■関係者からの事情聴取6

 中目黒警察署の地域課を訪ねると、会議室に通された。捜査本部は署内の剣道場に設置したようで、いま自由に使える部屋はここしかないとのことだった。

 並べられた長机のうち、一番奥の席に薄井と同じ年ぐらいの制服警官が座っている。胸の階級章は巡査のものだ。その隣に座る高齢の男性は、胸に警部補の階級章を付けている。彼が巡査の上司だろう。

「すみません、忙しいところを。一課の薄井です」

「お疲れ様です、船木です」

 若い警察官が立って敬礼した。顔をよく見ると既視感がある。

「もしかして、現場保存してた方ですか?」

「はい」

 船木が微笑んだ。薄井が鷹野と現場へ入る前に、立入禁止テープの前で律儀に挙手敬礼してくれたのは彼だった。

「彼の身上記録はこれです。私は外しますので、あとのことは頼みます」

 船木の隣に座っていた警部補は、薄井にファイルを渡すと、会議室を出ていった。

 薄井は礼を言い、部屋に居るのが三人だけになったところで、船木に着席を促した。

 互いに向かい合って座る。ひとこと断りを入れて、船木の身上記録に目を通した。

 船木幸司、二七歳。群馬県立富永高校を卒業後、東京の成浄大学法学部に進学。同校を卒業した後に警視庁採用。現在は中目黒警察署地域課に所属し、交番勤務は三年目。勤務成績は優良で、要注意事項は無い。家族は実家の群馬に両親と未婚の妹がおり、本人も独身で、特定の交際相手もいない。性格は真面目で快活、趣味は釣りとフリークライミング。

「フリークライミングって何ですか?」

 単純な興味から、そう尋ねた。

「壁とか岩肌とか登るやつです。今、ボルダリングって流行ってるでしょう?」

 薄井は、ボルダリングが東京オリンピックの正式種目に組み込まれたというニュースを思い出した。

「ボルダリングもフリークライミングの一つです。自分の力だけで登るんですよ」

「へぇ、凄いですね!」

 船木はどちらかというと細身だが、腕や上半身がガッチリしている印象だ。彼の手を見ると、指先や手のひらの皮膚が分厚くなっている。

「いつからやってるんですか?」

「大学の時に。珍しいサークルだったので、興味本位で始めたら嵌まってしまいました」

 大学のサークルと聞いても、高卒の薄井には漠然としたイメージしか湧かない。自分が既に警察官として働いていた頃、船木は大学でフリークライミングに精を出していたということか。

「船木さんのことは分かりました。では、一報を受けてから現場に到着した時までの状況を教えて下さい」

 船木が椅子に座り直した。

「はい。まず、一報が入ったのは勤務に就く直前でした」

 交番勤務員の勤務形態は、四つの係による交代制となっている(これは警視庁だけで、他府県は三交代制である)。朝から夕方までの日勤が〈第一当番〉、午後から翌朝までの夜勤が〈第二当番〉、夜勤明けが〈非番〉、その翌日が〈公休〉とそれぞれ呼ばれている。今朝の日勤開始前であれば、その時間帯は本来、前日の午後から〈第二当番〉の勤務に就いている係の持ち分だ。

「事案の内容が安否確認だったので、結果が出るまでは長引くだろうなと。それなら交代を前倒ししたほうがいいと思いまして」

 交代間際の同僚を気遣っての判断らしい。

「ただ、相勤者がまだ出勤していなくて。だから私一人で行ったんです」

 彼が部屋に入るまでの経緯は既に分かっている。部屋が施錠されていたので、警察署の勤務員を通じて管理人を呼んだ。そして合鍵で玄関ドアを解錠して貰い、中に入った。

「この時、一人で中に入ったのは何故ですか?」

 この点がネックだ。せめて救急隊と一緒に入ってくれていれば、彼を疑う必要もなかった。

「……今にして思えば、先走ってしまったとしか」

 船木の顔が苦渋に歪む。彼自身、疑われている自覚があるのだろう。

「ただあの時は、もし中に急病人がいたら一刻を争うと思ってましたから……」

 人命救助という観点からいえば、彼の判断は間違っていない。今回はたまたま他殺にも考えられる現場に入ってしまった。要するに結果論である。

「部屋に入ってからの行動は?」

 ここが核心だ。船木しか知らないことなので、慎重に真偽を見極めなければならない。

「部屋に入るなり異臭がしたので、臭いがする方に行きました。そしたら寝室で、女性が死んでいたんです」

 いま彼は『死んでいた』と言った。

「見てすぐに死亡しているのが分かったんですか?」

 薄井の質問を聞いて、船木は首を横に振った。

「すみません、正確には『座り込んでいたのが分かった』ですね。死んでいると分かったのは後からです」

「それからどうしました?」

「無線で、署に状況を報告しました」

「それは部屋に入ってからどれくらい後の出来事ですか?」

「そんなに経ってないはずですが……一、二分ぐらいでしょうか」

「部屋に入った時刻を無線で報告しましたか?」

「ああ……」

 そこで船木がうなだれた。

「すみません、忘れてました。入った時刻が分からないと、私が死体を見つけるのに実際どれだけ時間がかかったか、分かりませんよね……」

 彼は落ち込んだ様子である。自分の措置に不手際があったことに気付き、反省しているのだろう。

「責めてるわけじゃありませんからね」

と、薄井はフォローを入れる。自分の至らなさを悔やむ気持ちは共感できた。

「部屋に入った正確な時刻は、私も控えていないので分かりません。申し訳ありませんでした」

 船木が頭を下げた。謝ればどうにかなるものではないのだが、彼としてはそうせずにいられなかったのだろう。

 しかし困った。これでは船木が故意に入室時刻を誤魔化し、死体発見の報告をする前に証拠隠滅した可能性が否定できなくなってしまう。本件が殺人事件であるならば、彼もまた容疑者の一人ということになる。

「分かりました。あと、現場で触ったり動かしたりした物はありますか?」

「玄関と死体があった部屋のドアは入退室の際に触りました。他は証拠保全が必要だと判断して、現場保存に努めました」

 先着警察官の対応としては正解である。もっとも、彼が自分で言った通りの行動をしていればの話だが。

 薄井は椅子に背を預けた。今の時点では、これ以上有力な情報を得られそうにない。

 少し待ってみたが、徳田からの質問もない。ここいらが潮時ということか。

「では、今日はここまでとしておきます。通常勤務に戻って頂いて構いません」

「了解しました。ありがとうございました」

 船木が立って敬礼する。律儀な性格は生来のものらしい。彼は会議室から退出し、薄井と徳田が残された。

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