「そこのあなた、お医者さまですね。救急車に同乗願います!」

「あ、ああ……わかりました」

 言われるがまま、辰見は救急隊員に同行する。琴子が収容された救急車に辰見が同乗すると、車は急発進したのだった。

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