■捜査会議

 時刻は午後八時。

「では、捜査会議を始めます」

 場所は中目黒警察署の会議室、進行役は鷹野だ。彼はホワイトボードの前に立ち、事案の概要を説明している。その横に並べられた長机には幹部が座っていた。鷹野の側から、管理官、捜査第一課長、中目黒警察署長、同副署長の順だ。

 幹部席の向かいには長机が多く並べられ、捜査第一課、鑑識課、そのほか各警察署から集められた指定捜査員等、大勢の警察官が着席している。特に決められているわけではないのだが、前半分の席が本部所属、後ろ半分が所轄という席割りになっているようだ。薄井と琴子は本部席の末端に座っていた。

 鷹野の説明が終わると、最初に司法解剖の結果が伝えられた。

 死因は絞頸こうけいによる窒息死。つまり首を絞められた結果、気道が塞がれて呼吸ができなくなり、死亡に至ったというものだ。

 そう結論づけられた根拠は、甲状軟骨(※喉仏のこと)に骨折が見られたからだという。通常の首吊りでは有り得ないという話だった。

 また死体の首には、電源コードが食い込んだことによってできた索条痕さくじょうこんとは別に、もう一つの索条痕も残されていた。新たに見つかった索条痕は広い範囲にわたって残され、全体的に薄い。解剖医の見立てでは、幅のある、柔らかい布のようなものを使って首を絞められた可能性があるとのことだった。

 死体に目立った外傷は無く、争った様子も見られない。索条痕以外の痕跡、つまり死体を運んだ際に生じる圧痕や擦過痕、表皮剥離なども残されていなかったことから、別の場所から死体が運び込まれた可能性は考えられない。それが解剖医の意見だ。

 死亡推定日時は十一月二五日午前〇時頃から午前三時頃までの間。胃の内容物の消化具合が根拠だと聞かされた。

 以上をもって、本件は自殺に偽装された殺人事件と断定された。今後は稲村志穂を被害者とし、犯人を割り出す為の捜査に移行することとなる。

 伝達が行われると、今度は各担当者からの報告に移った。

 最初は稲村志穂の両親を担当した班からだ。両親はまだ健在だが、娘とは疎遠になっていたという。彼女が上京した経緯は、薄井が八代から聞いた内容とおおむね合っていたが、実は家出同然だったことが分かった。父親が厳格な性格だったので、娘から折れるまでは絶対に連絡しないと決めていたらしい。しかしこのような結果となり、今では強く後悔していることだろう。両親は現在、上京の途中だそうで、捜査会議が終わった頃に遺体の引き渡しが行われる予定だ。

 両親から聞いた稲村志穂の経歴も、八代が話した通りだった。少し詳しい情報が加わるとすれば、彼女の出身高校が群馬県立富永高校だったことぐらいだ。

 次は、〈スターメゾン中目黒〉の住人への聞き込みを担当した班だ。稲村志穂が住む五〇三号室の隣室に当たる五〇二号室は空き部屋らしい。一方、反対側の五〇四号室の住人は不在で、今の時間まで帰宅していないという。

 隣人から事情聴取できていないのは痛い話だった。稲村志穂が死亡したとされる時間帯に、何かしらの物音を聞く等して異変を感じ取っていたと考えられるからだ。

 その他の住人はというと、彼女とはそれほど交流が無く、顔を合わせれば挨拶する程度だったという。

 有力な情報は、辰見卓也の出入りを目撃していた住人がいたことぐらいだ。ただこれは、稲村志穂が死体で発見された近日の出来事ではなく、以前の話らしい。辰見は彼女と交際していたそうだから、彼が彼女の部屋を出入りしていたとしてもおかしくは無い。

 今にして思えば、五〇三号室は二人で生活する為の部屋だったのではないだろうか。ベッドは二人用だったし、東京都内であの間取りの部屋を借りようと思うなら、美容師の収入だけでは心もとない。辰見から経済的な援助があったと考えるのが自然だろう。

