■密室講義2
「カーによる分類が行われたのは一九三五年。第二次世界大戦が始まる四年前になります」
「そんなに古いんですか!?」
思わず声を上げてしまった。
琴子は薄井のリアクションに気を良くしたらしく、花のような笑顔に戻った。
「そうなんです。カーが分類を行なってからというもの、現在に至るまで多くの作家が密室の分類を試みてきました。海外ではクレイトン・ロースンやH・H・ホームズことアントニー・バウチャー、国内では江戸川乱歩を初め、天城一、小森健太朗、山口雅也などの先生方がそれぞれの分類に挑まれています。もはや密室は、一つの研究テーマと言っていいでしょう」
そうなのかもしれない。密室は、考えれば考えるほど深みにはまっていく。そうしていつしか抜けられなくなる。これもまた脱出不可能な『密室』だ。
「一九九四年には二階堂黎人先生が、著書〈悪霊の館〉で探偵役の二階堂蘭子に密室講義をさせています」
その作品なら読んだことがある。文庫本だったがレンガ並みに分厚く、読み終えるのに二週間かかってしまった。琴子の言う通り、作中では探偵役の女性が密室の分類について語っていた。詳細は覚えていないが、幾つもの分類法が紹介されていたはずだ。
「二階堂先生の分類法は、複数の視点から行われたものでした。九〇年代ともなると密室のバリエーションはかなり増えていましたから、一元的な見方ではなく多元的な視点から分類を試みた点に、私は深く共感しました。ですから、ここから先は二階堂先生の分類法を参考に、私独自の視点も交えたものを述べます。少し長くなりますが、大丈夫ですか?」
「はい」
「……ああ」
薄井が興味を持って同意したのに対し、鷹野は仕方なしといった様子だ。
琴子は満足そうな顔をして、講義を再開した。
「ありがとうございます。では最初の分類ですが〈密室の完全性による分類〉としておきましょうか。ところで薄井さん?」
「はい」
「読書が趣味とのことですが、ミステリは読みますか?」
「ええ……少しは」
琴子は唇に拳を当てて、数回頷く。
「じゃあ〈完全密室〉、〈不完全密室〉という単語を見たことはあります?」
「あるような、ないような……」
正直よく覚えていない。ミステリ作品独特の単語にそれほど興味を持ったことがないのだ。
彼女がメモ帳に〈完全密室〉と書いた。
「〈完全密室〉は人間だけでなく、その他の動物や凶器も出入りできない、まさに『閉ざされた部屋』を意味します」
薄井はガムテープで封じられた段ボール箱をイメージした。箱の中に荷物を入れて閉じたら、開かない限り取り出すことはできないし、追加の品を詰め込むことも無理だ。部屋にしても同じで、扉や窓が完全に封鎖されたら、犯人や死体は入ることも出ることも叶わない。
続けざま、メモ帳に〈不完全密室〉と書き加えられた。
「一方〈不完全密室〉は、施錠されているものの、人間が通り抜けられない程度の穴や隙間のある部屋を言います。これはカーが『卑怯なやり方』だと非難していますが、犯人や死体が出入り不可能な外観が備わっていることに変わりは無いので、密室としては成立していますね」
「そういうものなんですか」
「はい。というか、カーは不完全密室をを非難しているだけで、密室の定義から外れるとは言ってないのですよね。自分なりの美学に反するから認めたくなかったのかもしれませんけど」
カーの信者がいたら怒られそうな台詞だ。琴子はファンだからこそ冷静に分析したいのかもしれないが。
「次の分類に移りましょう」
琴子はメモ帳に〈密室を作る方法による分類〉と書く。
「この分類では、大きく分けて三つのパターンが考えられます。一つ目は〈物理的方法によるもの〉、二つ目は〈機械的方法によるもの〉、三つ目は〈心理的方法によるもの〉」
琴子の口から出た項目が、メモ帳に書き加えられていく。
「〈物理的方法〉とは、例えばテグスや紐、糸などの道具を使って室外から施錠する方法が挙げられます。これらのトリックはカーの時代から既にありましたし、現在でもよく使われている方法ですね」
