■推理の完成――そして読者への挑戦状
「は?」
薄井は間の抜けた声を出した。
「わしゃもう、怖うて怖うて。言うか言うまいか考えたんじゃが、やっぱりこら警察さんには言うたほうがええと思いましての」
「はぁ……」
「おたくさんら、こないだ死んどった女の捜査しとりますわな? その女が、化けて出よったんですわ」
この爺さん、いよいよボケたか。元々人の話を聞くタイプではなかったが、とうとう非現実的なことを口走るようになったらしい。
「幽霊ですか。どこで見たんです?」
「ビデオで……再生したら出てきたんじゃ」
「ビデオ? 防犯カメラの映像のことですか?」
幽霊を見た状況を聞くと、塩崎は以下のように説明した。
警察が防犯カメラの録画機器を操作しているのを見て、自分もやってみようと思い立ったらしい。捜査員(川上のことだ)の見よう見まねでやってみたのだが、なかなか上手くいかない。それでも根気よく挑戦してみた結果、ようやくタイムサーチのやり方を会得したという。そして試しに昨日の午前八時の映像データを呼び出したところ、午前八時十分頃に、五〇三号室から稲村志穂が出てきたというのだ。
「それ、本当なんですか?」
「はい、はい、本当です。顔も同じでの、間違いない」
本人はいたって真面目である。だが、にわかには信じられない。
「とりあえず話は分かりました。参考にしますね。お電話ありがとうございました」
無難なことを言って、薄井は電話を切った。塩崎の話で捜査が進展するとは思えない。
「まったく、困っちゃいますね……って、うおぉ!?」
振り向きざまに話しかけようとしたら、琴子が真後ろに居たので、驚いて声を出してしまった。幽霊の話を聞いた直後だから心臓に悪い。
「薄井さん、今の話を詳しく!」
彼女が顔を寄せてきた。瞳に星が瞬き、顔は紅潮している。吐息が荒く、明らかに興奮している様子だ。
なぜこのタイミングで? 薄井は戸惑いながらも、塩崎から聞かされた話をそのまま伝えた。
「……ということらしいんですけど」
話し終えたところで、琴子の様子に変化があった。またいつぞやのように
「薄井さん……最っ高です……!」
何が? と言いかけたとき、琴子が覆い被さってきた。
不意に抱きつかれた薄井は、パイプ椅子ごと後ろに倒れた。後頭部をしたたかに打ち付け、目から火花が出そうになる。
視界が鮮明になったと思いきや、その時にはもう、琴子の顔が目の前にあった。
潤んだ瞳、朱に染まった頬、半開きになった口からは甘い吐息が漏れている。室内が冷えきっているので、彼女の体が殊更に温かく感じられた。
「え……ちょ……っ!?」
この状況は、誰かに見られたら非常にマズい。
「あっ、あのっ!」
呼び掛けようとしたが、彼女をどう呼んでいいか分からない。
そうこうしているうちに、『男の生理現象』が始まる。それに伴って、このまま流れに身を任せてもいいかと思えるようになってきた。
まるでしがみつく子供のように、琴子が薄井の首に両手を回す。彼女は腕を絡ませ、愛しい男性にするが如く薄井を抱きしめた。
「……ん……んんっ!?」
琴子が身震いした。細い腕からは想像もできないほどの力が込められる。痛いぐらいだ。
「あっ……」
彼女が小さく呻いた。それを機に、少しずつ脱力していく。
「だ、大丈夫ですか?」
聞くと、彼女は薄井の胸に顔を埋めたまま答えた。
「……ごめんなさい。でも……もう少しこのままで。……力が……入りません……ので」
彼女の中で、何かが終わったらしい。おおむね想像はつくが、敢えて口に出すのは破廉恥というものだ。琴子の頼みを、薄井は無言で受け入れた。
部屋は静かだ。時計の秒針が鳴る音、パソコンの機動音、それから彼女の息遣いが聞き取れる。初めは浅い息を繰り返していたが、時が経つにつれて間隔が長くなっていく。
「……失礼しました。もう大丈夫です」
琴子が起き上がった。顔には照れ臭さそうな笑みを浮かべている。今となっては薄井も事情を知っているので、以前のように取り乱すこともないようだ。
「……いえ、こちらこそ」
薄井はさりげなく股間を隠した。
何と言っていいのか分からない。危うく一線を越えてしまうところだった。ここは職場だというのに。
「……ねぇ、薄井さん」
名前を呼ばれて我に返った。
「何でしょうか」
と言ってから気付いた。琴子が性的に興奮してしまうのは、密室のことを考えている時。しかも、さっきの乱れ方は尋常ではなかった。ということは――
「もしかして……?」
薄井の問いに、琴子は頷く。
そして彼女は、至福の時を迎えた少女のように微笑んで、こう言ったのだった。
「閉ざされた部屋は、いま開かれました」
【読者への挑戦状】
謎を解き明かす『鍵』は全て開示されました。皆様の聡明なる頭脳にて、完全なる解答を目指して下さい。
次回から解決編です。
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