 続いて、稲村志穂の勤務先。これは薄井が担当したが、徳田が報告を代わってくれた。多くの捜査員から注目されている中で、ベテラン刑事は淀みなく報告を進めていく。

 引き続き、稲村志穂の元交際相手と現場に先着した警察官からの聴取結果も徳田が説明した。耳を傾けている捜査員たちが、要点をメモしていく。

 その後は、防犯カメラ。これは川上が報告した。稲村志穂の部屋に出入りする人物が映っていなかったことが知れ渡ると、捜査員たちの反応は二つに別れた。

 完全施錠で部屋に入った人物がいない、しかも自殺をほのめかす内容のツイートがあったなら、やっぱりこれは自殺ではないかと考える者。

 いや、何らかの方法で部屋に入り、どうにかして出ていったのだと殺人事件の可能性を堅持する者。

 このタイミングで、琴子に出番が回ってきた。

「〈特別室〉です。現在のところ、皆さんにお話できるような成果は出せていません」

 琴子の報告に、会議室がざわめいた。「おいおい、何だそりゃ」と嘲笑う声も聞こえる。中には彼女が若いからといって、軽く見ている人もいるだろう。

「室生室長。何でも構いません、報告できることはありませんか?」

 鷹野も他の捜査員と同じことを考えたらしい。進行役としての口調そのままに、助け舟を出した。

「はい、申し訳ありませんが……」

 そう言って着席すると、彼女は黙り込んでしまった。そのとき、どこかから「嬢ちゃん、遊びに来てんじゃねぇぞ」という呟きが聞こえた。

 瞬間、薄井の頭に血が上る。この事件において、密室の謎を解くことは何よりも重要だ。琴子は警視庁唯一の密室捜査官として、その責任を全て背負っている。複数人で捜査に従事している刑事とは、一人当たりの責任の重さが違うのだ。

 誰だか知らないが、文句の一つも言ってやらないと気が済まない。薄井は感情に任せて立ち上がろうとした。

 しかし突然、腕を掴まれた。見ると、琴子が首を横に振っている。大きな瞳が耐え忍ぶことを訴えていた。

 警察に限らず、大人の世界では結果が全てだ。密室の謎を解き明かす、という結果が出せていない以上は反論すべきではない。彼女はそう考えたのだろう。

 薄井は座り直す。気は収まらないが、上司に恥をかかせるわけにもいかない。

「静かに」

 鷹野が場を静めた。

 続いて何事もなかったかのように、鑑識課からの報告が行われる。

 現場には、犯人のものと思われる指紋どころか被害者の指紋も残されていなかったという。これは恐らく、犯人が綺麗に拭き取ったからだろう。

 足跡については、室内で発見されたものは無いが、ベランダには複数残っていたそうだ。ただこれは、ベランダ内に限ってのことで、琴子が頼んだ目隠し壁の外側からは発見されなかった。現在は、検出された足跡が被害者の履き物と合致するかどうか、確認中らしい。

 鑑識課からの報告が終わると、あとは現場周辺からの聞き込みと防犯カメラの捜索結果を残すのみとなる。これといって大した手がかりは無かったものの、被害者が不眠症を理由に自宅最寄りの心療内科へ通院しており、睡眠薬の処方も受けていたという情報は有益だった。

 こうして数々の報告が続き、最後は捜査第一課長に引き継がれた。

「みんな、ご苦労。大変な捜査に従事してくれて感謝している」

 今朝の激励同様、強面からは想像も出来ない穏やかな声だ。

「ところで、小耳に挟んだのだが。警察に対する非難を受けた者がいるそうだな」

 自分のことだ。薄井は冷や汗をかいた。

「都民の声は、受け入れなければならん。だが、既に諸君は為すべきことをしてくれている。これからも萎縮することなく、事件解決に向けて全力を尽くして欲しい。私が言いたいのはそれだけだ」

 力強い言葉だ。折れそうになる心を奮い立たせてくれる。

「それでは捜査会議を終わります。気を付け!」

 鷹野の号令で全員が起立する。次の号令で一同敬礼、以上でお開きとなった。

 思い思いに退席していく捜査員の中、薄井は立ち止まって鷹野の方を見た。彼は管理官と何かを話していたが、薄井の視線に気付いたらしい。彼はこちらを向くと、ニヤリと笑って拳を突き出した。

 それは出会って間もない頃から見せてくれていたサインで、「負けるなよ」という意味を持つ。捜査第一課長からの激励は、鷹野の計らいなのではないか。なんとなくそう思えた。

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