■赴任初日2

 二人でひとしきり笑った後、薄井は話題を変えた。

「ところで、少しいいですか」

「ん、何だ?」

 内示の日からずっと気になっていた。念願の捜査第一課に登用されたものの、自分が配属されるのは〈特別室〉という聞き慣れない部署。ここでどのような仕事を任されるのか、情報を集められなかったのだ。

 警視庁捜査第一課には全部で二十七の部署があり、それぞれ庶務担当、支援担当、殺人事件担当(鷹野の係はこの中に含まれる)、強盗事件担当、性犯担当、火災犯担当、人質関連の特殊事件担当……等々、多岐に亘っている。しかしそのいずれでもない〈特別室〉とは何なのか。

 薄井が率直に尋ねると、鷹野は少し考える素振りを見せた。

「それは、新しい上司に直接聞いたほうがいいな。俺は部外者だし、知らないこともある。適当な説明をして、これから先、お前が働く係に変な印象を与えたくないからな」

 突き放したような物言いにも受け取れるが、これは鷹野なりの『筋』の通し方なのだろう。確かに新しい上司の立場で考えれば、自分の知らないところで、部下に変な先入観を植え付けられるのは不愉快に違いない。鷹野の発言は、新しい上司をおもんぱかったものだろうと薄井は察した。

「ま、情報が全然無いのも不安だろうから、話せる範囲で話すよ。行こう」

 鷹野は進行方向を指で示した。鷹野の係が使っている待機室の一角に、〈特別室〉があるという。

「〈特別室〉は二年前にできたばかりなんだ。主導で事件を担当することはないんだが、『特殊な事件・事案』に最も力を発揮する」

 事件担当ではないのか……と、薄井は少し落ち込む。凶悪事件と戦う刑事を志していたが、人事部はそこまでんでくれなかったらしい。「人事は『ひとごと』」とはよく言ったものだ。

 薄井が俯いたので察したらしい。鷹野が詫びた。

「すまんな。実は俺の係に引っ張りたかったんだが、管理官を説得し切れなくてな。お前の能力に問題があるんじゃなくて、単に人員過多が理由で受け入れられなかったんだ」

 最後の部分は薄井を凹ませない為のフォローだろう。

「ま、うちの係は来年四月に昇任異動予定の巡査部長がいるから、それまでの辛抱だな」

 来年四月というと、今日は十一月二七日だから、あと四ヶ月ほどか。そういえば、この時期外れに急遽異動が行われたことも気になる。

 通常、警察では異動が四月と十月の初旬に行われる。内部事情によって多少の前後はあるが、一ヶ月遅れは珍しい。しかも今回は、薄井一人だけの異動となった。この特異な出来事が何を意味するか、前任の所属ではまことしやかに噂されていた。

 曰く、「前任者が逃げたから補充の為じゃないか?」と。

 もしそれが本当なら、このたび配属された〈特別室〉は、相当に厳しい部署なのでは。そう思えてならない。

 そして前任者が逃げたくなるような原因は、上司にあるのではないか。そう考えると、女性国会議員のパワハラに耐えかねて退職を余儀なくされた元秘書の話が、他人事に思えなくなってくる。

 ――やっぱり、何が何でも挨拶だけは先にするべきだった!

「おい、なに頭抱えてんだ?」

「いや、その……大丈夫です」

 とは言うものの、冷や汗が出てきた。思い出したのだが、新しい上司は女性だと聞いていた。女性警察官の中には、派閥を作り、意に沿わない者を集団で陰湿にいじめるタイプの『お局さま』がいる(大抵が四〇歳以上のおばちゃんだ)。そういう相手を決して敵に回してはならない、機嫌を損ねないようにしろ――と、初めて赴任した警察署で真っ先に教えられた。

 だからもし、新しい上司がこの手の人物であった場合、薄井は初手で大きなミスをしたことになる。

「た、鷹野係長……」

 新しい上司はどんな方なんですか、そう聞こうとした。しかし、

「着いたぜ」

時すでに遅し。鷹野が待機室の入口を親指で示していた。

 しまった、先に聞いておくべきだったか。そう気付いたのも後の祭、薄井は胃に鉛を流し込まれた気分になった。

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