■被害者の墓参り

 列車が次の到着駅を告げた。そろそろ下車の準備をせねばなるまい。

 ベンチシートに腰掛けた薄井は、隣の琴子を見た。彼女は座ったまま眠っている。昨夜のようにもたれかかってくることはなく、やや俯いて目を閉じていた。

 少女のような寝顔をもうしばらく眺めていたい衝動に駆られたが、乗り過ごすわけにもいかない。一つ先の駅で降りたとしても、折り返しの電車が来るまでには一時間も待たなければならないのだ。薄井は琴子の肩を軽く叩いて声をかけた。

「着きますよ」

「……あ、はい……」

 彼女は眼鏡を外して、まぶたを指で揉む。まだ寝足りないようだ。こんなことなら自宅で休んでおけばいいのに、と思ってしまうのだが、言ったところで大人しく従う人ではないから、口には出さないでおく。

 今日は一日、休みを貰えた。

 今朝方、琴子と揃って居眠りしていたのが見つかり、これをみかねた鷹野が、二人に休息を勧めてくれたのだ(第一発見者が彼でなければ、あらぬ疑いをかけられていたかもしれない)。

 普通なら、その提案を受け入れて早々に帰宅するのだが、薄井には一つの閃きがあった。

 被害者の墓参りである。

 昨日の失態は、薄井が冷静さを欠いたのが原因だ。稲村志穂が住んでいた部屋の隣人、つまり多田祥子の話を聞くうちに、個人的な感情を出してしまった。一人娘を亡くした父母を思えばこその怒りだったが、一番大事なことを自分は失念していたのである。

 一番大事なこととは、捜査を進展させること。捜査が進まない限り、犯人に辿り着くことはできないのだ。

 あのとき自分がしたのは、むしろ捜査に支障をきたすかもしれない行動だった。もし、多田祥子が重要な情報を握っていたとしたら? 彼女が捜査協力を拒み続ければ、それだけゴールは遠ざかってしまう。

 そう考えた時に、稲村志穂やその家族への申し訳なさが込み上げてきた。できれば直接謝罪したいところだが、喪の明けないうちに稲村家を訪問するのは独り善がりに思われた。それに加え、自分は誰の為に捜査を続けているのか、改めて実感したかった。だから、せめて墓参りだけでもしようと心に決めた訳である。

 さっそく琴子に申し出たところ、快諾して貰えた。ただし、彼女も同行するという条件付きではあったが。

「私も、機会があれば来たかったんです」

 改札を通りながら彼女は言う。白いタートルネックセーターにグレーのスーツ、その上にはベージュのトレンチコート。これにネイビーのレザートートバッグを合わせている。昨日から十二月とあって、冬らしい装いだ。

 昼過ぎの時間帯にも関わらず、人気ひとけもまばらな駅前で、タクシーを拾った。事前に調べておいた霊園の名称を運転手に告げると、車が動き出した。

 車窓の外を流れる風景は、のどかな田舎町だ。駅周辺には昔ながらの商店街があるものの、駅から離れるにつれて住宅が増えていく。やがて住宅の中に畑が混じり、戸建てと畑の割合が逆転した頃に、運転手が話しかけてきた。

「お客さん、東京から来た人かい?」

「はい。分かりますか?」

 薄井が答えた。タクシー運転手と話すのは嫌いではない。彼らの観察眼は参考になる。乗客の姿や雰囲気から、その素性をピタリと当ててしまうのだ。ベテランであればあるほど、この傾向にある。長年の経験から、自然に人を見る目が養われるのだろう。

「ええ。そんなちゃんとした服着てる人は、あんまり見かけないからね。それに、若いお客さんは久々だ。この辺は、若い人みーんな東京に行っちゃったよ」

 就職を機に大都市へと若者が流出する、どこにでもある話だ。そういえば稲村志穂も、夢を抱いて東京を目指したのだった。

「タクシーを利用するのも、病院や買い物に行く年寄りばかりでね。しかし今日はツイてる。若い上にこんな可愛いお嬢さんが乗ってくれたんだから」

 運転手が笑う。いやらしい感じはしないので、本人なりの褒め言葉なのだろう。

「お上手ですね」

 琴子は微笑んで、さらりと流す。海千山千のベテラン警察官と日頃からやり合っている彼女にとって、これくらい朝飯前だ。

「ところでお客さん、今日は墓参りかな?」

「そうです」

 薄井が答えた。

「いい心がけだね。墓参りには行っておいた方がいい。亡くなった人は、空からしっかり見てるからね」

 それが彼なりの考え方らしい。薄井はふと、事件が落ち着けば父の墓参りに行こうと思った。

 それから程なくして、霊園が見えてきた。小高い丘が舗装され、広大な敷地に墓石が整然と並んでいる。その一角にある駐車場で停めて貰い、タクシーを降りた。

 隣接している寺院で、稲村家の墓がある区画を教えて貰う。割と近いらしく、琴子と二人で探していたら、直ぐに見つかった。

 御影石で作られた墓石には、〈稲村家之墓〉と彫られている。周囲は綺麗に掃除されているが、花も供え物も無かったのが意外だった。赤の他人が供え物をするのは差し出がましいと思ったから、何も持参しなかったのだが、こんなことなら駅前の商店街で調達すれば良かったと後悔する。

 ……仕方ない。

 薄井は気を取り直して、墓前にしゃがみ込んだ。後に続く形で、琴子も同じ様にする。

 両手を合わせて目を閉じた。宗派が分からないので、念仏を唱えることはしない。代わりに、今は亡き被害者に思いを馳せた。

 志半ばで道を閉ざされた彼女には、気の毒という思いしかない。一度は諦めかけた夢に再び挑むには、相当な気力を要しただろう。努力の甲斐あって、ようやく軌道に乗り始めた矢先の死だった。これでは彼女が浮かばれない。安らかに成仏してくれとはとても言えないが、あなたの仇は必ず取りますと誓いを立てた。

 薄井が目を開くと、視界の端に人影が見えた。近づいてくる人物の方を見た時、相手と目が合った。

 稲村志穂の父だった。

 彼は薄井と琴子の顔を順番に見る。

「あんたらは……刑事さんだね。確か警察署で」

 遺体引き渡しの時に見た顔を覚えていたらしい。

「……そうです。勝手に押し掛けて失礼しました」

 薄井は立ち上がり、頭を下げた。

 返事は無い。相手が仏頂面のままなので、機嫌が悪いのか元々こういう顔なのか判らない。顔を凝視するのも失礼なので視線を落とすと、彼が水の入った桶とタオルを持っていることに気付いた。

 薄井が墓前から退くと、稲村は進み出て、地面に桶を置いた。タオルを水に浸し、固く絞る。それを使って墓石を丁寧に拭き始めた。

 彼は黙々と作業を続けている。話し掛けようにもタイミングが掴めない。かといって、このまま去るのも抵抗があった。結局そのまま、掃除が終わるまで待つことになった。

 稲村は片付けを済ませると、薄井に顔を向けた。

「ここに志穂の遺骨は無い。ついてきなさい」

 それだけ言って歩き出した。

 訳も解らず、薄井は琴子と顔を見合わせる。彼女も稲村の真意は解りかねているようだったが、二人は後を追うことにしたのだった。

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