戦前から使われていた方法が現代でも見られるというところに、感慨深いものを感じる。
「ちなみに、カーは氷を使うなどして閂や差し金に細工する方法を別に分類していましたが、私はそれらも物理的方法に含まれると考えています」
「次の〈機械的方法〉とはどう違うんですか?」
薄井は質問した。何かしら道具を使うという点では、物理的方法も機械的方法も大差ないように思える。
「〈機械的方法〉とは、例えばタイマーが設定してあって、時間が経てば自動的に施錠される仕組みのことをいいます。トリックとしては弱いですが、今や一般的なオートロックなんかもこれに分類できますね」
「つまり〈物理的方法〉が手動、〈機械的方法〉が自動ってことですか?」
「おっしゃる通りです」
琴子が嬉しそうに目を細めた。
「三つ目の〈心理的方法〉は、犯人以外の人物が密室状態だと誤認してしまう場合、またはそのように仕向けた場合をいいます。先ほどお話しした〈雪密室〉もこれに含まれると私は考えます」
〈雪密室〉は積雪に足跡が残っていないだけで、実際は犯人が行き来していたり、死体や凶器が移動していたりする。これが密室として成り立つ為には、犯人以外の人物が『誰も出入りしていない』と『思い込む』必要があるのだ。
だんだん解ってきた。薄井は先を促す。
「他の分類はどうなんですか?」
「続いては〈密室が生まれた原因による分類〉です」
密室が『作られた』ではなく、『生まれた』と表現されたところが気になる。彼女のことだから、何か理由があるに違いない。
「これは大きく分けて二つ」
と言って、琴子は次のページに項目を書き込む。最初の行に〈偶発的構成〉、その下には〈人為的構成〉とある。
「〈偶発的構成〉とは、偶然にして密室が出来てしまった場合を言います。例えば、犯人の加害行為によって瀕死の重傷を負った被害者が、命からがら部屋へ逃げ込み、自分で施錠した後に絶命するという場合がこれに含まれます」
そういう訳か。犯人が意図せずとも密室になってしまうこともある、それで琴子は『生まれた』という単語を使ったのだ。
「〈人為的構成〉は、人の手によって密室が作られた場合。ミステリ作品では、これのトリックが最も重要とされています」
密室が売りの作品なのに、実は密室ができたのは偶然でしたなどと書かれた日には、読者が黙っていないだろう。
「この項目は、更に枝分かれします」
琴子は〈人為的構成〉と書いた文字から枝分かれの線を引き、その先に新たな項目を設けた。
「枝分かれして最初の項目は〈犯人の独力による構成〉です。犯人が殺人と密室作りの両方を一人で行なった場合がこれに当たります。犯人が一人だと事件そのものはシンプルですが、共犯者がいると一気に複雑化します」
下の行まで伸びた枝先に〈協力者の関与による構成〉という項目が加わった。
「殺人を行なった犯人と密室を作った犯人が別々の場合、あるいは協力し合って両方を成し遂げる場合。また殺人を行なった犯人と密室を作った犯人との間で意思疎通が無い場合も含まれると考えます。つまり協力者が勝手に密室を作ってしまったような場合ですね。これだと殺人を行なった犯人の主観において、密室が偶然できてしまったことになりますが……協力者の意図が働いているという点から、人為的なものとして分類しました」
密室を作る協力者がいるとすれば、それこそ事件は複雑極まりない。密室の謎が解けたとしても、殺人犯には直結しないのだから。
「この他には、動物や昆虫などを使って密室を完成させるというものもあります。これが〈人間以外の生物利用による構成〉です」
既に使われているかもしれないが、『細菌やウィルスを使って完成させた密室』が存在するなら、きっとこの項目に含まれるのだろう。
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