■密室講義1

「まずお断りしておきたいのは、これから話す内容には私の主観が含まれているということです。あくまで私の研究と経験に基づくものであって、決して普遍的なものではないことをご理解ください」

 そう前置きして、琴子は上着の胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。

「まずは定義から。元々、ミステリの世界には〈狭義の密室〉と〈広義の密室〉という考え方がありまして。前者は施錠された部屋を意味し、後者は部屋でなくとも犯人や死体が出入り不可能な場所や空間、あるいは状況を意味します」

 琴子がメモ帳に〈狭義の密室〉、〈広義の密室〉と並記した。意外に達筆である。

「〈狭義の密室〉は、例えば合鍵やテグスなどを使って施錠された部屋のことです。〈広義の密室〉は……そうですね、〈雪密室〉なんかがその典型でしょうか」

「雪密室?」

 鷹野がおうむ返しに聞いた。

「はい。〈雪密室〉とは、積雪で囲まれた建物の中で殺人が行われたのに、周囲の雪には足跡が残っておらず、建物内にも犯人が存在しないというものです」

 その状況であれば確かに、雪で囲まれた一帯は人が出入りしていないように見えるから、付近一帯を『出入り不可能な空間』と見なすことができる。

「この〈雪密室〉が最初に登場したのは、横溝正史の〈本陣殺人事件〉でした。この作品は、施錠設備が定着していなかった時代の日本家屋に密室殺人の要素を盛り込んだ最初の作品と言われ、高く評価されています。この作品以来、足跡の有無によって現場周辺を出入り不可能な空間に見せかけ、〈広義の密室〉として演出する作家が日本国内でも現れるようになりました。法月綸太郎先生は、タイトルがまさに〈雪密室〉という作品を発表していますし、面白いのは〈本陣殺人事件〉で初登場した名探偵、金田一耕助のお孫さんという設定の金田一はじめ君が同様の謎に挑戦していることですね」

 蘊蓄うんちくを付け加える琴子は、少し嬉しそうだ。

「話が少し逸れましたが、〈狭義の密室〉、〈広義の密室〉の両方に共通しているのは『部屋または空間等に出入りする事が不可能』という外観を作り出している点。密室殺人が不可能犯罪の典型とされている理由はここにあります」

 誰も出入りしていない場所なのに、死体がある。死体が自ら動くことは無いから、殺人事件だとすれば必ずもう一人の関与があるはずだ。しかしその『もう一人』が現場を出入りできないのだから、関与していないと考えるしかない。殺人事件と考えた場合に、その事件を発生させることが不可能に思える……これはパラドックスだ。

「続いて密室の分類です。一口に密室と言っても、その種類は千差万別。これを最初に分類したのが、ジョン・ディクスン・カーでした」

 琴子は饒舌だ。得意分野を語りたくなる心情は解らないでもない。

「彼は、著書〈三つの棺〉の中で、人間や凶器が通れる抜け穴を排するという前提の下、密室を大きく二つに分類しています」

 琴子がメモ帳に二つの項目を書いた。一つ目が〈密室内に犯人が存在しない場合〉、二つ目は〈部屋を内側から施錠したように見せかけた場合〉。

「〈密室内に犯人が存在しない場合〉について、カーは更に七つのパターンを挙げています。その一〈偶発的な要素が重なり殺人のような状況ができてしまった〉、その二〈外部からの何らかの働きかけにより室内の被害者を死に追い込む〉、その三〈室内に隠された仕掛けにより被害者を殺害する〉、その四〈殺人に見せかけた自殺〉、その五〈既に殺害された被害者を密室が開かれる前の時点で生きているように見せかける〉、その六〈室外からの犯行を室内で行われたように見せかける〉、その七〈生きている被害者を密室が開かれた時点で死んでいるように見せかけて後で殺害する〉」

 ここで彼女は、大きく息を吸い込んだ。解説にのめり込むあまり、息継ぎを忘れていたらしい。

「次の〈部屋を内側から施錠したように見せかけた場合〉ですが、これは六つのパターン分けがされています。第一に〈鍵を鍵穴に差し込んだまま室外から細工する〉、第二に〈ドアの蝶番ちょうつがいを外してから後で元通りにする〉、第三に〈紐等を使ってドアの差し金に細工する〉、第四に〈かんぬきや差し金を落とす為の仕掛けを使う〉、第五に〈部屋の中から鍵を手に入れたように見せかける〉、第六に〈室外から鍵を掛けて鍵を室内に戻す〉」

 ここでもう一度息継ぎ。琴子の顔が少し上気している。

「多少、私の独自解釈も含まれていますが、ここまでがカーによる分類です。それぞれの分類について、具体的状況をお話してもいいのですが……どうでしょうか?」

 おずおずと琴子が助手席を見る。

「……いや、いい。先に進んでくれ」

 鷹野が首を横に振る。彼は小説の世界よりも現実世界での事件が気になるようだ。当然といえば当然である。

「……わかりました。もし興味があれば、著書やネットを参照して下さい」

 そう言う琴子は、やや残念そうだった。

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