■現場観察


○スターメゾン中目黒503号室 見取図

【https://ioriinorikawa.web.fc2.com/map_503.html】



「す、すみません……」

 薄井が謝っても返答が無い。琴子は怒っている様子も無く、黙々と部屋の観察をしていた。

「玄関ドアの鍵穴に傷なし、破損もなし、擦過の痕跡もなし……」

 画板に留めた部屋の見取図を見ながら、一人で呟いている。彼女は密室の専門家だから、密室が作られた方法を明らかにする為、部屋を細かく観察しているのだろう。

 ちなみに琴子は今、濃紺の作業服を着ており、長い髪は巻き上げてキャップ帽の中に入れ込んである。傍目には鑑識課員と区別が付かない。

 薄井は鷹野に言われた言葉――こいつは〈特別室〉の人間だ――を思い出し、琴子にならうことにした。

 死体のあるこの部屋は、寝室と考えていいだろう。部屋の入口に立って内部を見た時、左手側にダブルベッドが置いてある。ベッドの枕元は入口の反対側にあり、そこから視線を右へスライドさせていくと、ベッドの横には鏡台があり、更にその右には本棚が並んでいると分かる。本棚には髪型のカタログや技術書が多く並んでいるから、この部屋の住人は生前、相当な努力家だったのだろう。

 本棚の更に右には壁があり、この壁がベッドの対面側となる。壁の中ほどにドアがあり、このドアのノブに電源コードが掛けられ、その前に死体が座り込んでいる。

 ドアが少し開いていたので、中を覗いた。中の壁沿いにはかなりの数の服が掛けられている。手前が今の季節ものに統一されているらしく、コートやマフラーも見られた。さながら衣類の森といったこの場所は、ウォークインクローゼットのようだ。

「人が隠れてやしないだろうな…… 」

 などと独り言をいいながら目を凝らす。中には誰もいなかった。

 琴子が寝室の窓を観察していた。ベッドの上に腰高窓が一つあり、遮光カーテンが引かれたままになっている。

「ここも異常なし……と」

 琴子はカーテンをめくってから、見取図にバツを描き込んだ。侵入口と脱出口を、こうして消去法で炙り出していくのが彼女のやり方なのだろう。盗犯係の刑事が、空き巣の現場でやっている捜査手法によく似ていると薄井は思った。

 琴子が寝室から出たので、薄井も続く。

 寝室を出ると廊下があり、その向こうには引き戸。これを開くと、中は洗面所だった。向かって左奥にあるのは洗面台だ。この中に、大量の髪が入っている。これが死体の髪なのだろう。

 洗面所に窓は無い。隣が浴室となっているが、ここは琴子が先に中を見ていた。彼女は見取図にバツを描き込んでいる。浴室の窓にも異常はなかったらしい。遅れて薄井も浴室を覗くが、水の張られた浴槽が目に止まった。その中で、スマートフォンとノートパソコンが水没している。これが誰の仕業か、今のところは不明だ。

 洗面所の反対隣にあるのはトイレ、ここに窓は無い。そして次は、一番奥の部屋だ。

 一番奥の部屋が最も広い。見たところリビングダイニングキッチンであるようだ。左手にはソファ、その向こうにはテレビボードがある。ソファとテレビボードの間に木製のローテーブルが置いてあった。これに対して、部屋の右手にはオープンキッチンがあり、その正面にはダイニングテーブル。椅子が二脚置いてあるので、二人以上の人間がこの部屋を使っていた可能性が考えられる。

 そういえば食事はどうしていたのだろうか。薄井は、ふとそんなことを考えた。キッチンや冷蔵庫の中を見れば、生前の食生活が分かる場合がある。

 早速キッチンを見てみるが、驚くほど綺麗だ。日頃から自炊はしなかったのだろうか。シンクの中に、生ゴミを入れる三角コーナーがないし、水気もない。水滴の跡と水垢が僅かに見える程度だった。

 コンロも綺麗なもので、油汚れは付着していない。振り向くとカップボードが見え、真ん中の段にはワインのボトルキーパーと電気ポット、コーヒーメーカー、電子レンジぐらいしか置いていない。炊飯器が見当たらないので、やはり自炊の習慣がなかったようだ。

 代わりに、ボトルキーパーには未開封の赤ワインが一本刺さっている。冷蔵庫の中にも開封済みのワインが一本。食べる物はチーズやサラミ、生ハム、ナッツ、野菜室には生で食べられる野菜しか入っていない。普段の食事は外食か、準備に手間がかからないものが中心だったのかもしれない。その予想を裏付けるように、パントリーからはインスタント食品が数多く発見された。

 振り返り、琴子の姿を探すと、彼女はベランダに面した掃き出し窓を熱心に観察していた。

 掃き出し窓は、テレビやソファのあるリビング側と、テーブルのあるダイニング側にそれぞれ一つずつ設けられている。施錠設備は両方とも、ごくありきたりなクレセント錠だ。今はいずれも、つまみの部分が上になっており、施錠された状態となっている。また上下にスライドさせる形式の補助錠が付いていて、今はつまみの部分が回らないようロックされていた。

 琴子は、掃き出し窓の天井に近い方を見上げていた。上部のレールと窓枠が気になるようだ。

「窓枠にはどこにも痕跡がないですね……」

 続いて彼女はベランダに出る。ベランダでは目隠し壁の手すりが気になるらしく、その近辺を注意深く見ていたが、やがてベランダから身を乗り出し、階下を覗いた。

 危ない、と薄井は思った。この高さから転落したら無事では済まない。ベランダに出て琴子の体を引っ張ろうとしたら、それよりも早く彼女が手前側に降りた。

 薄井の心配を余所に、琴子は近くで足跡の採取をしている鑑識課員に話しかける。

「すみません、ベランダの外側もお願いできませんか?」

「へ?」

 薄井と同い年ぐらいの鑑識課員が、間の抜けた声を出す。

「外側って、その壁のですか?」

 鑑識課員はベランダの目隠し壁を指差していた。

「はい」

 琴子が頷くと、相手は途端に眉をひそめた。

「無茶いわないで下さいよ、危ないじゃないですか」

「でも……」

 琴子は食い下がる。

「てか、こんなところから入ってくる奴いませんよ。ここ、五階ですよ?」

 取り付く島もない。すると琴子は、顔の前でパチンと手を合わせたのだった。

「それでもお願いします! ど~~~しても必要なんですっ!!」

 ひたすらお願いする作戦らしい。上目遣いの琴子に顔を近付けられ、鑑識課員は戸惑いの色を見せた。

「……わ、わかりましたよ。やればいいんですね!?」

「はい! ありがとうございます!!」

 琴子は瞳をきらきらと輝かせ、頬を朱に染める。こんな顔をされたら、誰だって断れないよな……などと思う薄井だった。

「さて、と」

 琴子が薄井の方を向いた。

「現場の観察は以上です。次は防犯カメラの映像を観ましょうか」

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