■情報の整理と推理2

「薄井さんは、何が気になります?」

 先に話を振ってきたのは琴子だ。薄井は手始めに、小さな疑問から口にした。

「被害者は、どうして休みの申請を電話でしたんでしょうね」

 疑問に感じたのは、稲村志穂の勤務先での事情聴取がきっかけだ。ヘアサロン〈begin〉では、店長と従業員がLINEで連絡を取り合っているという。休みが欲しいときも店長にメッセージを送信すれば、それで事足りるようだ。

 それなら、稲村志穂も「休みが欲しい」と店長の八代にメッセージを送信すれば済むはずなのに、彼女は通話で自分の希望を伝えていた。

 このことについて、当初、薄井は礼儀の問題だと考えていた。体育会系気質の警察組織においては、目上の者に対して携帯電話のキャリアメールやLINEでの連絡は無礼だという風潮がある。この為、上司に頼み事がある場合は、第一に直接口頭で、第二に電話での口頭伝達が好ましいとされているのだ。

 とはいえ、警察組織内でも世代交代が進み、若い警察官の間ではメールやLINEが使われることが増えてきた。となると、比較的若い世代で構成されている民間の職場では、ごく当たり前のことなのかもしれない。

 薄井が自分の考えを話すと、琴子は視線を天井に向けた。

「電話で直接話すことに、何らかのメリットがあったんでしょうね」

「稲村志穂にとってのメリットですか?」

 薄井は考えた。通話がLINEを上回るメリットとは何だろうか。気軽さでいえばLINEのほうが上だし、文字として記録に残るから、言った言わないの水掛け論になることもない。

「いえ、です」

 琴子はマグカップを両手で持つ。真冬とあって、今夜は空気が冷えていた。

「メールやLINEは、伝言した内容が文字として記録に残ってしまうでしょう? それだと犯人にとって、都合が悪かったんじゃないでしょうか」

 メリットだと思っていたことが、逆にデメリットになってしまう。どのような場合にそんな現象が起こるのだろうか。

「被害者が、旅行へ一緒に行く人の名前を送信メッセージに書いてしまったら、それだけで計画が破綻してしまいます」

 被害者を旅行に誘うことも、殺害計画に含まれていたというわけか。それなら確かに、伝言内容が文字として残るのはデメリットだ。旅行に同行する人物の名前がメッセージに含まれていたら、それが動かぬ証拠になってしまう。

「それに、文字として記録が残ってないわけですから、内容は伝言を受け取った側の記憶にしか残らないというのもメリットだと思います」

 仮に被害者が犯人特定に繋がる手がかりを話していたとしても、それを聞いていた側の記憶にしか残らない。記憶はいずれ薄れてしまうし、変質してしまう(つまり『覚え違い』が生じる)ものだから、証拠としては弱いのだ。

 琴子は更に付け加える。

「あとは……そうですね。志穂さん本人が休みを申請した、という事実を強調する為でしょうか」

 LINEだと、被害者のアカウントからメッセージが送信されたというだけで、実際には犯人が彼女に成り済ましてメッセージ送信したという疑いが残る。しかし通話であれば、本人の声が聞けるわけだから、被害者みずから休みを希望したという信憑性が増す。犯人はそこまで計算に入れていたのだろうか。

「私は、犯人が被害者に指示して、電話させたと考えています。余計なことを言わないよう、間近で監視しながら」

 もしかしたら、あらかじめ喋らせる内容も決めていたかもしれない。用意周到な犯人のことだ、言葉巧みに被害者を丸め込み、計画に沿った内容を話させたのだろう。

「ん?」

 そのとき新たに、薄井は疑問を感じた。

「本件を自殺に偽装したかったなら、犯人が被害者のスマホを使って、それっぽいメッセージをLINEで送信すれば良かったんじゃないですか? 例えば『遠くに行きます、探さないで下さい』とか」

 琴子はコーヒーを一口飲んだ後に答えた。

「それだと勤務先の人が心配して、通報が早まってしまいます。犯人は計画を遂行するのに、ある程度の時間的余裕が欲しかったんじゃないでしょうか」

「あー、言われてみればそうですね」

 薄井は仰け反った。

 自殺に偽装して殺すなら、現場が自殺の現場に見えるよう『後片付け』をしなければならない。また、死体の発見が遅れたらその分だけ腐敗が進行するから、絞殺の痕跡も薄れていく。事件の発覚が遅くなればなるほど、犯人にとって有利になるのだ。被害者にわざわざ「旅行へ行く」などと職場に連絡させ、三連休を取らせたのも、その為だと推測できる。より長期の休みではなく、三連休にしたのは、職場に不安を与えさせないギリギリの日数を考えてのことだろう。

「自殺を考えてる人が、旅行を計画するというのはどうなんでしょう? 第三者から、被害者の考えていることと行動が矛盾していると指摘を受けませんかね」

 事実、薄井は八代から話を聞いた時に不自然だと感じた。自分がそうなのだから、他の人も同じように不審だと思いそうなものだが……。

「それについては『彼女が職場を気遣って嘘を吐いていた』とか『急に心変わりした』とか、色んな考え方ができますよね。志穂さんの心情を正確に把握していた人は、誰一人としていませんから」

「ふむ……」

 言われてみれば、今までにも何件か、原因が不明な自殺を取り扱ったことがある。昨日まで笑顔だった人が、翌日には突然――なんてこともザラにある。

 考え込んでしまった薄井を尻目に、琴子は別のことについて自分の見解を述べた。

「遺書の代わりにツイートがあったのも、犯人による偽装でしょうね」

 琴子の考えた通りだとしたら、被害者のスマートフォンとノートパソコンが水没させられていた理由も頷ける。犯人が証拠隠滅の為にやったのだろう。

「巧妙なのは、敢えて曖昧な内容にしてあることですね。色んな解釈ができるので、一見して自殺をほのめかしたものとは思えません」

 薄井たちが、あの内容を自殺に関連づけたのは、稲村志穂の死を知っていたからだ。あの内容だけで被害者の自殺を連想する人は、少数派だと考えていいだろう。

「ツイッターのアカウントとパスワードは、犯人が被害者から聞き出したんでしょうかね」

 薄井が言うと、琴子は首肯しつつ、別の考えも話した。

「あるいは、ログインしたままになっていたか。スマホだと専用アプリがありますからね。鑑識の報告では、スマホから指紋が出なかったそうですから、犯人が使った後に指紋を拭き取った可能性が考えられます」

 普通なら、スマートフォンの持ち主である被害者の指紋が出るはずなのに、それが無かったということは、やはり犯人が自分の指紋を被害者の指紋ともども拭き取ったと考えるしかない。

 とはいえ、スマートフォンの専用アプリで、ツイッターにログインされたままになっていたかどうか、それは今となっては確かめるすべが無い。

「ツイッターのログイン情報を調べられませんかね」

 被害者のスマートフォン以外から彼女のアカウントにアクセスされていたら、いい手がかりになるかもしれない。つまり、犯人が自分のパソコンやスマートフォンからアクセスした場合は、IPアドレスから個人を特定できるかもしれない。

「それでしたら、既に別の班が動いています。あと、被害者の通話明細とLINEのログ、キャリアメールの履歴も取得に向けて各社と調整しているところです」

 指示したのは鷹野だろう。履歴を調べれば、被害者と繋がりのある人物が浮き彫りになる。データの入手が待ち遠しいところだ。

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