■解決編1

 事件発覚から一ヶ月が経ち、今日は十二月二八日。例年通りであれば、官公庁は御用納めとなるはずの日だ。

 そんな日であるにも関わらず、琴子たちは〈スターメゾン中目黒〉の管理室に集まっていた。

「本日はご多忙の中お集まり頂き、ありがとうございます」

 そう述べたのは琴子だ。今日の彼女はベージュのスーツを着ており、化粧も済ませてある。決して派手ではないが、自身の持つ華やかさが人々を惹き付ける。こうして人の前に出ても見劣りしない素質が、彼女にはあるのだろう。

 琴子は集まった面々を見渡した。

 〈スターメゾン中目黒〉の管理人、塩崎三郎。

 被害者が勤務していたヘアサロンの店長、八代善之。

 被害者の元交際相手、辰見卓也。

 現場に先着した警察官、船木幸司。

 被害者の隣人、多田祥子。

 その他は徳田や川上を初め、今回の事件捜査に携わった捜査員数名である。

「で、捜査はどこまで進んでるんですか? こちらは忙しいんです、早くして下さい」

 回答を急いでいるのは辰見だ。最近は本人が出演するテレビCMも流れ始め、すっかり有名人である。この後は事業拡大に向けての会議があるそうで、いち早くこの場を離れたい様子だ。

「犯人は見つかったんでしょうか……?」

 不安げな表情を隠せないでいるのは八代である。彼は椅子に腰掛けたまま、両手を組み合わせた。落ち着かないらしく、何度も指を組み替えている。

「ほぉー、何が始まるんかいのぉ」

 少しズレたことを言う塩崎。あの幽霊騒ぎは何だったのかと思うくらい、今は穏やかな様子で事のなりゆきを見守っている。

「……」

 船木は無言である。今日この場に来てから、一言も喋っていない。普段の快活な彼はどこへ行ったのだろうか。冴えない私服姿なので、制服を着て溌剌はつらつと仕事をするイメージとは掛け離れていた。

「なんで私まで呼ばれなきゃならないの。年末で忙しいんだから早くしてよね!」

 銀行勤務の祥子は、文句を言いながらも一応は付き合ってはくれるらしい。自分もそれなりに疑われている立場だという自覚があるのだろう。

「それでは、順を追って説明します」

 被害者である稲村志穂が、自殺ではなく殺害されたという事は既に説明してある。今日は、事件関係者に捜査の進捗しんちょく状況を説明するという名目で集まってもらったのだ。

「まず、自殺ではなく他殺と断定された理由からお話しします」

 琴子が事件関係者の顔を見渡す。彼らはパイプ椅子に腰掛けていた。対して彼女は、一人で全員の前に立っている。

「被害者、つまり志穂さんは、自宅で首を吊っている状態で発見されました。使用されたのは、彼女の部屋にあったドライヤーの電源コードです」

 琴子は紐を取り出すと、これを電源コードに見立てて両端を結び、輪っかを作った。そして結んだ紐を管理室のドアノブに掛けて、説明を再開した。

「このような感じです。こうして出来た輪っかに首を通して、ドアの前に座り込むと、自身の重みで首が締まるわけですが……志穂さんはまさにその状態で発見されました」

 一見して、割とありがちな首吊り自殺の状況だ。永峰検視官が異常に気付かなければ、そのまま自殺として事案処理されていただろう。

「志穂さんの首には、電源コードが食い込んだことで出来た索条痕が残っていました。そのあとは、左耳のやや上から耳の後ろを通り、下顎と首の接合部を経由して、右耳の後方やや上に至っています。これは首吊り自殺によく見られる痕の付き方です」

 琴子は、索条痕の経路を自分の指でなぞった。

「え、でも自殺じゃないんでしょ? 何で?」

 祥子が聞いた。琴子の話す内容に、興味はあるようだ。

「司法解剖の際に、『もう一つの索条痕』が見つかったからです」

 勿論それだけではないが、他殺と断定された根拠の一つではある。

「志穂さんの首には、電源コードが食い込んで出来たものとは別に、首全体に薄く索条痕が残っていました」

 これがもし、腐敗により死体の皮膚がどす黒く変色していたら、首全体の索条痕は発見されなかったかもしれない。

「首全体の索条痕は、首に対して水平方向に残されていました。これは何者かによって首を絞められたことを表しています」

 首吊りであれば、体重が下にかかるので、索条痕はアルファベットのU型に残る。一方、紐や帯状のものを使った絞頸の場合は、首の外側から中心に向かって圧力がかかる為、首に対して水平方向の索条痕が生じるのだ。

「解剖医によれば、索条痕が首全体に薄く残っているため、幅のある柔らかい布のようなものを使って首を絞められた可能性があるとのことでした。ウォークインクローゼットの中にマフラーがあったので、それを使ったものと考えられます」

 柔らかい布を首全体に巻き、徐々に力を込めていけば、首の索条痕は目立たなくなる。そこへ更に、より鮮明な痕を付けてやれば、そちらの方に注目が集まる。こうして絞殺の痕跡を隠蔽しようとしたのだろう。手の込んだ偽装工作だ。

「あの……首を絞められたのだったら吉川線が残るんじゃないでしょうか」

 おずおずと手を挙げたのは船木だ。ここに来てようやく喋る気になったらしい。

「おっしゃる通りです。もっとも、通常の場合であれば、ですが」

 琴子が解説しようとしたところで、塩崎が手を挙げた。

「すまんがの、『吉川さん』とは誰のことかいのぉ?」

 琴子は苦笑して「吉川線ですよ」と訂正する。塩崎に解りやすく説明すると、老人は深々と頷いた。

「こりゃ失礼。で、その吉川線がどうしたんかいの?」

「はい。通常であれば、被害者の首には自分で掻きむしった痕が残るのですが、志穂さんの場合は違いました」

 これもまた、自殺に思える要素だ。

「……それでもまだ自殺じゃないんですか?」

 八代の声色から、むしろ自殺であって欲しいと願っている様子が伝わってきた。

「……残念ながら。志穂さんの血中から、睡眠薬の成分が検出されています。睡眠薬を服用させて昏睡状態に陥らせ、その上で首を絞めれば吉川線は残らないのです」

 琴子は沈痛な面持ちで告げる。八代は小声で「……わかりました」と言い、うなだれた。

「以上のことから、本件は自殺ではなく他殺と断定されました。ここまで説明してきたように、死体に巧妙な偽装工作が施されていますので、犯人は医学の知識がある人物だと考えられます」

 琴子が言うと、辰見に向かって一斉に視線が注がれた。

「ちょっ……ちょっと待って下さい。どういうことですか」

 辰見が抗議の声を上げる。自分が医師だというだけで犯人扱いされては、たまったものではない。そんな様子だ。

「そりゃね、吉川線ぐらい私も知っていますよ。しかし、そこの彼も知っていた。大体ね、今のご時世、誰でも必要な知識を簡単に集められるでしょう? ネットがあるんですから」

 辰見がまくし立てた。彼の言う通り、今時はウェブサイトで様々なことを調べられる。法医学の知識にしても情報収集は容易だ。

「私も知ってる。ドラマでやってるのを観たことあるから」

 辰見に同調したのは祥子だ。

「僕もです」

 八代も手を挙げた。

 船木は現職の警察官なので、彼にも法医学の知識がある。

「みんな、物知りですのぉ」

 感心した様子で言う塩崎。

 そういえば、彼の父親は軍医だったという。とぼけているだけで、実は塩崎にも医学の知識があるのかもしれない。

「そうですね。医学の知識があるからといって、それだけで犯人と断定することはできません」

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