■死体観察


○スターメゾン中目黒503号室 見取図

【https://ioriinorikawa.web.fc2.com/map_503.html】



 死体の首にはドライヤーの電源コードが巻かれ、その反対側はドアノブに掛けてある。顔を俯かせ、床に座り込むような体勢になっていた。

 これだけなら変死の現場でよく見る非定型縊死ひていけいいし(※首吊りのこと)なのだが、異様なのは髪が刈られている点だ。

 丸坊主という表現がそのまま当てはまる。この女性は髪にカラーを入れているので、全面がライトブラウンの坊主である。

 服装は、胸の開いた大胆なデザインのドレスにジャケット。配色はドレスがグレーでジャケットが白だから地味に思えるが、ゴールドのネックレスとワインレッドのタイツで華やかさが補われていた。

「ミネさん、説明してくれ」

 鷹野が話している相手は、検視官だった。

 検視官とは、検視を専門に行う警察官で、警視庁では本部の鑑識課に所属している。フィクションでいえば〈臨場〉という小説(ドラマ、映画化もされている)の倉石義男が有名だ。現場や死体の観察を通じて、事件性の有無を判断するのが主な任務である。

「いいよ。その前に、そこの君」

 背を向けていた検視官が、薄井の方を振り向いた。濃紺の作業服に同じ色のキャップ帽、細面に眼鏡を掛けている。警察官というよりは、学者といった印象だ。

「永峰検視官! 先日はどうも」

 薄井の見知った顔だった。というのは、異動直前にも現場で顔を合わせていたからだ。

「君は……確か薄井君だね。こないだは五反田の現場にいなかったかな?」

「そうです。あの時の変死ではお世話になりました」

「うん、あの時はやばかったねぇ。屋外の変死だし、防犯カメラの映像がなかったら司法解剖ものだった」

「そうですね……」

「世間話はいいから、早くしてくれよミネさん」

 鷹野が割り込んだ。後で聞いたのだが、永峰検視官は同期で同い年らしい。道理で遠慮がないわけだ。

「はいはい。じゃあ順を追って説明していくよ」

 説明の内容は以下の通りだ。

 死亡している女性の名前は稲村志穂いなむらしほ、年齢二五歳。身元は免許証により判明した。

 二年前の十一月からこのマンション〈スターメゾン中目黒〉の五〇三号室に住んでおり、交際相手、家族の有無は捜査中。

 職場からの情報提供により、彼女の勤務先は代官山にあるヘアサロンで、職業は美容師だと分かった。それを裏付けるように、洗面所から散髪用のハサミやバリカン、練習用のウィッグ等が見つかっている。

 発覚の端緒は、職場からの通報だった。通報者の店長から、うちの従業員が開店時刻を過ぎても出勤してこない、という内容の申告があったそうだ。

 これを受けて、管轄署である中目黒警察署の交番勤務員が現場へ赴いた。しかしオートロックマンションだった為、本日は休みだった管理人を呼び出し、鍵を開けさせ、建物内に入った。

 部屋まで行くと玄関ドアが施錠されたままだったので、管理人に合鍵で解錠させ、警察官が一人で室内に入った。

 そして室内を捜索した結果、死体の発見に至ったという。

「とまあ、彼女のことや発見の経緯はこんな感じだね」

 永峰検視官はここで一旦、説明を区切った。

「で、殺しだと考える根拠は?」

 鷹野が先を促す。先ほど本部で連絡を受けた時、電話の相手は永峰検視官だったようだ。

「あくまで可能性の問題だよ。遺書が見つかっていないのもあるし。ちなみに君はどうしてだと思う?」

 急に話をふられて、薄井は戸惑った。

 永峰検視官はいつもこうだ。若手の捜査員にクイズ形式で判断させ、正解であれば褒めてくれる。誤っていた場合は、解答と解説を聞かせてくれる。懇切丁寧なのは有り難いが、気の短い上司と現場を共にした場合はハラハラしてしまう。

 薄井は一課の刑事として実力を試されていると考え、死体を観察することにした。

 まずは両手を合わせて閉眼。死体を前にしたときは必ずやれ、刑事になったばかりの頃に上司からそう言われていた。

 目を開き、まず確認するのは死体の首だ。

「吉川線は……ないですね」

 首を絞めて殺害された場合は、被害者が苦しさのあまり、自分の首を掻きむしることが多い。そうした場合、被害者の首には引っ掻いたような線が何本も残っている。これを吉川線と言うのだが、目の前の女性にはそれが無い。

 そこで薄井は閃いた。

「部屋のどこかに、睡眠薬の入ってた薬殻はありませんでしたか?」

 薬殻とは、錠剤の入っていたPTP包装や、薬包の残骸のことである。

 薄井は、女性が睡眠薬を飲まされた状態で絞殺され、その後で自殺に偽装された可能性を考えていた。薬で昏睡させられていたのであれば、苦しんで首を掻きむしることもない。

「おー、いい質問だねー。しかし残念だ、見つからなかったよ。さ、続けてどうぞ」

 見つからなかったなら、犯人が持ち去った可能性もある。自分は間違ってないはずだと言い聞かせ、観察を続ける。

 死体の顔に自分の顔を近付けると、腐敗臭がより強く感じられた。とはいえ、顔はまだ判別が容易なので――よく見れば綺麗な顔をした女性だ――それほど腐敗は進んでいない。死後二日から三日というところか。腐敗が始まっているので、死後硬直は既に解けているはずだ。

「ん、髪の毛?」

 薄井は気付いた。首に巻かれた電源コードの表面に、短い髪が大量に付着している。首と電源コードの間に挟まれた髪は、一本も見当たらなかった。

「おー、素晴らしい!」

 永峰検視官が感嘆の声を上げた。

 すかさず薄井は質問する。

「刈った髪はどこにありましたか?」

「洗面所だよ」

「てことは……」

 恐らくこうだ。

 犯人は女性を殺害した後、首に電源コードを巻いて自殺に偽装した。このとき何らかの理由で髪をバリカンで刈り、刈った髪は洗面所へ移動させ、床に残った髪は綺麗に掃除した。そうすることで、女性が自分で髪を刈り、その後で自殺したように見せかけたかったのだろう。

 だが、首に巻かれた電源コードに短い髪が大量に付着しているのは、『殺害し、首に電源コードを巻いて自殺に偽装した後で髪を刈った』という事実の現れではないだろうか。死体は自ら髪を刈ることができないのだから。

 その考えを話すと、永峰検視官は何度も頷いた。

「いいね、君はいい目を持ってる。タカさん、いい子が入ったじゃないか」

 褒められたのが純粋に嬉しい。

「いや、こいつは〈特別室〉の人間だ」

 鷹野が仏頂面で言う。そろそろ焦れてきたようだ。

「え、そうなの?」

 永峰検視官の声が裏返った。

「……まあいいか。僕が言いたかったことは大体この子が代弁してくれたよ。ただ、自分で刈った髪が服に付着してて、それが首のコードに着いた可能性もある。だから結論は、司法解剖の結果が出てからだね」

「わかった。後で詳しく見るんだろ? 中目黒署に行けばいいか?」

「そうだね、捜査本部もそこに置くんだろう?」

「そのつもりだ」

 そう言って、鷹野は別の部屋に移動した。先着した捜査員に、捜査の進捗状況を確認する為だろう。

 薄井も付いて行こうとするが、鷹野と入れ違いに琴子が入ってきた。

 薄井は凍りついた。

 ……正直、今まで彼女の存在を忘れていたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る