■聞き込み捜査
翌日からは、被害者の足取りを追う捜査が中心に行われた。
防犯カメラの映像によれば、稲村志穂は朝から外出している。行き先で犯人と接触している可能性があるので、事件が起こる前の行動を把握する必要がある。
この為、現場周辺の防犯カメラ捜索と、広範囲での聞き込みに捜査員が集中動員された。
これと並行して、被害者の関係者に対する行動確認も行われる。こちらは対象者の尾行や監視といった秘匿捜査なので、少数精鋭だ。
この他、〈スターメゾン中目黒〉での補充聞き込みも必要だ。事件発覚直後は昼間帯だったから、不在の世帯が多かった。同じマンションの住人全員から聴取しなければ情報に漏れがあるかもしれないので、完遂を目的に班編成が行われ、薄井もこの中に加えられた。本来なら〈特別室〉の室員として琴子の補助に当たるべきなのだが、彼女が鷹野に頼み込んでくれたおかげで聞き込みに従事させて貰えた。
――私は大丈夫ですから――
琴子はそう言って送り出してくれたが、彼女にしても人手が必要だったはず。なのに部下の希望を優先してくれたことには感謝しかない。
そう思ったからこそ、何かしらの成果を持って帰りたかったのだが……。
インターホンを押しても応答が無い。三日前からこうして訪問しているのだが、相変わらず不在のままだ。
その部屋は五〇四号室。稲村志穂が住んでいた五〇三号室の東隣である。
他の部屋は全て聴取できたが、この部屋の住人だけ、未だに面会できていなかった。なかなか姿を現さないので、もしかしたらここの住人が犯人なのではないかと考えてしまう。
有り得なくは無い話だ。隣室の住人であれば、ベランダ伝いに被害者の部屋へ入れるかもしれない。しかもこの場合は、防犯カメラの映像に映らないのだ。そう考えると、五〇四号室の住人は被害者を殺害後、高飛びしている可能性もある。
時刻は午後十一時二十五分。相手が夜遅くまで仕事をしている人かもしれないので、帰宅の頃合いを見計らって来たのだが、今日も空振りに終わってしまった。前回、行動を共にした徳田は別の班で動いているから、今は相談できる相手もいない。
薄井は溜め息をつくと、エレベーターホールに向けて歩き出した。明日は早朝にでも来てみようか。管理人の塩崎から鍵を借りていることだし、来ようと思えばいつでも来れる。
そんなことを考えていると、背後で鍵の開く音が聞こえた。振り向くと、五〇四号室のドアがわずかに開いている。
今しかない! 薄井は急いで引き返した。
「ちょっと~、何なのよ~こんな時間に」
顔を出したのは、四十代前半の女性だった。それなりに美人なのだが、目が吊り上がっているので、かなり勝ち気な性格の持ち主に見える。
「夜分にすいません、警視庁捜査一課の薄井といいます」
薄井は警察手帳を見せて名乗った。
「え、警察? 何の用?」
彼女の口調から、かなり面倒くさいと思っている様子が伝わってくる。
「非常識は承知の上です。今、少しお時間いいですか?」
「あ? いいけど、何?」
横柄な態度ではあるものの、話には応じてくれるらしい。
女性は
薄井が訪問した理由を話すと、祥子は顔を歪ませた。
「え、死んだの、ここの子?」
彼女は火が点いたタバコの先端を、五〇三号室のドアに向けた。
「何で?」
「いえ、今のところは何とも」
相手が犯人かもしれないので、詳しい事情を話す訳にはいかない。彼女には、隣の部屋に住んでいた女性が死亡したとだけ伝えてある。
「ところで、隣の方がどんな方だったかご存じですか?」
「ああ、知ってるよ」
祥子の顔が
「正直、いけすかない女だったね」
「どういう意味ですか?」
「田舎くさい顔してるくせにさ、精一杯背伸びしちゃってんの。金持ちの彼氏がいるからって調子乗ってたわ」
祥子にはそう見えていたらしい。
「知ってる? この部屋、彼氏が契約してるんだって。で、家賃は彼氏持ち。それをあの女、我が物顔で住んでたわけよ。どんだけ男に依存してるんだか」
彼氏とは辰見のことだろう。
「あたしさ、男に媚びる女って大嫌いなんだよね。自立心が無いっていうかさ」
祥子の誹謗中傷は続く。
「あの子、日に日に化粧や服装が派手になってたわ。それを彼氏に見せつけてさ、そしたら彼氏も喜ぶわけよ」
辰見は経済的に余裕があるだろうから、交際相手への贈り物は惜しまなかったはずだ。
「何ていうかさ、男に可愛がられる為に生きてるって何か違わない? あれじゃあペットだわ。自分で努力もしないで、ただ尻尾ふってりゃご褒美の餌を貰えるんだから。楽なもんよ」
それは違う気がした。八代から聞いた話では、稲村志穂は夢を実現させる為に努力を惜しまなかった女性だ。祥子の言い分には、彼女の主観が強く反映されているように思える。
「あーもう、話してたら何か腹立ってきた。なんで最近の若い子って、見ててイライラするんだろ」
祥子はタバコを勢いよく吸い、盛大に煙を吐き出した。
「……でもまあいいか、これでもうそんな思いもしなくなりそうだし。せいせいしたわ」
今のは聞き逃せない。薄井は自分の目元が痙攣するのを感じた。
「ちょっと、それは言い過ぎじゃありませんか? 彼女、亡くなってるんですよ」
薄井が咎めたことに対して、祥子は気を悪くしたようだ。鋭い目が、こちらを睨み付けている。
「は? だから何なの。あんなのがいるから、『女はバカだ』って言われるの。あんなバカ女と同じように見られるなんて、あたし耐えられない」
祥子は止まらない。薄井は拳を握りしめた。
「とにかく、あんな女は死んだほうがよかったのよ」
この台詞を聞いたのがベテランの徳田や鷹野、あるいは温厚な琴子だったなら、もう少し上手くやり過ごせただろう。しかし自分には受け流せるだけの寛容さは無いし、忍耐もない。
これ以上はもう――無理だ。
「おい、あんた今なんつった」
「え、何?」
祥子の鬱陶しそうな表情を見て、薄井の怒りが爆発した。
「どういうつもりで言ったのかと聞いてるんだ!」
腹の底から声を出していた。取調べでも、これほど強く言ったことは無い。
死者に鞭打つような真似はするべきでないし、何より被害者を侮辱することは、被害者を取り巻く人々をも蔑むことになる。綺麗事だと言われればそれまでかもしれないが、被害者の両親を思うと、祥子の言葉は許し難いものだった。
「な、何よ……いきなり」
「さっきの言葉、取り消せ! それから、彼女の両親に詫びてこい!!」
湧き出てくる感情そのままに、薄井は祥子を怒鳴りつけた。深夜帯である上に、場所がコンクリート製の共同通路なので、周りに声がひときわ強く響き渡る。
「ちょ……何であんたにそんなこと言われないといけないの? もう帰って!」
祥子は部屋に入るなり、ドアを閉めた。直後、施錠される音が聞こえ、それが拒否の態度を明確に示していた。
薄井はドアの前に取り残される。その様子を、同じ階の住人がドアの隙間から見ていた。薄井はそれに気付いていたが、どうすることもできなかった。
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