6.永き物語
一人、瓶子を傾ける。酒麻呂は、ため息をついて月を見ていた。既に良知は去った後である。しばらくすると、がさりがさりと草をかき分けて来る音が聞こえてきた。「ここにおられたのですか」その声が近づいて来る。
「なんとなく離れづらくてな」
「いや、散々でした」
「……それは俺の言うことでは」
帰ったのかと思っていたが。風平は、返事をせずに、涼しい顔で隣に腰を降ろす。酒麻呂はその顔をじっと眺めた。
「お前……前から思っていたが、人の情趣がどうのこうのと言うわりには、冷徹であるよな」
「人聞きの悪い」
風平は、口もとにうっすら笑みを浮かべ、くうと伸びをした。
「ただの生きている女でありましたぞ。ここから少し先に、牛車が止まっておりました」
「であろうな」
「ではそちらもですか」
「うむ」
ぽつりぽつりと、これまでの話をする。
だが、酒麻呂は、そこで会ったのが良知であったことは口にしなかった。いや、そもそも満月に照らされたあれは良知ではなかったのだ。へらへらと笑い、主人の下賤な話に媚びへつらう男。ゆるぎない信念と切なさの複雑に入り混じる男。昼間の男と今宵の男は、まるで別人ではないか。
――今宵俺が会ったのは、蓼丸殿、ということか。
物思いに耽っていると、風平が「寒さが身に堪えるな」とひとりごちた。どちらともなく立ち上がり、身についた草花をはらう。
「となると面倒なのは、主人ですね。これ以上妙なことをしなければいいのですが」
「……いや。こちらが何かする必要ももうないだろう」
「どういうことです」
あの男の、あの目。
酒麻呂は、何事と交わることも許さない、あの澄みきった瞳が忘れられなかった。あの目には何かしらの凄みがあった。主人がこれ以上騒ぎ立てるならば、別の手で屋敷を守るために動くのだろう。もう相まみえることもないのだろうが。
「何でもない。忘れてくれ。……なあ、風平よ」
「なんです」
「我々は、長い物語の一部を垣間見たのだな」
「……そうですね。それがあるべき形なのかは分かりませぬが」
だが、事の始まりがどうあれ、あれがある一族と一族の物語であるというならば、我々が言うことは何もあるまい。外の者が外で何を言おうが、内の者には内の者の喜びがあり悲しみがある。
「――人の幸せを他の者がはかることもできまいよ。こちらが何を言うても何をしても興醒めなだけじゃ」
「全くおっしゃる通りで」
月の下を歩く。
黙って歩く。
――信ずればそれが本物になるのです。
――そして、わたくしどもは、いつか永久になりたい。
――姫君が望む限り、この命は何度でも蘇りましょう。
しかし、それを美しいとも恐ろしいとも思った自分がいたことを、あの蓼丸はどう思うだろうか。周りがどう言っても聞こえぬならば、それはとうの昔に完成しきった画ではないか。あの二人は、ずっと前から、もう永遠になっていたのではないか。
酒麻呂は首を振った。
いや、もう何も考えまい。すべては、ただ、そこにあるだけなのだ。
「結局我らは何も得ずであったな」
「そうですね。……鬼の正体が人目を忍ぶ恋とあらば、」
「二人で酒の肴にするのも癪であるし」
「詩にすることもできぬし」
二人は嘆きつつ、砂埃の舞う道を
もうすぐ夜が明ける。
(了)
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